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北米project 5 ~How do you like Canada? その51【2016/6/15~22】

2024-10-23 06:37:00 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の続きです。今度はカナダ空軍の練習機のコーナーです。
ロッククリフというのはカナダ空軍のロッククリフ基地のことです。オンタリオ州オタワにある空軍基地でしたが今は民間のロッククリフ飛行場になっています。また、今いるカナダ航空宇宙博物館が隣接しているところでもあります。この博物館も当たり前のように飛行場の隣に建っているのです。

第二次世界大戦時はイギリス連邦航空訓練計画 (BCATP) による空軍パイロット養成基地のひとつとして運用されていました。
BCATPはイギリスを初めとした連邦各国のパイロット養成をカナダ国内で実施するというものです。カナダは第二次世界大戦の後背地で敵弾の心配が無いので訓練に適しているわけです。カナダはコレに係る費用のほとんどを負担する代わりに、パイロット養成がカナダの主要な戦争貢献になるという言質をイギリスから引き出しました。
これによってカナダは戦争への関与と自国民を戦場へ送り出す人数を最小限に留められたと言われています。スピットファイアのプラモデルを見てみるとカナダ空軍のマーキングの収録が少ないんですが、これのおかげというのもあるでしょうかね。


フリート・モデル16BフィンチII (Fleet 16B Finch II) です。1928年初飛行(コンソリデーテッド14Mとして)。
元々はコンソリデーテッドが設計製造していた2座の複葉練習機をフリート社がライセンス生産したもの。エンジン、着陸装置、操縦翼面の違いによって型式が分けられていますが、モデル10を改良したものがモデル16フィンチ(鳥の名前)で、モデル16内でもいくつかのサブタイプがあります。
BCATPでの初等訓練でタガーモスとともに用いられ、寒冷地のカナダに適した密閉式風防を備えています。この手の練習機にしては数が多い400機が生産されました。ただし長足の進歩を遂げていた当時の航空機の流れにより、1943年以降は単葉機のフェアチャイルド・コーネルに徐々に置き換えられていくことになります。
この個体は、1940年フリート製、カナダ空軍に納品されて1943年まで飛行訓練に使用されました。1947年にアメリカ人の個人に買い取られて民間機として飛びました。1964年にカナダ人が買い戻して1966年に博物館へ寄贈しています。1970年には復元飛行もしたんだそうな。



航空偵察用のカメラです。フェアチャイルドK-3型という機種です。
これは飛行艇に付けられていました。BCATPでは航空カメラの撮影訓練もやっていたんでしょう。


ノースアメリカン・ハーバードMk.II (North American Harvard Mk.II) です。1940年初飛行(AT-6として)。
ご存知、ノースアメリカンの練習機T-6テキサンのカナダ版です。もう説明不要ですよね(手抜き)。BCATPでは高等練習機として使われました。
カナダにおいては現地でライセンス生産された機体も相当数あります。本家ノースアメリカンではB-25やP-51の生産で手一杯だったからです。カナダのノールダイン社では、イギリスとカナダ向けに約2,800機のハーバードMk.IIがライセンス生産されました。Mk.IIは、AT-6相当の機体です。
ちなみに、戦時中の金属不足を見越して胴体後部を木製にした設計が進められていましたが、幸いそういう事態は起きなかったのでボツになっています。また、雪上で離着陸できるようスキー板を履いた設計もありましたが、着陸脚を頑丈なものに交換しないといけないのでこれもボツになりました。これは今まで知らなかった豆知識でした。


ハーバードの外観の特徴として長く延びた排気管があります。それとMk.IIというか戦時中のテキサンの特徴としては窓枠の多い風防が挙げられますね。
カナディアン・カー&ファウンドリー社では、戦後になってT-6G相当のハーバードMk.IVを約550機ライセンス生産しています。Mk.IVは窓枠の少ない風防が特徴です。


この個体は1940年ノースアメリカン製。カナダ空軍に納品されてからは1962年まで飛行訓練に使用されました。1964年に博物館へ寄贈されています。ここの飛行機の中ではあまり移動の少ない機体ですわね。


行き場がなさそうにすみっこで佇んでいるアブロ・ランカスターの機首です。たぶんレプリカなんでしょうけど、別にどっちでもいいですよね。
説明書きによれば、ランカスターの機首だけでも5人の乗組員が必要なんだと書いてあります。その5人とは操縦手、航法士、機関士、爆撃手(兼前部機銃手)、通信士なのであります。あとは省略されたけど中央と尾部の各機銃手2人もいます。
爆撃機を飛ばすのにもそれぞれ分野の異なる人員がこんなにいるので、人件費の係るコストの高い兵器なのだということです。撃墜された時の損耗も大きいですね。


アブロ・アンソンMk.IV (Avro Anson Mk.V) です。1935年初飛行。
イギリス初の単葉・引込脚装備の双発機です。輸送、偵察、訓練、爆撃などだいたい何でもこなしていた「忠実なアニー」です。カナダ空軍ではBCATPの一環で多発機の練習機として多数が運用されました。
初めはMk.IIがカナダ内の複数社で約1,800機ライセンス生産されました。Mk.IIの胴体は鋼管羽布張りだったんですが、これを木製合板に改良した「ビダール・アンソン」ことMk.Vが1943年に初飛行しました。羽布張りから合板に変わったおかげで、寒冷地のカナダ特有の冷たい風によって体を冷やされることがなくなりました。このMk.Vもマクドナルド・ブラザーズ社とカナディアン・カー&ファウンドリー社により約1,000機がライセンス生産されました。
戦後は余剰機が民間へ放出されました。カナダ北部の磁気調査では合板胴体のアンソンは重宝されたんだそうです。


この個体は1945年マクドナル・ブラザーズ製です。マクドナルでは748機生産したんだそうな。カナダ空軍に納品されて、1954年まで輸送任務などで運用されました。1964年まで保管された後、博物館へ寄贈されています。


リンク・トレーナーという飛行訓練装置、すなわちフライトシミュレーターです。デパート屋上の遊具みたいな格好をしていますが、大真面目のフライトシミュレーターです。
1929年にアメリカ人発明家のエドウィン・リンクが考案しました。だからリンク・トレーナーです。これが出現したことで実機で飛行するよりも前の段階で地上にいながら飛行操縦のいろはを学べるようになったのです。
コックピットは当時の練習機と同じ操縦装置が配置されていて、それを動かすと空気圧によって機体が傾くのです。あとは、動翼も操縦したとおりに動きます。これは訓練生がどういう操縦をしているか教官が目で見て確認できるための機能でしょう。
ちなみにフライトシミュレーターには蓋がついています。蓋を閉じて真っ暗な中で装置を動かすことで、計器飛行の訓練ができるんだと思われ。
50万人以上のパイロットがこれを使って育てられたとされています。カナダでもBCATPで導入されました。


フェアチャイルド・PT-26BコーネルMk.III (Fairchild PT-26B Cornell Mk.III) です。1942年初飛行。
フィンチとタイガーモスに代わる初等練習機です。複葉練習機を単葉にしたような見た目ですかね。主翼桁はなんと木製だそうな。金属製と比べると耐久性が悪くて毎年検査がいるので民間市場では不人気だったとかで。
元々はアメリカ軍の複葉練習機置き換え用の機体ですが、カナダでもフリートが約1,600機ライセンス生産しました。


PT-26は、PT-19のカナダ版という感じ。フィンチと同じで、寒冷地対策の密閉式風防が追加装備されています。初期型はPT-26AコーネルMk.IIで、マイナーチェンジ版がPT-26BコーネルMk.IIIです。
この個体は1942年フリート製。カナダ空軍に納品されて、1944年まで初等訓練に用いられました。その後は1962年まで長期保管されていて、最後は博物館へ寄贈されています。


デ・ハビランドDH.82タイガーモス (De Havilland DH.82 Tiger Moth) です。1931年初飛行。
ご存知イギリスの有名な複葉練習機です。DH.60ジプシーモスの軍用型です。
カナダにもやってきて、寒冷地対策の密閉式風防付きのDH.82Aと頑丈なブレーキと降着装置を付けたDH.82Cが生産されました。
カナダ生産分には、アメリカ製メナスコエンジン搭載機もあり、メナスコモスと呼ばれていたそうな。

