マイmy巷話

マイMy巷話(かんわ)は「私にはそう見える!」ものを儘に書いているだけの話です。

長崎・日見街道を歩いてみる その3

2019-01-20 | 街歩き・歴史散歩
やっと、お隣の佐賀藩を越境して長崎入りを果たしたところから始まりますっ🐌



その前に、、
江戸時代の有名な測量サムライ!伊能忠敬の話から入ります。
衛星から地球全てが手に取るようにわかっちゃう今と違って、人の足で日本全国を測量して回った伊能忠敬ご一行は、ここ長崎の日見宿にも泊まっていたんですねー。

そんな、1813年9月15日の測量日記から、日見の村を辿ってみます🐾




《これより長崎街道を測る。字 腹切坂、右に馬頭観音。日見本村の人家、長崎街道駅日見宿。。》






《日見川の石橋 八間》
➡︎この橋は今はありません。







《本陣は馬駅の伝兵衛宅。御用取次の松尾五郎七、外に文蔵、日見村浦見番の野上勝右衛門と橋爪七左衛門出てくる。この夜は曇り晴れで、観測する》
➡︎本陣跡には説明板のみが建ってます。






現在の日見の宿場周辺。






町を少し回ってみましたが、日記にある石橋や継ぎ場の屋敷含めて古いものがほとんど見当たらず、歴史はあれど、かなりあっさりとした町です。








役所の駐車場脇をふと見ると、昭和の水害慰霊碑が建っています。
もしかすると、この宿場歴史の名残の多くが、自然の脅威により流されてしまったのかもしれません。








さて、伊能忠敬一行は、翌朝早くから宿を立ち、おそらく地元民の手も加わり、皆んなで測り始めたようです。

大勢のおじさんらが長い竹竿や紐やらを使って、真剣そのものの面持ちで、こうした道を測量していったのかと思うと、、、結構面白いぞ!







街道はとにかくとっても細い道。
途中には歯痛観音など長崎西国八十八ヶ所霊場のお堂や、石塔などもポツリポツリと建っていて、なかなか良い雰囲気が出てきました。









途中のお稲荷さんに、いまは登るひとも絶えた様子の朽ち果てた石階段を見つけて、慎重に上がってみました。








遠くには高速道路の立派な橋が見えています。
かつての街道は、いまやあの立派なコンクリート橋に姿を変えた、と言うならば、先の未来、あの橋は再び何に変わってしまうのだろう。。。






祠を降りた先には、川が流れています。






馬川は、その名のごとく馬を川に入れ清めながら、正面に見える山を越えてきた旅人も足を洗って一服したところだとか。

長崎は、複雑に入り組んだ山々に囲まれた町。
当時の旅人は、あの山を越えて初めて憧れの地、長崎を見ることができたのです。
入国さえドラマティック!
しかもそこには、西の箱根とも言われた、街道屈指の難所と称される日見峠があります。
ゴールを目指す私らにとっちゃ、最後の試練ってわけなのね、、、。


そんな日見峠。






すでに歩いてきた日見の切腹坂上から眺めると、向こうに連なる山々の左端。
あのストンと落ちた箇所辺りに当たるかな?

日見は漁場の町、つまり海抜ゼロなのです。そしてあの山が300mほどだから、確かにいままでゆる〜く歩いていた旅人には本当にツラいだろーよ。









めったによそ者の通らない日見街道では、携帯の地図アプリを見ながら、ぼーっと立ち止まっていると、「なにか用ですか?」と聞かれることもしばしば。
ネコくんまでもが、めちゃくちゃ警戒した眼でコッチを見ています。








道に勾配を感じられるようになってきた。








日見街道の難所も、あと少しっ( ̄Д ̄)ノ








続く。。。



コメント
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