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温暖化科学の虚実 研究の現場から「斬る」!(江守正多)、への疑問

2010年04月21日 23時58分06秒 | 生命生物生活哲学
2010年4月21日-2
温暖化科学の虚実 研究の現場から「斬る」!(江守正多)、への疑問

 江守正多『地球温暖化の予測は「正しい」か? 不確かな未来に科学が挑む』は、おおむね誠実な態度で書かれていたように思う。不確実性をいくつか挙げていて、そうするとしかし、そんなにいろいろと不確実性が入り込むのに、予測が確かだなんてどうして言えるのかと思ってしまう。逆に、当たらなかったときのための予防線かとも、かんぐりたくなるほどである。
 さて、問題は、予測に使われているモデルが当たるかどうかである。リスク予防原則を採用するにしても、予測モデルがどの程度あたるだろうかという点に依存する。
 一つの疑問点は、人為起源CO2温暖化説のおそらく大きな論拠としていると思われる、「物理法則に基づくコンピュータシミュレーション(気候モデル)で計算した気温の変化」の、実際に起こったCO2の増加のデータを入力した場合と、CO2の濃度は一定だったとした場合とを比較して、排出などの人為的CO2増加が原因だとする推論である。これは、気候モデルが過去の気温を再現できたことが前提としてある。しかしモデルが採用する変数やパラメータ値を変えれば、逆の結果を生じ得るかもしれない。このことは単純な、曲線当てはめcurve fittingの場合で考えれば理解出来るだろう。パラメータ数を多くしたり、係数を変えたりして、曲線への適合度をいくらでも挙げることができる。(そこで、モデルの良さの尺度を、適合性と、変数を増やしたことへのペナルティを与えて測ろうとしたのが、赤池の情報量規準である。なお、ここでもたとえばペナルティをどのような数式にするかは、自由度がある。)
 また、「物理法則に基づく」といっても、地球を多くの格子に分けて数値計算しているから、近似的であり、もしカオスを生じるような方程式がどこかに含まれていれば、近似計算をした場合には信頼性は薄れる。さらに、地上と海洋に分けた結合モデルであれば、その結合をどうするかの最適性をどうするかで恣意的な選択となるのではないか。格子を小さくすれば、計算の精度はあがるだろうが、予測が当たることにつながるとは限らない。

 江守正多氏は、
  「CO2の増加などの人間活動の効果を入れないと実際に観測された気温上昇とは全く計算が合わないことが、「定量的に」示されているのです。自然現象が主因であるといった説には、このような定量的な根拠がありません。」
と述べている。
 さらに、
  「これをいうと、「コンピュータの計算なんて信用できない」と返されるのがお決まりの手なのですが、温暖化のコンピュータシミュレーションの信頼性については、拙著『地球温暖化の予測は「正しい」か?』(化学同人)に詳しく解説してあります。」
とあるが、わたしにはいくつかの疑問点が残った。そもそも気候モデルは具体的には表記されていなかった。特に問題は、パラメータ化であるが、これもどのように値を決めているのかは、例を示しては書かれていなかった。
 五か所の19のモデルで数値計算しているが、なぜ一つのモデルではないのだろうか? 最も再現性の高い一つのモデルを採用すればよいと思うが、一意には決まらないのはなぜなのか?

  「江守正多温暖化リスク評価研究室長は「複数のシミュレーションモデルで20世紀末の北極振動の振る舞いがバラバラなのにもかかわらず、どのモデルも同じような地球平均気温の上昇を示すことを考えると、実際の気温上昇の大部分が北極振動という結論にはならないのではないか」と温暖化全般への影響には否定的な見方を示している。」(http://eco.nikkei.co.jp/column/kanwaqdai/article.aspx?id=MMECzh000003122009)
ということと関係するが、このような推論には疑問がある。

