再び、境界標石のはなしを。。
近所を散歩をしていると何故か❓旧郵政省の社宅が多いことに気づくのです。
この空き地にも以前は細長くて寂れた社宅が建っていたのですが、いつの間にか残っているのはポストマークの境界標石だけになってしまいました。
少し離れたこちらのお宅の前にも標石だけが、取り壊されずに残っていました👀
郵政省の他、周辺には陸軍省の名が刻まれた境界標石もいくつかあったりするのですが、もし自分ちの玄関前に何故か石だけ残されるのなら、「陸軍」より「〒」のほうがワタシも見た目には良いかな…と。
話変わって、このあいだ。
用賀に所用で出かけた折に変わった標石を偶然見つけてしまいました。
ここもやはり国家公務員用の社宅跡地らしいのですが、、👀
どうやら広い敷地は近い将来、区の再開発で公園整備が計画されているそうですが、いまは只々不気味な空気が漂っています。。
で、なんとはなしに見ていると、隣のマンションとの境界に接して、パズルのように外壁にピタリとはまった細長い石があることに気付きました。
これは間違いなく境界標石のようです❗️
「日競」と刻まれているようですが、石の雰囲気からするとおそらく戦後のもののようです。
うむ🤔
やはり調べてみたくなりましたっ📖
早速、昭和30年前後の地図を出してみます👀
どうやら、公務員住宅ができる以前にこの場所は東京農業大学の農場だったようです。
隣は馬事公苑。。
なんだかあやしいが、ひとまず、「日競」と結びつく記録が地図には見当たらないようです。
お次は高度経済成長期の航空写真に目を向けてみました👀
見るからに農地から住宅密集地へと一気に変貌していますが、こういうスピード感がまさに高度経済成長期ってことなんでしょうねっ🫢
農大の農地も公務員社宅へと変わっているのがわかります。
そして、「日競」の境界標石が立つ正方形の敷地にも幾つかの建物が建っているようですが、社宅とは建築の形状が明らかに違っていますね!
…これらから、この境界標石の持ち主の目星はつきました🕵️♂️
先述したように、ここが馬事公苑に隣接していることから、馬に関連する施設、、ズバリ!「日競」は日本中央競馬会の略だったのではないでしょうか⁉️
そのあと、改めて調べたところ、昭和37年に東京農業大学から日本中央競馬会がこの土地を購入した記録を見つけたのですっ👏👏
やはり、街のいたるところにちょっと目を凝らすと楽しいおもちゃは落ちているものですねっ。