これから機体に乗り込む訓練生と教官のちょっとした小芝居が展開されています。


この機体の経歴については、よく分からなかったです。


BCATP練習機軍団はこれで以上です。

というところで今日はここまで。


その52へ→



北米project 5 ~How do you like Canada? その50【2016/6/15~22】

2024-10-05 23:24:11 | 海外旅行記
次は航空機エンジンのコーナーです。10種類くらいのカナダにまつわるエンジンが並べられています。100年くらい前に作られたエンジンまでありますが、どれも新品のようにきれいな状態になっています。ここはさくっといきましょう。

これはギブソン社 (Gibson) の液冷直6ガソリンエンジンです。飛行家のウィリアム・ウォーラス・ギブソンが1910年に自分で設計した機体に搭載したエンジンです。これはギブソンが製作した2番目のエンジンで、カナダ人が設計したエンジンとしては現存最古の物です。どうやら1番目は現存しないようです。
ギブソンの機体「ツインプレーン」は1910年にブリティッシュコロンビア州ビクトリアで初飛行しましたが、そのまま墜落してしまいました。幸い操縦したギブソンとエンジンは無事で、翌年は次の「マルチプレーン」でアルバータ州カルガリーで何度か飛行に成功しています。
エンジンを見たところの特徴は、プロペラシャフトが前後両側に伸びていることでしょうか。これ、エンジンを中心に2枚のプロペラを配置しているためです。ツインプレーンの写真からも確認できます。



ダラック社 (Darracq) の液冷水平対向2気筒ガソリンエンジンです。1907年にブラジル生まれのフランス人、アルベルト・サントス・デュモンが開発しました。
彼の開発した超軽量飛行機「デモワゼル」という(そういう名前なの)に搭載されました。次第にその能力が認められて生産の発注が舞い込んでくることになりました。
この時エンジンの生産はフランスの自動車メーカー、ダラック社に発注しました。この時エンジンに係る特許をちゃっかりダラックが取得して、デュモンは揉めたそうですが・・・。結局デュモンが引き下がって生産は続行されましたが、この係争で疲弊したデュモンは航空事業から撤退したという後味の悪い最後でした。


カーチス・OX-5液冷V8ガソリンエンジンです。1915年アメリカ人のグレン・カーチスが設計したエンジンで、アメリカ人設計のエンジンでは初めて量産された型式です。同社が開発した軍用練習機JN-4ジェニーの搭載エンジンです。
当時の競合機と比較すると出力が強力でもないし造りが先進的でもなかったです。ただしエンジンの値段が安いことと回転数を低く飛行できるので燃費が良いことから民間市場では人気があり、12,000台のエンジンが生産されています。
1909年カナダで初めて飛行した動力付き飛行機「シルバーダート」のエンジンはOX-5の直系の先祖にあたる、ということでここで展示されているようです。



ビアードモア社 (Breadmore) の160HP液冷直6ガソリンエンジンです。
1914年フェルディナント・ポルシェ監督の下、オーストロ・ダイムラー社製エンジンのライセンス生産版としてイギリスのビアードモア社が生産したものです。
名前通り160馬力を出すエンジンなわけです。第一次世界大戦時の1916年からイギリスにある2社で2500台が生産されました。でも他のエンジンと比較するとあまり強力ではなかったので、観測機、戦闘機、軽爆撃機に搭載されました。


ルノー (Renault) 8Ca 液冷V8ガソリンエンジンです。
フランスの自動車メーカー、ルノーが開発した航空機用エンジンです。同じ出力の他のエンジンと比べると重くて整備も煩雑だったようなので、あまり成功はしなかったそうな。第一次世界大戦時、フランス製の観測機や練習機に搭載されました。


ベントレー (Bentley) B.R.1 空冷ロータリー9気筒ガソリンエンジンです。ここで言うロータリーエンジンとは、マツダの同名のエンジンとは違うものだよというのは弊ブログでも何度か説明していますね。
第一次世界大戦時のイギリス製エンジンの傑作です。有名なソッピース・キャメル戦闘機のエンジンもこれです。
ベントレーというのは、これも自動車メーカーのベントレーのことですね。


ロールスロイス (Rolls-Royce) イーグルVIII 液冷V12エンジンです。
1915年、自動車メーカーというか航空機エンジンメーカーでもあるロールスロイスが極初期に開発したエンジン、それがイーグルです。でかいエンジンなので重爆撃機や対潜哨戒飛行艇なんかに搭載されました。戦後もハンドレページやビッカースの民間機エンジンとして採用されたそうな。
イーグルVIIIという名前の通り、幾度も改良されてきたわけです。最初のI型は225馬力だったのが、1917年から生産され始めたこのVIII型は300馬力あります。


ライト (Wright) J-4B 空冷星型9気筒ガソリンエンジンです。
Jシリーズと呼ばれとるエンジンのひとつです。後にはワールウィンドシリーズと呼ばれとりまして、こっちの名前のほうが有名かね。
安定した空冷エンジン供給がほしいアメリカ海軍の思惑によりライト社がエンジンの開発元を買収しろと命じたっていう、なるほど昔はこんなことしていたのねっていう。
1924年に最初のJ-4型が開発されました。アメリカ製星型エンジンとしてはよく成功した物で、以降30年間は空冷レシプロエンジンは星型が優位となりました。
リンドバーグの大西洋単独横断飛行に使われたセントルイス魂号のエンジンにはこのシリーズが使われました。あとはフォード、ウェイコー、トラベルエアなどのメーカーの飛行機にも。フォードというのは自動車メーカーのフォードですね。この頃は航空分野もやっていたのよ。


ネイピア (Napier) ライオンII 液冷W12です。W型エンジンって何って話ですが、1列4気筒のシリンダーを3列配置した物です。同じ気筒数のV型よりもクランクシャフトが短くできる代わりに横幅が広くなります。これ、初めて見ましたよ。というかネイピア社ってこんな頃からこういうエンジンを・・・。
軍民問わず広く採用されて、商業的には成功しました。レース機にも使用されたそうな、なんだか意外。


ホール・スコット (Hall-Scott) A-7A 液冷直4ガソリンエンジン。
アメリカのホール・スコットはこれも自動車メーカー(1910年~1960年)で、1910年代の開発でスタンダード社J-1練習機の動力に使われていました。作動中に火災が起きやすい問題がありましたが、この時代のエンジンは多かれ少なかれそういう症状持ちが多いので相対的な問題でした。


ここらへんから時代が進みます。プラット&ホイットニー・カナダ (Pratt & Whitney Canada) PT6A-20です。これはピストンじゃなくてガスタービンのターボプロップエンジンです。
1960年開発のターボプロップエンジンの傑作で、軍民問わず様々な機種に採用されていて、ターボプロップ市場では最大手です。カナダの宝。


プラット&ホイットニー・カナダPW120ターボプロップエンジン。
PW120はPW100の派生型で、PT6とは別系統のターボプロップです。PT6と比べて出力が高いようです。ボンバルディアDHC-8シリーズなどが主な搭載機です。


プラット&ホイットニー・カナダ JT15D-1ターボファンエンジン。
1971年登場のビジネスジェットなど小型機用のターボファンエンジンです。主な搭載機はセスナ・サイテーションです。
ターボファンにしては珍しい、遠心圧縮機を使用しています。


最後にレシプロに戻りますが、これはネイピア・セイバーVIIです。このエンジンを見れるとは・・・!
1938年に完成した、液冷H型24気筒スリーブバルブ付き、出力は1号機では2400馬力、最終的には3500馬力というとんでもねえやつです。
H型というのは、V型エンジンを上下に2つ重ねたようなものです。なのでこれの場合1列6気筒が4本ある格好です。原理的には星型エンジンと比べて高出力化と小型化に期待できましたけど、見ての通りの複雑さなので設計に色々無茶があり、信頼性に難のあるエンジンでした。
当時のイギリスのエンジンはセイバーでなくても定評の高いマーリンにグリフォン、同じスリーブバルブ付きにもセントーラスがありましたから、あまり活躍の機会はなかったみたいです。セイバーの搭載機がハリケーンやテンペストだったのも運がなかったとも言えますが・・・。


