吉田松陰
西郷隆盛
坂本龍馬
勝海舟、、、、
異国の街 長崎を目指した数多の歴史上の人物に思いを馳せながらの長崎街道歩きのスタートです❗️
まずは佐賀藩と天領の長崎との国境に立つ領境石標から。
矢上は、佐賀藩 諫早領の最後の宿場町。
当時の旅人が長崎に入るには、この地の番屋で役人から許可を得たうえで、飛脚を長崎に走らせて、正式な通行許可がふたたび飛脚から届けられて初めて許されるという、めちゃくちゃ厳重な入国審査だったようです。
でも今じゃサクッと入れましたっ笑
この先の下り坂では途中が宅地整備や道の崩壊で失われているため、迂回路を使うことにします。
長崎街道の案内板が立つ迂回路は、かなりの急階段ですね。。
その高低差がよく分かる当時の資料が、この絵図になります。
長崎最初の宿場だった日見宿へ向かう旅人は、この切腹坂と呼ばれた険しい山道を下ったようですが、絵図が残る、、、ということは、きっと風光明媚な名所だったのでしょう。
因みに、切腹坂の由来は、昔或るお侍が日見宿の身分の低い者に剣術で負けたため、その面目からこの地で切腹をしたからだとか。
そのお侍の墓と慰霊塔は、土地整備のため、坂の下の国道沿いに移されてはいるものの、今尚残っています。
そんな切腹坂は、現在国道の改修で特定し難いものの、上の絵図に描かれた海に浮かぶ三味線島の位置から、おおよそこのあたりの高さかな。。
下の国道から切腹坂のあったあたりを見上げてみます。
おそらく、本当の切腹坂はこのガードレール道より少し下がったこのあたりじゃないか、、と🤔
辺りには旧街道の石らしきものが転がっていました。
この先に続く石積みも街道の遺構でしょうか。。
山腹を巻く道も今ではすっかり埋もれていて、どうやらこのあたりの長崎街道探検は無理そうですね💧
眼下には、江戸から長崎に入って最初の宿場町だった日見が見えています。
ここから眺めた景色にむかしのひとはなにを思ったのかな。。
先を急ぎましょう🐾
続く。。。
続く。。。