なので、マイマイ🐌はまたまたお休み。すみません。
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こちらは大正初期の古地図👀
広大な駒沢練兵場では、大陸への侵略を想定して馬や牽引車に引かせて斜面を駆け上がる厳しい訓練を連日行っていたそうですが、その敷地の水はけの悪さを改善するために造られたのが、今回の排水溝なんですね。
で、排水溝のあった箇所を地図で見るとたしかに土塁記号が練兵場から神社横手まではっきりと描かれています。
また、等高線に注目すると土塁記号のあたりはゆるい谷間になっていて、目黒川まで凹型地形が続いているようです。
つまり、川が源頭から下流へと流れるように、自然の地形を利用して作られた排水溝から、練兵場の窪地に集まった雨水を流していたというわけですね❗️
池尻稲荷神社の湧水が「枯れずの井戸」と呼ばれたのも納得です。。
ただし、大正時代の流路は、練兵場から現在の国道246号を超えると、一面が田んぼのなか(現在の目黒区大橋あたり)に続いているため、灌漑用水として利用されていたのかもしれません。
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時代は下がって、昭和2年の地図👀
戦時下の地図改描で軍事施設表記が地図からどんどん消されていくなか、排水溝はやけにはっきりと描かれていますねー❗️
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別の地図で見てみると、国道から北側部分は田んぼや畑は失われて、建物が密集しています。
排水溝は目黒川南側の工場敷地に沿った箇所のみが青く描かれているようです。
そこに上の地図を描き出せば、練兵場の土塁から目黒川までを辿っていけそうですね❗️
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まずははじまりから。
旧練兵場内の土嚢記号の突端あたりに来てみました。
周囲がやけに広くなっていますが、かつてはここに集まった水を目黒川へと溝を通して流していたわけですね。。
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周りを見ると集水枡がいくつも並んでいるので、この地下は今も水のトンネル銀座かと思われます。
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で、そこから土塁記号に沿って、裏路地の暗渠を歩いていきます。
100年前のここは、多くの若い兵隊さんらの使役で掘らせたのでしょうか。。
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路地を抜ければまもなく池尻稲荷神社。
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そして神社脇の暗渠にまで、やって来ました。
今までよりも水路の側壁が上がって、造りも立派になっていますが、ここはむかし大雨が降ると怖いくらいの濁流が練兵場から押し寄せてきて、国道の向こうまで溢れかえったそうですよ💦
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排水路には、コンクリート橋もしっかり架かっていたようですね👀
察するに、、なんだかんだと治水工事にかかった金額は、神社の氏子ばかりか練兵場にもしっかり負担してもらったんじゃないかな🤔
そんな暗渠に沿った銀杏は、傍らの石碑によれば、昭和3年に在郷軍人の手で植えたものだとか。
出征祈願に武運長久、、数えきれない人らが一心に願い、その手をあわせた思い出ばなしがここにはあるんでしょうね。。
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はなしは戻って、排水溝の暗渠は国道側の鳥居手前で大きく右へとカーブして、隣接するマンションの敷地へと抜けているようです。
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ちょうどこの裏が神社の枯れずの井戸になりますが、ここから見下ろす暗渠は、井戸からの排水口と古びたコンクリート蓋がアクセントになり、なかなか良い雰囲気だったりします。
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その先、暗渠は神社横のこちらの建物の外側通路になっているようです。
厚いコンクリートの蓋上には、古い石積みが残されていました。
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246号の池尻交差点を渡って、神社を振り返ってみます👀
排水溝は神社脇からとなりの古畑病院経由で国道下を抜けて、目黒側へと続いているようです。
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国道を渡った先を斜めに入った路傍で、僅かに側溝らしき跡を見つけることができました👀
当時、この横には世田谷警察署があったようですね。
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いまでは狭い路地を住宅が所狭しと並んでいますが、この崩れた石のかたまりも側溝の跡でしょうか。。
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昭和初年の地図を参照に、この二又では左をしっかり選びます❗️
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世田谷の裏路地であるあるですが、この不自然な道の曲がり具合に水路の名残が感じられます。
ちょっと注目したいのは、、下水道のマンホールに合わせて、気を利かせた縁石のカーブが、いじらしく見えますが、それでも蓋開かないような気がするのはワタシだけかな笑
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暗渠の路地裏から、いよいよ地図にも描かれていた工場敷地に沿った一直線の水路跡を辿れば、目黒川はもうまもなく❗️
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そして、無事に目黒川緑道に合流しました❗️
こうして、古地図を参照に100年前に造られた駒沢練兵場の排水溝は、今でも足下の見えない場所に存在していることがわかりました。
また、標高のある練兵場からうまく地形を利用しながら、目黒川までを排水溝は最短距離で造られていたことも判明したし。。💡
どんなに些細なものでも、歴史の遺構があるかぎり、そこに理由のないものなんて絶対ありえないっ❗️ということをまたもや再認識した、スーパーへの買い物ついでのちょっとした旅路でした笑