どういう構造しとるねんという感じで、ひと目見ただけでは何も理解できなかったです。

というところでエンジン編は以上。今日はここまで。

その51へ→


 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その49【2016/6/15~22】

2024-09-30 23:30:58 | 海外旅行記
今回は民間航空機の回です。
これは、トラベルエア・モデル2000 (Travel Air Model 2000) です。1925年初飛行(モデル1000)。
1930年に生産を終えるまでに1550機を受注しました。当時としては大ヒットでしょう。工芸品のような作り方だった当時の航空機製造でこれだけの数、どうやってさばいたんでしょう。
フォッカーD.VIIと外観が似ているから1920~1930年代の戦争映画でよく役者として出演していたそうな。
ちなみに、これの設計にはウォルター・ビーチ、クライド・セスナ、ロイド・ステアマンが携わりました。はい、それぞれビーチ、セスナ、ステアマンの航空機製造会社の創立者なのです。名機になるべくしてなったといえましょう。


この個体は1929年製で、オンタリオ州キングストンの企業が購入しました。1941年に使用停止するまで複数のオーナーをわたりました。その間に当局への届け出無しにエンジンを交換して馬力アップしていたそうな。違法改造ですよそれ。
1958年に個人が購入して1968年に博物館へ寄贈、1999年から12年かけて復元して今に至ります。


これは、デ・ハビランドD.H.83Cフォックスモス (De Havilland D.H.83C Fox Moth) です。1932年初飛行。
タイガーモスなどを生み出したイギリスのデ・ハビランド社の航空機です。単発複葉機の小型機ですが人員輸送用の旅客機です。よく見るとエンジンと操縦席の間に客室があります。重心の都合、客室はそこしかなさそうですが、狭そうなのとエンジンの熱で暑そうだなと。カナダでは第二次世界大戦後にブッシュプレーンとして使われたそうな。
デ・ハビランドのモスシリーズの名前だし、型番も1つ違いだしでということで設計はタイガーモスとほとんど共通にしてあります。実際輪郭が似ていますしね。
この個体は1947年にカナダで作られてブッシュプレーンとして使われた機体です。ていうことはデ・ハビランド・カナダ製ですかね。1980年代に個人が購入して、最初のフォックスモスの塗装に復元したんだそうな。


デ・ハビランドD.H.60Xシーラスモス (De Havilland D.H. 60X Cirrus Moth) です。1925年初飛行。
軍隊はもちろん、民間飛行クラブや個人でも購入・運用ができる安価な航空機として広く普及した機体です。同社のモスシリーズの始祖でもあります。
1928年からはデ・ハビランド・カナダでも生産を始めました。1930年代にはカナダで最も登録数の多い機種になって、個人飛行の普及に貢献しました。カナダ空軍でも練習機として採用されパイロット内で操縦したことない人はいないくらいの普及率でした。
この個体は1928年イギリス製です。製造後にカナダに輸入されました。モスの中でも極初期型のシーラスモスです。1962年に博物館に寄贈されて、DHCの元社員が復元しました。
ちなみにD.H.60のエンジンは生産時期により変わっていて、最初はシーラスエンジン、その後ジェネット、ジプシーの順に変わっていくようになります。この個体はシーラスエンジン装備なのでシーラスモスと呼ばれるわけです。


アブロ・アビアンIVM (Avro Avian IVM) です。1926年初飛行。
民間用スポーツ機として開発された軽飛行機です。デ・ハビランドのD.H.60モスの競合機といえます。
この個体の型番IVMはIV型のMという読み方をして、Mは胴体の骨格に鋼管を使用していることを表しています。ふつうは木製になりますね。
この個体は1930年にカナダ空軍に納品された機体ですが、カナダ空軍ではこれ以外にも導入したアビオンをほとんど使用しないまま民間に放出してしまったようです。この個体は1932年に民間の飛行クラブへ譲渡されています。その後いくつかのオーナーを転々として1968年に当館へ寄贈されています。


金属製のプロペラはこの時代にしては珍しいような感じもします。どこかの段階で交換されたんでしょうか。
エンジンは、アームストロング・シドレー・ジュネット・メジャー、100馬力、空冷星型7気筒です。


この手の軽飛行機に折りたたみ式の主翼が見受けられるのは、格納庫での収納性や陸上輸送での可搬性を考慮してのことです。特に折り畳めるおかげでガレージにも入れられたんだそうな。


デ・ハビランドD.H.80Aプス・モス (De Havilland D.H. 80A Puss Moth) です。1929年初飛行。
3人乗りの単葉単発機です。燃費の良さが売りで、2点間の長距離飛行の記録破りによく使われたんだそうな。単葉機なのと密閉式のコックピットがうまく作用したんだと思います。カナダでは9機が輸入された他、DHCでも25機現地生産されました。
前作D.H.60とはエンジンを載せたときの向きが上下逆になっています。コックピットからの視界を良くするのと、エンジンから漏れ出るオイルが風防に付着するのを防ぐためだと言われています。
この個体は1931年イギリス製で、ロンドンのアメリカ海軍武官が使っていました。第二次世界大戦も経験していて、イギリス空軍で運用されていました(たぶん連絡機として使用)。戦後はイギリスの民間企業を転々として、1969年にカナダ空軍の軍人が個人で購入、カナダへ運ばれました。1976年にその人が軍を退役すると当館に売却しました。
いま現存するプス・モスは8機いて、これはカナダで唯一飛行が認可されている機体だったそうな。


ステアマン4EMシニア・スピードメール (Stearman 4EM Senior Speedmail) です。1929年初飛行。R-1340ワスプSC、450馬力星型9気筒。
4Eジュニア・スピードメールの改良型として開発された郵便用航空機です。郵便機とも言いますね。1920年代の航空機はまだ貨物輸送や旅客輸送に使うには積載能力が不足していたか運賃が非常に高額になるかで、まだ使い物になる物ではありませんでした。そんな中で、重量が軽くなおかつ従来の陸上海上交通よりも優位な速達性を得られる郵便物の輸送が当時の航空機には適していたのです。


4EMは、エンジンにNACAカウルを装着した初期の機体です。今から見れば別に普通じゃんという形状ですが、当時は画期的な発明だったのです。これによって気流が整えられて空気抵抗低減とエンジン冷却能力向上に寄与しました。


イギリスの郵便事業者であるロイヤルメールのマーキング。カナディアン航空に委託して運んでいたようですね。
この個体は1930年にモデル4Eとして生産された個体で、スタンダード石油社に社用機として納品されました。1940年代に農薬散布機に改造されて、1965年にオンタリオ州の個人が購入してカナディアン航空仕様のモデル4EMとして復元しました。1970年に郵便輸送として飛行しながら当館へ寄贈されて今に至ります。


カーチスのなんかしらの液冷エンジン。型式を覚えていません。銘板は記録し忘れているし。


ロッキードL-10Aエレクトラ (Lockeed L-10A Electra) です。1934年初飛行。R-985ワスプジュニア、450馬力星型9気筒2発。
エレクトラって飛行機は2つあるねん。よく知っているL-188エレクトラは2代目なんですねー。
乗員2名、乗客10名乗りの双発旅客機で、ロッキード初の全金属製航空機です。ダグラスDC-2、ボーイング247が競合として挙げられています。
カナダでは1936年にエア・カナダが2機発注し、バンクーバー~シアトル線に投入。1937年にはトランス・カナダ航空も5機発注。さらに第二次世界大戦ではカナダ空軍が民間機を徴用して輸送機として使用しました。



