生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

絵画作用、概念作用

2010年04月22日 23時10分17秒 | 美術/絵画
2010年4月22日-4
絵画作用、概念作用

1. 絵画の定義
 絵画は通常平面的なもので、彫刻や彫塑といった立体的な作品と対比される。
  平面作品:絵画、版画(写真を含む)、書、
  立体作品:彫刻、彫塑、

 レリーフは、半立体作品か。

平面と立体
 表面の支持体を、円錐体や球体にしたり、カーテンのように襞のある面とすることができる。 
 ギリシャのかつての壷絵のように、面が真っ平らである必要は無い。曲面にすると、見にくかったり、透視図法の効果が出にくくなったりすることはあるかもしれない。
 では、立体もまた、見せているのは表面ではなかろうか? われわれの通常の視覚ではたとえば物の内部は見えないのだから、立体作品もまた表面しか見えない。そうすると、平面と立体の差異も絶対的なものではないことがわかる。薄い紙には、表と裏が区別できる。しかし、立方体にすると側面ができるし、球体であれば、すべてが表になって裏は無い。
 そこで、穴を開ければどうか。

 立体作品は、いかにもそこに物として存在するという側面がある。一方、平面において立体的空間がそこにあるかのように錯覚させるように描く作品では、逆に、平面性が強いからこその工夫である線遠近法や空気遠近法が用いられる。

支持体が立体的か、絵具が立体的か
 木枠やパネルに画布や紙をはって、なんらかの絵具で描く場合、木枠やパネルは画布や紙を支持するものであり、画布や紙はその上に塗られる絵具を指示するものである。絵具の上に絵具を重ねれば、下層の絵具は上層の絵具を支持するものとなっている。
 支持体と絵具は、段階的な役割をもつことになる。狭い意味での日本画は、岩絵具を膠で貼つける(実際は、膠を衣のようにくるんだ鉱物粒子を、筆で和紙に塗る)。小さな石を貼りつけている。厚塗りすると、下層の岩絵具(油絵具も同様)は、上層の支持体になる。透明な絵具ならば、下層にあっても見える色彩として役立つ(見えは混色になるかもしれない)。
 厚塗りするとか、塗り重ねたり、砂を混ぜるとか、マチエール用の素材を塗ったりすると、厚みが出て、レリーフ的ないしは立体的になる。どこまで厚みがあれば立体となるかの境界は、測定値は比率尺度であり連続的だから、自由に(恣意的に)定めるしかない。
 一つの区分法は、展示方法によるもので、壁掛けにするならば、平面作品である。壁掛けになっていれば、フランク・ステラの作品のように数十cm前方に飛び出ていても、また彫刻作品のように見えても、平面作品である。床に直接または、床に置いた台の上に置けば、立体作品である。天井から吊るすとか、(たとえばヘリウムガスを入れて)空中に浮遊させるとかの作品も、立体作品とみなされよう。

展示方法での平面性と立体性
 描くことではなく、展示することの方に着目してみよう。
 たとえば木枠に張ったカンヴァスもまた、全体としては物である。通常は、壁掛け作品として、真ん中正面に立って見ることが前提されている。では、床に平に置いたり、壁面に45度または垂直に立てかけたり、天井から吊るしたりしたらどうか。

2. 図解、絵解き
 ものごとを図で解き明かす図解は、瞬間的に全体的な理解ができるという利点がある。それは、全体を構成する部分(下位システム)

 (狭義の)絵画作用、絵画鑑賞様式ないしは規約と制度

 概念作用、提示や展示の仕方
  新奇さと奇抜さ(だけ?)
  『絵画』(狭義)の終焉か。物から事へ。performance 演為(演技、演奏、出来事製作、仮設)

 過去・現在・未来とは時間的な概念であり、構築体であるから、実在物を捉えて記述したりするための枠であり、実在ではない。プラトン的立場からは、<今この瞬間>こそが実在である。
 現在というものが、どこかを動いて、あるいは過ぎ去って、未来や過去のなるというのは、われわれの想像である。
 瞬間だけが実在する。それは時間でも空間でもないし、物でもない。あえて言えば、根元的エネルギーそのものである。

境界/システム環境/デュシャン

2010年04月22日 22時58分48秒 | 美術/絵画
2010年4月22日-3
境界/システム環境/デュシャン

記号と物体/objet
  これは、絵画です。
と書く、または描いた場合。

境界/環境
 絵画においては、額縁は、あるいは額縁をつけないカンヴァスでは画布の縁は、壁面に対して分画する。
 画布は、壁面(地)に対して図となる。画布は、下塗りされて地となり、そこに図となる形態が描かれる。→入れ子構造。

