2010年5月9日-3
結合ないし繋がりの分類へ
結合ないし繋がりを分類するときの、方法と方法論を考える、といった根本的なところを考えてみる。
すると、すでに思考の世界において、言葉によって、大規模にいわば汚染されている。では反省的な意識、あるいは言葉にわれわれが与えた機能を越えて、なにかを分類することはできるのか。
たとえば、未知の物体を分類するとしよう。このとき、すでに、「未知の」
という同定をしたこと自体が、分類のためにカテゴリー(範疇)を設けていていたということである。
物質的と信号的
物質的と非物質的という軸を立ててみる。
物体的ー信号的(言語的ー観念的ー思考物質的)ー、……この系列は変?。
信号とは、われわれが作ったもの(構築体)であるが、この世界に実在するのは、たとえばなんらかの種サクタンに属する生物体と他の生物体の間に伝達される(むろん物質が伝えられるということはない。移動があるのみ。エネルギー状態の変異また変化はあるとしても、それが伝えられるということはない。「伝達」は、人の想像である。うーむ、時間は実在しないが、われわれの思考世界では存在する、という変換関係を解く鍵はあるのか。心筋細胞は拍動する。世界は(比喩的に言って)呼吸しているのかもしれない。しかし、どうしてわれわれは、時間が存在するように錯覚するのか? なんらかの変異が(時間的)変化と捉えられるとすれば、たとえば自分という意識の同一性と、その同一性にもかかわらず、外界または内的世界も変化すると感じるメカニズム、そしてそのようなシステムは、どのような線図diagramで表現できるのか)
渡辺慧は、<もの>と<こと>について、どう捉えていたのか。
自由度を定義せよ。自由度にフラクタル次元は設定できるか。根本的には、フラクタル次元を設定しないのが、得策か。
結合ないし繋がりの分類へ
結合ないし繋がりを分類するときの、方法と方法論を考える、といった根本的なところを考えてみる。
すると、すでに思考の世界において、言葉によって、大規模にいわば汚染されている。では反省的な意識、あるいは言葉にわれわれが与えた機能を越えて、なにかを分類することはできるのか。
たとえば、未知の物体を分類するとしよう。このとき、すでに、「未知の」
という同定をしたこと自体が、分類のためにカテゴリー(範疇)を設けていていたということである。
物質的と信号的
物質的と非物質的という軸を立ててみる。
物体的ー信号的(言語的ー観念的ー思考物質的)ー、……この系列は変?。
信号とは、われわれが作ったもの(構築体)であるが、この世界に実在するのは、たとえばなんらかの種サクタンに属する生物体と他の生物体の間に伝達される(むろん物質が伝えられるということはない。移動があるのみ。エネルギー状態の変異また変化はあるとしても、それが伝えられるということはない。「伝達」は、人の想像である。うーむ、時間は実在しないが、われわれの思考世界では存在する、という変換関係を解く鍵はあるのか。心筋細胞は拍動する。世界は(比喩的に言って)呼吸しているのかもしれない。しかし、どうしてわれわれは、時間が存在するように錯覚するのか? なんらかの変異が(時間的)変化と捉えられるとすれば、たとえば自分という意識の同一性と、その同一性にもかかわらず、外界または内的世界も変化すると感じるメカニズム、そしてそのようなシステムは、どのような線図diagramで表現できるのか)
渡辺慧は、<もの>と<こと>について、どう捉えていたのか。
自由度を定義せよ。自由度にフラクタル次元は設定できるか。根本的には、フラクタル次元を設定しないのが、得策か。