エレクトラにはちょっとした小芝居が挟まれています。機首の扉を開けて中に荷物を詰め込んでいます。中身は郵便物ですね。1930年代後半の民間機なので航空機用レーダーはまだ存在していないわけです。
1920年代は郵便専用航空機も開発された時代でしたが、1930年代からは機体も大型化して搭載量にも余裕が出てきましたから、旅客と郵便を混載して飛行できるような機体も出てきたのです。この流れは拡大していって、次第に郵便専用機というのは淘汰されていくのです。


この個体は1937年にトランス・カナダ航空が新造機として発注した機体です。1939年から6年間カナダ空軍に徴用されていた時期もありました。1962年に個人が購入して修復して世界中を飛行したそうな。最後はエア・カナダが購入して当館へ寄贈しました。
なんでエアカナダが購入したかというと、トランスカナダ航空の社名変更後がエアカナダなので実質的に同じ会社でということです。
余談ですがトランスカナダ航空 (TCA) の親会社はカナディアン・ナショナル鉄道 (CNR) です。そうつまり、鉄道会社それも国有鉄道(当時)が運営する航空会社という構図なのです。さらにカナダのフラッグキャリアとして政府の保護もありにけり。
戦後の旅客航空の発展に伴ってTCAの路線網も拡大、それはつまりCNRの旅客鉄道と真っ向から競合することになり、最終的にCNRの旅客輸送はほぼ壊滅状態となるわけです。


ボーイング247D (Boeing 247D) です。1933年初飛行。乗員2名、乗客10名乗り。S1H1-Gワスプ550馬力星型9気筒が2発。
この頃のアメリカの双発旅客機はボーイング247、ロッキードエレクトラ、ダグラスDC-2/3がしのぎを削っていましたが、その中で先陣を切ったのがボーイング247です。先行有利が働けばよかったんですが、この機体には色々弱点が合ったので後発のロッキードとダグラスに遅れを取ってしまい、75機しか製造されずあまり売れませんでした。
技術的には先進技術を多く取り入れています。全金属製応力外板、低翼主翼、引込式着陸装置、主翼前縁配置のエンジン、可変ピッチプロペラ、過給器、トリムタブ、客室空調装置など。特に双発プロペラ旅客機の外観設計を決定づけた機体と言われていて、エレクトラもDC-3もこれの後追いに過ぎないともいえます。


主にアメリカのユナイテッド航空から発注された機体が多いです。ユナイテッド航空はもともとボーイング社の航空機運行部門を分社化したものなので、ボーイングとの結びつきがとても強いのです。
これも初めはユナイテッド航空に納品され、カナダ空軍、カナダ太平洋航空などを渡り歩いて最後はカルガリーのカリフォルニア・スタンダード石油社が使用しました。1967年に同社が当館へ寄贈しています。
247は全部で4機しか現存していないため、貴重な機体であります。


胴体は細いです。空力を考慮した影響でしょう。10人乗りなので窓一つにつき1席という具合でしょう。
左右の主翼は桁で繋がっていますが、桁が機内の床をブチ抜いているので乗客はこれをまたいで席まで向かう必要があり247の弱点でした。機体の収容力を増やそうにもこの桁の再設計が面倒だったのとエンジンの出力が弱かったので実現できなかったそうな。


ダグラスDC-3 (Douglas DC-3) です。1935年初飛行。乗員2名、乗客21名(最大32名まで)。R-1830ツインワスプ1200馬力星型14気筒。
ご存知、双発プロペラ旅客機の覇権を握った機体です。DC-2の派生型としての開発でしたが、すぐにこっちの方が有名になりました。ダグラス純正の機体だけで約11,000機、日本とソ連でライセンス生産されたものもいれると約16,000機も作られました。現在も200機くらいが現役として登録されているそうな。
もともとダグラスがボーイング247の対抗馬として開発したのがDC-2です。DC-1というのもありますがこれは1機だけ製作された試作機です。この時の設計者があのキンデルバーガー氏やノースロップ氏です。
DC-2が好評だったので、鉄道のようなプルマン寝台を備えた旅客機として使えるように胴体を大型化したのがDC-3なわけです。それでDC-3を普通の座席に座る旅客機として使えば、DC-2の1.5倍もの乗客を運べるのに運航コスト増加は僅かという高い利益率から、政府の補助金無しで運航できる旅客機として1939年の世界の航空取引の90%を占めるまでに大ヒットを記録しました。その後始まった第二次世界大戦では軍用輸送機としても大量生産されました。生産数の殆どは軍用機としての発注です。


外部電源供給用バッテリー台車です。機体が駐機時にエンジン停止中でも機内に電力を供給するための装置です。現代でも普通にありますね。


この個体は1942年に旅客機として製造された機体です。ただしこの時アメリカは日本に横っ面を張り倒されて第二次世界大戦に引きずり込まれてしまったため、すでに戦時体制。旅客機として使われることはなく、即陸軍に徴用されてしまいました。C-49Jとして軍人生活を送ったのです。
ちなみにDC-3の軍用形といえばC-47ですがこれは初めから軍用機として製造されたものを指す型番です。旅客機を徴用した機体はC-49と呼ばれとりました。他にもC-48からC-53までの型番が振られていたそうですが、どういう区分なのかはわからんので割愛。
なんとか戦争を生き延び(前線に行ったか知らんけど)、1945年にトランス・カナダ航空へ売却されました。このように戦後大量の余ったC-47等を民間へ放出することがDC-3のさらなる普及へ繋がったのです。なおダグラスは中古機の蔓延で新造機の注文があまり入ってこなかった模様。


1948年にグッドイヤーが機体を購入。1983年まで要人輸送用に使っていたそうな。その後当館へ寄贈されています。

民間機のコーナーは以上。最後の1930年代アメリカ製旅客機揃い踏みというのは、アメリカでも中々見れないんじゃないかという充実ぶりで素晴らしいものでした。
というところで今日はここまで。


その50へ→


 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その47【2016/6/15~22】

2024-04-10 06:30:30 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の続きです。ちょっとだけ宇宙コーナーもあるので、見てみます。
これはカナダーム (Canadarm) という船外作業用マニピュレーターです。1981年登場。日本語だとカナダアームとも書かれており、表記揺れがあります。
1981年11月にアメリカのスペースシャトル「コロンビア」でこのカナダーム201号が打ち上げられました。1億5300kmもの距離を移動(地球約3,800周分)し、23回の任務をこなしました。最後の任務は2011年6月、スペースシャトル「エンデバー」の最終任務のときでした。


こんな感じ。こういう宇宙関連の実物展示はだいたいモックアップと相場が決まっていますが、これは実際に宇宙に行って実戦投入されていますから重みがちがいますな。
カナダームはスペースシャトルの貨物室に取り付けられて、貨物室にある貨物を掴んで船外へ放す、あるいはその逆の作業ができます。シャトル・リモート・マニピュレーター・システム (SRMS) と呼ばれています。


宇宙空間でのロボットアーム制御は想像するよりも難しいみたいですが、そこら辺の説明が少ないのでよく分からず。


スペースシャトルは退役してしまったのでカナダームも一緒に退役しましたが、今度は国際宇宙ステーションに取り付けられたカナダーム2というマニピュレーターが現役です。


こちら宇宙空間での船外活動ユニット (EMU) です。船外活動中の宇宙飛行士の保護と生命維持を目的とした、いわゆる宇宙服です。


胸部はごちゃごちゃしています。生命維持装置やら通信装置やらなんだと思います。
目盛りの文字が反転しているんですが、これは腕についている鏡を通して目盛りを確認するため。首を倒して覗き込みながら目盛りを見ることはできないんですって。


他にも宇宙関連の展示がありますが、割愛します。みんなも行ってね。


宇宙の次は、ブッシュプレーンのコーナーに迷い込みました。ブッシュプレーン (Bush plane) というのはカナダ独特の航空機の種類で、カナダ北部やアラスカ、ユーコン等の外界との接続が乏しい辺境の未開地へ行くための物です。
未開地なので飛行場があるところは少ないわけでして、そういう辺境でも運用できるように、通常の車輪の他に水上用のフロートや雪原用のスキー板を装備できるように、なおかつ簡単に換装できるように設計されています。
他にも、下方視界に優れた高翼配置、高い短距離離着陸性能、低圧タイヤ等の性能を付与されていることが多いです。