http://eco.nikkei.co.jp/column/emori_seita/article.aspx?id=MMECza000017042009
は、わたしの疑問点を言うのに都合がよい。
  「IPCCの予測は外れたのでしょうか。実はそうではありません。IPCCの予測と実際に観測された気温変化の関係をより適切に表すグラフは、次のようになります。」
として、図Bが掲載されている。
  「図Aと図Bの違いは何かというと、図Aでは、IPCCの予測はたくさんのシミュレーション結果を平均した比較的直線的な線で表わされています。一方、図Bでは、たくさんのシミュレーション結果を平均しないで、1本1本を全部重ねて描いてみました。さらに、1960年までさかのぼってみると、観測された変動がシミュレーションの幅の中に入っていること、いわば「想定の範囲内」であることは、一目瞭然ですね。そして、今後長期的に気温が上昇していくという予測は、何ら修正を迫られていません。
 つまり、普段みなさんが目にすることが多いIPCCの予測のグラフ(たとえばIPCC 第4次報告書統合報告書の図SPM.5)は、たくさんのシミュレーション結果の平均だから直線的なのであって、1本1本のシミュレーション結果は、本当は、実際に観測されているのと同様な自然の変動を含んでガタガタと上下しているのです。」
  (江守正多.温暖化科学の虚実 研究の現場から「斬る」!「地球は当面寒冷化」ってホント?(09/04/23),http://eco.nikkei.co.jp/column/emori_seita/article.aspx?id=MMECza000017042009)

 「IPCCの予測はたくさんのシミュレーション結果を平均した比較的直線的な線で表わされています」とのことだが、このような平均値はなんらの意味もないと思う。数多ければ当たるとは限らない。全部外れているかもしれない。特に50年後とか、かなり先のことの予測なのだから、少し外れていれば、そのモデルは信用できない(むろん、51年後だけ数値はピタリと当たるかもしれない可能性はある。しかしこれは問題外である。計算モデルの予測がかなりの精度で当たることが必要なのである。)
 観測された気温値にぴったりと上下して的中しているモデルは一つもないのではないか?
 1. 確かに、「1本1本のシミュレーション結果は、……ガタガタと上下しているが」、「実際に観測されているのと同様な自然の変動を含んで」いるからとは言えないのではないか? そもそも、ガタガタの上下加減の精度では、いずれの一つのモデルによる計算値とも合致していないと思う。
 2. なぜそんなにもたくさんのシミュレーション結果があるのか? 一つのモデルでの誤差によるのなら、「1960年までさかのぼってみると、観測された変動がシミュレーションの幅の中に入っていること、いわば「想定の範囲内」であることは、一目瞭然ですね。そして、今後長期的に気温が上昇していくという予測は、何ら修正を迫られていません。」と言えるかもしれないが、それは個々の計算値を表示したものなのだから、いわばAモデル or Bモデル or Cモデル or ……と19(?)個のモデルからの計算値が一緒くたになったもののなかに入っているということであって、どのモデルも気温低下を的中させなかった、はずれたのである。したがって、この部分(実測値)によって反確証された、と見るのが妥当だと思う。どのモデルも反確証されたと言うべきである。

 (精密に見えるような模擬計算の結果に、注目が行き過ぎだろう。)

地球温暖化懐疑論批判は正しいか?

2010年04月21日 16時06分16秒 | 生命生物生活哲学
地球温暖化懐疑論批判は正しいか?

傲慢もゴーマンも、かまさないでね
 パチャウリIPCC議長らは、ヒマラヤ氷河消失に関するIPCCの主張に疑問を呈した研究者に対して、voodoo scienceだとか、非科学的(英語は?)だとか、ののしったらしい。もしそうなら、そのようなレッテル張りをすることのほうが、根拠を言わずに批判を一蹴するという態度だという点で、反科学的antiscientificである。何年か前の『科学』の地球温暖化特集号での明日香壽川氏らの発言からは、地球温暖化懐疑論をたんに馬鹿にするような態度が感じられた。

偽科学 pseudoscience
 「擬似」とは、「本物によく似ていてまぎらわしいこと」(大辞泉)とあるので、本物に似てるほどいいのではないかと思うこともあろうから、訳としてまぎらわしい。pseudo-は、偽りのとかニセのという意味ということだから、pseudoscienceは疑似科学(正しくは、擬似科学)ではなく、偽科学と訳すことにする。