システム的に捉える
 物質的構成
 同定分類

デュシャンの作品の解釈
  「ここでは簡単に、デュシャンの造形的芸術の意図するところは、現実、今の現実の一部を切り取り、それをふたたび現実のなかにもどすことであったとだけ指摘しておこう。」(田淵 2005: 65-66頁)

  「『泉』はこの角度で設置されることによって、排泄用の便器としての機能は停止される。便器が便器でなくなり、芸術的素材となることによって、私たちは素直にモノとしての『泉』を見ることができる。素直にとは、自由に想像力を働かせて、ということである。つまり、芸術的に見るということであり、これによって『泉』は『泉』となったのである。」(田淵 2005: 66頁)

 使用時(つまりその機能を果たさせる時)とは異なる角度で設置されても、逆さまにされても、便器は便器、便器でありつづけてもよい。素直に見れば、(レプリカであっても)形の美しさ、陶器製ならばそのつるつるの美しさがある(と感じられるかもしれない)。「芸術的素材となる」のは、機能が停止される場合なのか? 機能停止は必要条件なのか、十分条件なのか、どちらでもないのか。わたしにとって、素直にとは、余計な想像力を働かせず、直接感覚的に、ということなので、今のところ、このあたりは理解不可能。
 著者は生活との関連で芸術作品を考察していくのだが、はたして。

 概念を想像上の画布に描いて運動させる(頭の体操)。
 絵具と筆、色光とそれを制御する『筆』。音波を制御する空間彫刻用の『筆』。(音色、音程、律動、旋律、和音、白色雑音)

[T]
田淵晋也.2005.12.現代芸術は難しくない:豊かさの芸術から「場」の芸術へ.262pp.世界思想社.

額縁と絵画の境界/記号と絵画

2010年04月22日 22時37分35秒 | 美術/絵画
2010年4月22日-2
額縁と絵画の境界/記号と絵画

額縁が含意すること
 tableau(タブロー)には、絵画作品について、習作や下絵に対しての「完成された」という意味がある。もう一つは、カンヴァスや板に描かれた物を指し、これは(持ち運びできない)壁画や天井画に対している。さらにもう一つの用例は、tableauの間違いではない訳なのかどうかはわからないが、額縁絵画である(文献失念)。これは額縁の無い絵画に対することになる。
 額縁をつけることによって、絵画本体はその周囲から境界づけられる。そのことによって、額縁内部に位置する平面は、その周囲とは異なる世界を提示しているのだと解釈しやすくなる。また、慣習によってまたは規約的に、そのように見る者に解釈される。
 額縁にも延長的に描かれている場合がある。絵画部分の面積が広くなるし、外への広がりが感じられるかもしれない。その場合や額縁が無い場合は、背後の壁との絵画の境界は、たとえばカンヴァスの縁そのものになる。額縁が無い場合、どういうわけか、『モダンに』(この意味は人によって様々であるが)感じられることが多い。

記号と絵画
 主に文字を描いたり、文を書いているような作品がある。
 或るパターンが記号として(あるいは記号的行為または展示として)受け取られた場合は、記号であるということに注目が大きくなるから、記号の物質的側面(たとえばインクによって表示が実現されているとすれば、インクの物質性が見る者に受け取られるもの)、対照的に画肌への注目が薄くなり、物質感が弱くなるだろう。

 表意文字の場合、たとえば漢字は、絵文字とも言えるように、抽象絵画とも解釈できる。画面に、大きく森とかけば、エゾマツやトドマツの針葉樹の森に見えるかもしれない。赤い色で木と書けば(描けば)アカエゾマツ、黒ならクロエゾマツ、青にすればアオエゾマツである。(ついでに)白にすればシロエゾマツです。

 さて、人物とか風景とかの対象を描かない場合、→抽象絵画

数値計算モデルのテスト

2010年04月22日 22時32分55秒 | 生命生物生活哲学
2010年4月22日-1
数値計算モデルのテスト

  z0=2.00x+1.00
が、実際の形式(数式)だとする。お好みなら上下に振れるようにsin yを加えてもよい。
 一方、妥当なモデルとして構築された数式は、
  z1=2.01x+1.10
  z2=1.99x+0.95
  z3=1.95x+1.15
  ……
  z19=1.90x+1.20

 これらの計算結果の範囲のうちに、
  z0=2.00x+1.00
が入っていると言うことは無意味である。近いということはかまわないが、それだけのことである。むしろ、z1以下のどのモデルも合致していないと判定すべきである。
 また、数値計算にするために、微分方程式を差分方程式にするときにも、問題がある可能性がある。

データ解析的立場と原理演繹的
 →分類・同定