さてこの機体はノールダイン・ノースマンMk.VI (Noorduyn Norseman Mk.VI) です。1935年初飛行。
 カナダで初めてのブッシュプレーンと言われています。頑丈な構造と広い荷室が評価されて、カナダ空軍やアメリカ陸軍でも採用された実績を持ちます。カナダで開発された機体は数多くありますが、これは人々から頭一つ抜けた誇り高い扱いを受けているように感じました。
変わっているのは、機体は順当にMk.Iから開発されていったんですが、Mk.IVの次は一個飛ばしてMk.VIでした。その後第二次世界大戦後にMk.VIの改良型としてMK.Vが開発されています。つまりマークナンバーが逆戻りしているわけです。
これは、V (5) は勝利 (Victory) のVとも読み取れるので、第二次世界大戦に勝った暁にはそれを記念したマークナンバーを開発するためにあえて空席にしていたというのです。なんだか余裕っすね。


この個体は1943年製で、戦時中は通信士の訓練用に使われたんだそうな。戦後は連絡、輸送、訓練等多用途に使われて、1950年に退役。その後博物館が取得しています。機体は晩年の姿をしているとのこと。
胴体は機首からエンジンマウントあたりまでが金属製ですがそれより後ろの胴体は鋼管羽布張りです。主翼も羽布張りです。速度は求めていないのでこういう構造のほうが合理的でしょう。ブッシュプレーンは過酷な環境での運用となりますので、鋼管羽布張りの方が修理が容易というのも評価される理由でしょう。


がに股の脚が特徴的。これは、水上用フロートに履き替えた時に安定性が出るように左右の間隔を広げるためだと思います。
どうでもいいですが、エンジンから伸びている長い排気管は、当時のカナダ空軍のレシプロ機によく見られるものですね。機体に排煙が付着しないようにするためか、消音性を出すためなのか、よく分からないのですが・・・。」


プラット&ホイットニー R-1340-AN1ワスプエンジンです。星型9気筒、600馬力。1920年代の代表的航空機エンジンのひとつで、これを搭載した機体は多いです。ノースマンのエンジンもこれです。


カーチスHS-2Lラ・ビジランス (Curtiss HS-2L La Vigilance) です。1917年初飛行。飛行艇ですね、つまり羽のついたカヌー。
アメリカ海軍の沿岸哨戒飛行艇として開発されました。ブッシュプレーンとしての適性に目をつけたカナダでも戦後に余剰となった機体を購入し、第一次世界大戦後初めてのカナダのブッシュプレーンとして使われだしました。他にも1919年にはカナダ初の森林パトロールと上空からの森林調査、1920年に上空からの鉱山権益の発見、1924年には初の定期航空便などを達成しています。

「紅の豚」に出てきたモブの飛行艇はこういう感じだったような、という気がします。


機体の隣りにあった黒い物体。特に説明はありませんでしたが、これがオリジナルの船体だと思います。


骨組みまで見れるのはありがたいですね。オリジナルの船体は湖に水没後40年以上そのままでしたが、良好な姿を留めています。寒冷地の淡水湖に沈んでいたのが幸いして腐食があまり進行しなかったのだと思います。湖に沈んだ飛行機って意外と物持ちがいいんですよね。


飛行艇なのでエンジンに海水が被らないように高位置に置かれています。エンジンはリバティで、V型12気筒、360馬力です。


この個体は1918年製で、1919年にカナダ初のブッシュプレーンとして飛行した記念すべき機体なのです。1922年に機体はオンタリオ州の湖に墜落して、機体は水没しました。1967年に発見されて、翌年から引き揚げられました。
オリジナルの船体はいじらずに残しておいて、復元用に別の機体から供出したものを使っています。復元は1970年から1986年までの長期間にわたっていて、当館の中でも最大最長の復元計画だったと言われています。


カーチス・シーガル (Curtiss Seagull) です。1912年初飛行。
これもアメリカ海軍が当初使用した飛行艇で、第一次世界大戦後に民間に放出された機体がカナダで運用されたものです。飛行艇としては小型に属するのでブッシュプレーンとして最適でした。
この個体はブラジルのアマゾンの探検に使われたんだそうな。まさしく、取材班はアマゾンの奥地へと向かった・・・・時に使った機体ですな。


主翼は長めですね~。


1925年式のヘンダーソン社製バイクです。聞いたこともないメーカーですが、1912年にアメリカで創業したものの世界恐慌で1931年に倒産してしまった短命の会社です。4気筒バイクの雄だったそうな。
私はバイクはみんな同じ形に見えるバイク音痴なのでどういうモデルなのかはよく分かりません。4気筒エンジンは見たところ直列配置ですが置き方が現代のものと比較すると90度回した状態で置かれています。
なんで置かれているのかもよく分かりませんが、ブッシュプレーンに運ばれていって現地のアシに使われたというところだと思います。


ベランカCH-300ペースメーカー (Bellanca CH-300 Pacemaker) です。1925年初飛行。
アメリカのベランカ社で開発された6人乗りのブッシュプレーンです。カナダ空軍向けにカナディアン・ビッカーズでもライセンス生産されました。
2機しか現存しないCH-300のうちの1機で、テキサス、メキシコ、アラスカ等で飛行をしていた機体です。


1920年代にもなるとはやくもブッシュプレーンとしての機体の形状は確立された感はありますね。
エンジンはR-985ワスプジュニア(星型9気筒、450馬力)。


1925年式のフォード・3トントラックです。モデルTTかな?平トラックですが、ダブルキャブなのはちょっと珍しいかも。
これも唐突に置かれているだけですが、ブッシュプレーンが内地の飛行場から飛び立つ前に積み込む物資を運ぶトラックなんだよ、という演出というところでしょうぬ。

というところで今日はここまで。


その48へ→


 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その46【2016/6/15~22】

2024-03-20 06:26:49 | 海外旅行記
メッサーシュミットBf109F-4 (Messerschmitt Bf 109F-4 ) です。試作機の初飛行は1935年。
ドイツ機を複数見れるなんて、ここはいいところですね。アメリカやカナダと違ってドイツは敗戦国なので、現存機はどうしても少なくなりがちなんですよね。
でも私はドイツ機には疎いのであまり書けることはないです~。これもスピットファイアに劣らず派生型の数が多いですし。


スピットファイアも大概小さめの機体ですが、Bf109はそれ以上に小型の印象があります。小型軽量は正義で、それを活かした戦法を駆使する戦闘機なのだろうなと。


Bf109名物、プロペラスピナーから放たれるモーターカノンはこのF型からやっと搭載されるようになりました。なので、見切れていますが銃口が見えますね。


Bf109も脚の間隔が狭いのです。まあ空力や軽量化にはこれの方が有利なんですよね。

この個体は1942年製。ソ連との戦いで撃墜されて不時着。それ以降の記録はよくわからんようで、次の記録ではソ連の博物館で修復されていたそうな。テキトーな修復だったらしく、どうやら資料性についてはあまり期待しないほうが良さそう。その後イギリスの復元団体が買い取って、マシになるよう修復しています。
当館が2つ持っていたMe163のうちひとつとこのBf109を交換する形で手に入れ、今に至るそうな。


ただでさえ小さい機体なのにコックピットはめちゃ狭そう!デカいドイツ人があの中に収まるとは思えないっす。それに、枕の高さと風防の天地寸法からして、前方視界なんてほとんどないんじゃない?どうやって空戦していたの?