 Mario Bunge (2003: 233)によれば、pseudoscience 偽科学とは、
  「科学的基礎が欠けているのに科学的だとして売りこまれる教義または実践」
である。科学的基礎とはなにかが問題だが、基本は理論によって現実を予測し、計算結果などを経験的な試験と合致するかどうか、という科学者共同体(これも半開的だが)での相互批判的営為である。

 まず理論内部の整合性が必要であり、重要なのは、現実との照合である。予測という時間的な外挿をする場合には、メカニズム的理論もしくはモデルであることが望ましく、精度や観測費用とのかねあいとなるが、なんらかのテストが可能であることが肝心である。
 技術(特異的方法)が科学的と呼ばれるための条件については、Mahner & Bunge『生物哲学の基礎』96頁を見よ。科学的、半科学的、あるいは非科学的に分類される。「非科学的nonscientific」は、ののしり言葉ではない。科学的方法については、『生物哲学の基礎』97頁を見よ。

 地球は一つだからテストできないので数値計算で済ませ、過去のデータの再現性が高いからそのモデルによる予測は当たるとするのは、信頼性がない。当たるかもしれないが、当たらないかもしれない。
 江守正多氏は、北極振動やエルニーニョによって、北半球での近年の寒さを説明している(そして全地球気温は低くなっていないとする)。しかし、被害は(寒冷化によるものであれ温暖化によるものであれ)地域的なことがらである。では、気候モデルは、北極振動なども取り入れているのか? そして、そのことは後づけ的説明ではなく、まえもって予測して結果は的中したのか? 

[A]
明日香壽川・河宮未知生・高橋潔・吉村純・江守正多・伊勢武史・増田耕一・野沢徹・川村賢二・山本政一郎.2009?.地球温暖化懐疑論批判(IR3S/TIGS叢書No.1).81pp.〔pdfダウンロードサイト http://www.ir3s.u-tokyo.ac.jp/sosho〕

 これを批判したらしい(未読)のが、「『地球温暖化懐疑論批判』の誤謬」として
  「東北大学の明日香壽川の個人的レポート『温暖化問題懐疑論へのコメント』を下敷きに、多少手を加えた程度の、非常に安直な内容の冊子である。その結果、内容的には自然科学の書籍というには余りにも自然科学的に低レベルであり、ほとんど著者の思い込み・思いつきと、人為的CO2地球温暖化仮説に対して疑問を提起する論者に対する誹謗・中傷に満ちた極めて低俗な内容となっている。」
と述べる、
http://env01.cool.ne.jp/global_warming/ir3s_index.htm
近藤邦明氏である。

 日本学術会議 公開シンポジウム「IPCC(気候変動に関する政府間パネル)問題の検証と今後の科学の課題」が、2010年4月30日(金)13:00から開催される。開催趣旨は、
  「IPCC(気候変動に関する政府間パネル)をめぐる問題(Climate-gate, IPCC-gates)について、科学的観点から事実関係を明らかにし、その情報と認識を共有すること、そして、今後このような問題が生じないためのIPCCの科学的作業の在り方、社会と政策への情報提供の倫理性、科学者の行動規範などについて討議する。」
とある。
 trickの意味の誤解だ、言った、言わない、データの精度がどうのこうの、決着がつきにくくてそのうちうやむやになるようなこれらのややこしいことは副次的なことである。また、懐疑論を批判するよりも、政府予算をたくさん使っている地球温暖化仮説や模擬simulation計算モデルのほうの確証または反確証disconfirmationをしてほしい。なお、或る主張が正しいとも正しくないとも、(たとえば統計学的に)どちらとも言えないといったことは、この世界で(いわば雑音が多いから)よくあることである。
 IPCCの第一次評価報告書(1988, 1990, 1992)からすでに20年近く経っている、はたして、地球温暖化仮説はどのような種類と程度で試験testされ、確証されたconfirmedのか?