後ろから。実際、ゼロ戦と比較しても小さいです。


Bf109のエンジンですね。ユモエンジンなのかダイムラーのエンジンなのか、よくわからず。


たぶんモーターカノンの機関砲ですかね。これもいろいろな種類を使っていたそうで、特定するのは私にはできないっす。


続いて、ハインケルHe162A-1フォルクスイェーガー (Heinkel He 162A-1 Volksjäger) です。1944年初飛行。
人呼んでドイツの断末魔5号くらい。国民自動車(フォルクスワーゲン)ならぬ国民戦闘機として、安く大量に造れて、操縦は簡単で、それでいて米英の戦闘機よりも強くて、というお前はかぐや姫か!という無茶をドイツ空軍は出してきたのです。それでハインケル社が出してきた回答がジェット戦闘機というのがドイツらしいと言うかなんというか。
開発着手から90日で初飛行に漕ぎ着けるというロボットアニメのような日程で開発を進め、実戦投入も間に合ったそうな。でも撃墜記録はないみたいっす。


安くてたくさん造れることが命題の一つだったので、機体規模は同世代のレシプロ戦闘機と比べても小さいです。本当に小さい、Bf109も大概小さいですがHe162はそれよりも小さそう。これだけ小さいと航続距離も短いんですが、ドイツを焼きに来る連合軍の爆撃機を迎撃する局地戦闘機として使うつもりだったので無問題でした。もはやイギリスに攻め込む気は無かったのです。
あと機体はだいたい木製で、経験の浅い工員でも製作できるような設計になっていたそうな。
その割にジェットエンジンを背負っているのは、連合軍の爆撃機が飛んでいる高高度飛行対策でしょうね。ドイツのレシプロ戦闘機ではハイオクガソリンの入手難から高高度飛行ができないんですが、ジェットエンジンならそれでなくても高高度まで飛べてしまうので、まさにジェットは念願のエンジンだったわけです。


変形H字尾翼とでもいうべきか、変わった形状です。ていうか垂直尾翼の舵面は2つに分かれているのか。妙に手のこんだことをしてますね。
上反角がついているのは、尻もち対策でしょうかね。なお、水平尾翼の付け根部分の胴体の下に突起が出ているのがわかると思います。あれは尻もち防止用のそり的な部品です。
・・・開発期間の驚異的短さに比例して、泥縄的というかその場しのぎ的な設計が見え隠れしているような気がする機体でもあります。この尻もち対策なんてどうも後付けの対策っぽく見えるじゃないですか。


機首の赤い矢印の付け根で部品の分割線が入っていますね。分割線よりも機首側は木製部品で、そこから後ろが金属製だそうな。
He162は20mm機関砲と30mm機関砲を搭載したものに大別されるようですが、これはA-1型なので30mm機関砲搭載型、ということになります。機体が小さい割に強力な武装なわけです。でも、機関砲射撃時の反動を受け止められていたいのかな?

ところでこの個体はやけに塗装がくたびれています。博物館に飾るにはちょっと汚らしいんですが、もしかすると当時の塗装が留められているのであえて下手な修復をしないでこのままにしている可能性もあります。機体の修復歴はよく分からなかったので、可能性程度にとどめておきます。

この個体は1945年2月か3月にハインケルのノルド工場で生産された機体です。実戦投入の有無は分かりませんが、同年5月8日に連合軍に機体が鹵獲されます。その後イギリスが戦利品としてかっぱらっていき、ロンドンのハイド公園で飾られたそうな。飛行試験はしなかったのかな?
1946年9月にカナダ空軍に移管されて、カナダで保管されていました。で、1967年の博物館の所有となり今に至ります。


主翼は泥縄設計が色々されていると言われています。翼端が折れているのもそんな感じがします。他では見ない設計ですよ。直進安定性か揚力増加かが目的のような気がしますけど、よー分からんです。

背中に背負っているのが、BMWの004型ジェットエンジンです。Me262のエンジンとはまた別の種類です。エンジン補機類を詰め込んだために前方上部がやや膨らんでいているのが猫背的に見えて有機的というか、他の機体にはない印象を与えます。
エンジンを外付けにしたのが超短納期設計のミソとも言えそうです。でも機体の重心部にエンジンを乗っけるのは外付けという点を除けば先見性がありましたね。

プロペラが無くなったおかげで超短足になった主脚にも注目です。脚なんて飛行中は死重も同じですから、短いに越したことはないんですね。まあ短すぎて今度は尻もちつくようになっちゃったんでしょうけど、たぶん。


次はホーカー・タイフーンMk IB (Hawker Typhoon Mk IB) です。1940年初飛行。
ホーカー・ハリケーンの後継機として開発された戦闘機でしたが、ダメ性能だったので戦闘爆撃機に転職してどうにか命脈を保ちました。ただイギリスはタイフーンをそんなに気に入っていなかったようで、戦後に全部解体処分してしまっています。スピットファイアとの扱いの差を見るに、本当は黒歴史と思っていたんじゃない?
ただし、1944年に性能試験のためにアメリカに渡っていた1機が戦後スミソニアン協会から、イギリスが持っていたハリケーンと交換という形で帰還しています。なのでタイフーンってイギリスに1機しかいないわけですよ。

・・・・・・あれ、じゃあ目の前のこれ何だ?

当時は気にもしなかったけど、これじゃ辻褄が合わないですね。レプリカだったってオチ?
撮影した写真から機体番号を探すと、「MN235」でした。これ、イギリス空軍博物館(RAF博物館)にある唯一の現存個体と同じです。なにイギリスくん、やっぱり黒歴史はいらないと考え直して、カナダに売っちゃったの?
戦後当時はともかく、自国の兵器はとにかく褒め倒す今のイギリス人がそんなことするとも考えにくく、もうちょい調べてみることに。
するとどうも、2014年6月のDデイ70周年を記念してRAF博物館から当館へ一時的に貸与されたんだそうな。なんと、2014年5月にカナダ空軍のC-17輸送機に詰め込まれて空輸したんですと!ある程度解体して運んだんだろうけど、あれに載せられるんだ。
それで今日は2016年6月なので、その後も数年間継続して展示を続けていたということですね。あれま、これはラッキーなことだったんですね。2024年時点では、もうイギリスに帰っていてカナダにはいないそうです。

下記、ソースです。


ロケット弾と機関砲です。戦闘爆撃機なので、これで地上のドイツ軍をけちょんけちょんにしてやります。


もうちょい下から。
タイフーンはカナダ空軍でも使用されていて、第440飛行隊はオタワが本拠地でしたから、タイフーンがここへ来たのはそういうつながりもありそうです。


タイフーンと言えばそう、顎ですね。顎にはエンジンを冷却するためのラジエーターなんかが入っています。
戦闘爆撃機というのは低空を飛んで対地攻撃するわけですが、地上側もただやられるわけにはいかないので対空砲火などで応戦するわけですね。それで、一番当たりやすいような位置にこの顎が付いているんですね。ラジエーターなんて銃弾1発当たっただけでラジエーターが液漏れすることもあるそうなんで、そうなるとたちまちエンジン本体も駄目になって飛べなくなります。タイフーン最大の弱点じゃないでしょうか。


正面から。顎のお陰で前面投影面積が広くなっちゃってるのが分かるかと。迫力が出て見た目には好きな顎ですが、乗るかと聞かれれば願い下げですね。


最後にランカスターをば。
これで第二次世界大戦コーナーはおしまいですね。歴史的経緯からイギリス系の機体が多い展示でした。同じ北米大陸でもアメリカ産の博物館とは大きく様相が異なるわけです。つまり北米大陸にありながらイギリス機を多く見ることができるのがカナダの博物館の魅力と言えるわけです。
イギリスが手癖でドイツからかっぱらってきた戦利品もいくつか流れてきているのも抑えておきたい所。

というところで今日はここまで。


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北米project 5 ~How do you like Canada? その45【2016/6/15~22】

2024-03-04 07:23:00 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の続きです。
続いてこちらは、メッサーシュミットMe163B-1aコメート (Messerschmitt Me 163B-1a Komet) です。初飛行1943年。
ドイツの断末魔2号です。第二次世界大戦で運用された唯一のロケット推進戦闘機です。敵の爆撃機が飛んでいる高高度までチョッパヤで上昇できる迎撃機なんですな。
まさに彗星のごとし上昇力と高速性を持ちますが、ロケット燃料が使えるのは点火後たった8分間のみ、まさに彗星のごとく。ガス欠になったらもう着陸するしか無いんですが、滑空して降りていました。敵からすればいい的なので、狙い撃ちされていたみたいっす。そういう性能もあって、運用はなかなか難しかったみたいです。
この個体は1945年製で、ドイツの敗戦後にイギリスがかっぱらっていき性能試験をしました。翌1946年に戦利品としてカナダのモントリオールへ渡りました。こう、戦争の戦利品をかっぱらって連邦諸国へ渡らせるのは、イギリスの手癖なんですかね。第一次世界大戦のときも同じことしてましたよね。
カナダへ渡った後はカナダ空軍へ移管され、様々な場所で保管されていました。1964年に当館を安住の地と決めて展示されるに至っています。その際に実際にこれが配備されていたドイツ空軍JG400部隊の塗装に復元されています。


脚です。いや厳密には脚と言える部分は無いです。車輪は離陸すると外れてしまい、着陸時は黒いそりを展開して軟着陸させるっていう、そういう仕様です。


1941年式フォード・GPトラック (1941 Ford GP Utility Truck) です。
なんだ、どこにでもあるMBジープか・・・おや、なんだか変だな?と思ったあなたはジープ通ですね。これは、いわばMBジープの先行量産型とでも言うべき、フォード・GPなのです!
第二次世界大戦で馬車馬のごとく使われたいわゆるMBジープは、1940年アメリカ陸軍からのコンペで開発が始まりました。設計図提出まで49日、試作車提出まで75日っていういくら戦争だからって無茶苦茶なスケジュールで、100社以上に呼びかけてそれに応札したのはアメリカン・バンタムだけでした。
結果、バンタムが落札して試作車を作ったんですが、バンタムは3社の中で一番小さい会社でした。自分で落札しておいて勝手に会社規模の小ささに不安を覚えた陸軍は、バンタムの設計図をウィリス・オーバーランドとフォードに渡してしまい、結局3社がそれぞれ1500台ずつ試作車の発注を受けることに。バンタムはキレていいと思うんですよ。
1941年1月、じゃあいよいよ発注するよって時に3社の仕様の標準化が求められたので、設計を改めることになりました。その時の車種が、バンタムはBRC-40型、ウィリスはMA型、そしてフォードはこの写真のGP型です。標準化と言ってもまだ形状はそれぞれ異なっていたんですけどね。この3車種は2回目の試作車、あるいは先行量産型とも言われているやつです。各社1500台と言われていたのに大量生産バカのフォードだけは我慢できなかったのか4400台も作りましたが・・・。
ジープは全部で65万台造られたんですが、そのうちフォード生産分が28万台で、その中でGPは4400台と極わずかです。しかも、造られたGPはとっととヨーロッパにレンドリースで1941年の戦地に送られていったので、さて現存数はいかほどか・・・と考えると貴重なわけです。これが戦地帰りなのかそもそもアメリカ大陸から出たことがないのか、そういう説明はなかったので知りませんが。一応、フォード・カナダ製なのと、車台番号19970113-014というのは確認できたので、気になる諸兄は各自お調べくださいまし。

余談ですが、戦争省(すごい名前!今の国防総省)から「ジープ3種類もいらない、1種類に絞りなさい」とお達しがあったので、一番優れていたウィリスMAが選ばれ、改良の上でMB型(に加えてそれと完全互換性を持つフォード・GPW型)が量産型として大量生産されることになりました。バンタムは泣いてもいいぞ。
ジープ社(クライスラー)が「ジープはウチが開発したんでござい」という顔をしていますが、元々はイギリスのオースチン社の系列のアメリカン・バンタムが開発した車だということだけ覚えて今日は帰ってください。なので、ジープの何割かはイギリス車の血統が入っていると思いますよ。


スーパーマリン・スピットファイアMk IX LF (Supermarine Spitfire Mk IX LF) です。御存知、イギリスの名戦闘機です。1936年初飛行(試作機)。
Mk IXぐらいなら前にもどこかで見たことあるだろうと思ったら、意外なことに初めてらしい。マークナンバーが多すぎて終わっているスピットファイアですが、このMk IXは有名です。というか、スピットファイアのナンバーは、基本的にMk I, Mk V, MK IX (XVI)だけ覚えていれば大半は事足り、あなたも明日から近所のスピットファイア博士を名乗れます。

Mk IXは大雑把に言えば、マーリン61型を搭載したスピットファイアのことです。マーリン61は二段二速の新型過給器を積んだ究極のマーリンエンジンです。今までのマーリン45は一段一速でした。ほんで、究極のエンジンには究極のドンガラを、ということで専用ボディのMk VIIIを開発することになりました。でも、これの開発は難航してしまいました。エンジンは完成しているのに、機体の方でもたもたしているうちにもドイツ軍は続々と新兵器を投入してくるぞ。
ふと隣を見てみると、Mk Vの機体が転がっていました。これとマーリン61を合体させればいいんじゃね?と気がついたら早い、半ば戦時急造型として1942年に出来上がったのがMk IXだったのです。取ってつけたような機体とは思えない高性能ぶりを発揮して、大戦後半の主力機としてドイツをけちょんけちょんにしたのでした。事実上のスピットファイアの完成形で、生産数もMk Vに次ぐ5,900機です。
ちなみに、アメリカのパッカードでライセンス生産されたいわゆるパッカード・マーリンを載せた機体はMk XVIと言います。


尾翼。機体は基本的には、Mk Vのままです。それはつまりMk Iのままと同義語です。事実上エンジン換装だけで第二次世界大戦を通じて第一線の機体に留まり続けたのです。機体設計の秀逸さが光ります。


風防もマルコムフードのまま。


二段二速式過給器は今までのものよりも大きいので、その分機首も若干長くなっています。エンジンが強力になったので、プロペラも4枚に増えています。ここらへんがMk Vとの識別点でしょう。
ちなみにこの個体はマーリン76型を搭載しているらしく。マーリン70型の派生型で、70型は63型(61型の派生型)を高高度向けに調整したものだそうな。LF型なのになんで・・・。というか76型はどうやらモスキート等の双発機向けのエンジンらしいんで、ますます謎。うーんよくわからないですが、損傷時の修理でテキトーに転がっていたエンジンに載せ替えられたんでしょうか?


機銃口は塞がれています。戦後にベルギー空軍の練習機に使われたんですが、その時の改造でしょうか。


左右の間隔の狭い脚です。
ちなみに、主翼下のラジエーターも2つに増えています。

この個体は1944年製で、納品後はカナダ空軍の飛行隊で実戦投入されました。でもD-Day時のドイツの対空砲火で損傷して以降、実戦には出れなかったそうな。1946年にイギリス空軍からオランダ空軍へ売却、インドネシアで運用されます。1952年にはベルギー空軍へ売却、今度は練習機になりますが1954年に墜落事故を起こして用途廃止になります。1961年にカナダの民間人が購入してカナダへ持ってきて復元、1964年に当館へ寄贈されたとのこと。


これは低空用に調整されたLF型です。外観では主翼翼端が短く切られた形状が特徴。これでロール性能が爆上げされて、Fw190相手にも渡り合えたそうな。でも本質はエンジンを低空用に調整しているところです。


ホーカー・ハリケーン Mk XII (Hawker Hurricane Mk XII) です。1936年初飛行。これも御存知、イギリスの有名な戦闘機です。名戦闘機かはともかく。
ハリケーンについては今までもこっぴどく書いているので、それをまた書くこともないでしょう。
Mk XIIはカナダで生産された機体で、エンジンもアメリカのパッカード・マーリン29型を載せています。


Mk XIIは7.7mm機銃を12丁も載せた、弾幕番長です。通常は主翼内側の片側4丁の機銃だけですが、Mk XIIでは前照灯の外側にも片側2丁を追加しています。収まりきらなかったんでしょう、銃口は主翼の外にはみ出ています。ちょっとかっこ悪いね。


機首側面の上に鉄板が貼り出ています。あれは、エンジン排気管のバックファイアの光からパイロットを守るための遮光板です。あれがないと夜間飛行時には目が眩んでしまうみたいです。


スキー板が履けるようでした。これで雪上離着陸ができるというものです。


この個体は1942年カナディアン・カー&ファウンドリー製で、ヨーロッパの戦地には行かずにカナダのいろいろな場所を転々としていたようです。
カナダ製ハリケーンは、カナダ国内に5機、国外を見渡しても6機しか現存しないそうです。

というところで今日はここまで。


その46へ→



北米project 5 ~How do you like Canada? その44【2016/6/15~22】

2024-02-07 23:49:07 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の続きです。
ここで大物選手の登場!アブロ・ランカスターB.X (Avro Lancaster B.X) です。初飛行1941年。
ランカスターはイギリスの代表的な重爆撃機です。機体の下面が黒いので撮影しにくいのなんのって・・・。
爆弾が10t積めるということで、これはアメリカのB-17の倍近い搭載量です。ただしそれは機体の軽量化により達成されたもので、よく撃墜されていたようです。エンジンはスピットファイアと同じマーリンを4発搭載しています。なのでランカスター1機でスピットファイア4機分です。乗員は7名なのでスピットファイア7機分です。こうボコボコと撃ち落とされていい機体じゃないわけです。
それにしても、ランカスターは3日前も別の博物館で見ているわけで、短期間に複数のランカスターを見ているわけです。日本人旅行者からしたら贅沢なことをしているのかもしれません。


そんな贅沢な機体を7,000機以上量産してしまうところが大英帝国の底力なわけですが。こういう戦時に大量生産された航空機は、たいてい複数の企業で生産されているんですが、ランカスターもそうでした。
ランカスターはカナダのビクトリー・エアクラフト社でライセンス生産された物もあります。このB.X型がそうです。ちなみに読み方はビー・エックスじゃなくて、ビー・テン(10)です。イギリスのこのローマ数字表記はややこしいですよね。何カッコつけてるんだと。
基本的にはイギリスで生産されたB.III型の仕様で造られていますが、戦時中の本国から遠く離れたカナダ製ということで、計器や電子機器はカナダかアメリカで製造されたものが使用されています。見た目にはあまりわからないけれども。


ランカスターのエンジンは本来ならイギリスで生産されたロールスロイス・マーリンXXを使います。でもB.X型は現地生産を旨としていますから、エンジンもアメリカでライセンス生産されたパッカード製マーリン224型を搭載しています。爆撃機で液冷エンジンという組み合わせもランカスターくらいなものでしょうか。知らんけど。


ランカスターはカナダ空軍にも配備されたわけですが、戦後しばらくも沿岸哨戒機や海上救難機などに転用されました。1965年まで運用されていたので物持ちがよく、それが現存機の多さに繋がっています。なにしろカナダだけで10機近く現存しているのです。4発爆撃機が10機残っているってすごくないですか。


縦に長い胴体。私はカバと呼んでいますが。
この個体は1945年製で、現存機の中で最も原型の割合が高いと言われています。同年5月にヨーロッパの現地部隊に納品されましたが、その頃はもうナチスドイツが終わってしまっていたので実戦には参加しなかったようです。
戦後カナダに復員して1952年に沿岸哨戒任務に従事、1964年に第二次世界大戦時の装いに復元されて博物館に収蔵されています。
復元されたのはカナダ空軍第428飛行隊の物で、これの経歴とは異なる部隊です。機首に描かれた爆弾マークは出撃回数を意味しています。実戦参加していないこの機体の経歴とは異なりますね。
どうもこの博物館には、機体の経歴とは関係のない塗装に復元される例が多いですね。でもそれは、復元された年代が1960年代という"時代"にも関係がありそうです。まだ戦後20年ですからね。機体の資料性について十分な議論がされていたとは考えにくい時期だと思います。


車輪です。タイヤはさすがに交換されているか。


プロペラです。同じエンジン載せたスピットファイアは初めは3枚ペラ(極初期は2枚でしたが)だったのが最終的には5枚ペラとか二重反転プロペラとかまで進化していきましたが、ランカスターは3枚ペラを貫いたようです。


爆弾倉が長いんですね~。胴体の大半を貫いています。余裕のある広さのお陰でグランドスラムのような大型爆弾も積めたのが、アメリカ製爆撃機には無い利点だったそうな。


尾部。意外と細いのよ。この時代の爆撃機の垂直尾翼が2枚あるのは、ステルス性の確保・・・じゃなくて、胴体にデカい1枚の尾翼を置くと格納庫の高さに引っかかって中にしまえないからです。あー、ボーイングのことは今は忘れておいてもらって・・・。


爆弾倉にも潜れちゃうよ。照明も当てられていて親切です。


こちらが闇討ちしてベルリンを破壊する爆弾です。


胴体上部の防御機銃座です。エコノミー症候群になりそう。


尾翼ですね。


胴体の国籍章と飛行隊コード。左側の2文字のアルファベットの組み合わせで各飛行隊を表しているそうな。どうやって暗記するんだこんなの。しかも、同じ記号で複数の飛行隊が割り当てられていることもよくあり。記号が枯渇したのか、重複していても同じ時期には存在していないからセーフなのか、知りませんけど。


イギリスの至宝、マーリンエンジンです。B.Xに搭載と同型のパッカード・マーリン224です。マーリンは素晴らしく、ランカスター、スピットファイア、マスタングと、これを積んだ機体は一流の機体へと押し上げられています。ハリケーン?デファイアント?はて何ですかそいつらは・・・?

というところで今日はここまで。
ランカスターだけで1回終わっちゃった。


その45へ→


 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その43【2016/6/15~22】

2024-02-04 21:53:39 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の続きです。ジェットエンジンの展示がありますね。
カナダのアブロ・カナダが独自開発したターボジェットエンジン、オレンダ14型です。1953年に運用開始されたオレンダ3型が最初の量産型です。
カナダ初のジェット戦闘機CF-100カナックやアメリカのF-86セイバーのライセンス生産版などに搭載されていました。同世代のゼネラル・エレクトリックJ47よりも高性能を発揮したとかで。4000基造られたということで、結構売れたほうなんじゃないでしょうか。


ジェットエンジンの構造がわかるように、カットモデルで展示されています。こういうのは日本の博物館ではよく見ますが北米の博物館ではこういうのが無いところも多く、珍しいです。
手前側がエンジンの前部、空気取入口となります。先端のコーンにはエンジン始動機が収められているとかで。


空気を圧縮する圧縮タービンです。10段あります。


燃焼室です。ここで圧縮した空気を燃料で爆発させてその時の空気の膨張で推進力を生み出すのです。燃焼器は6個あります。


排気口ですね。排気口の前部には圧縮タービンを回すためのタービンが1段あります。ターボジェットなので燃焼した空気はそのまま排気されます。


こっちはターボファンエンジンです。ロールスロイスRB211型です。1972年登場のジェット旅客機用高バイパス比ターボファンエンジンです。
ロッキードL-1011専用に開発されたエンジンで、新機軸を多く採り入れています。それが仇になって開発が順調に進まず、L-1011販売不振の一因とも言われています。


このエンジンは、エアカナダ(後にエア・トランザットへ転籍)のL-1011に搭載されていたものだそうな。


ターボジェットエンジンの前方にエンジン直径よりも大きなファンを設置して回すことで空気流量を増やし、推力を増大させます。エンジン後部ではエンジンで燃焼されたジェット噴流とエンジン外周を流れる普通の空気流が流れるわけです。この方式だと特に亜音速域での燃費に優れるので、経済性が重視される現用ジェット旅客機のエンジンは間違いなくターボファンエンジンです。


排気口はこんな感じ。


飛行機の展示に戻りましょう。ウェストランド・ライサンダーMk III (Westland Lysander Mk III) です。初飛行1936年。
見た目からして高翼配置、優れた下方視界、頑丈そうな脚と、観測機に必要な構造は一通り揃っているわけです。イギリス陸軍の作戦行動を支援するための観測機です。偵察活動や弾着観測などを上空から行うと何かと役立つのですよ。
ただし自軍に航空優勢な場面ばかりじゃないですよね。敵さんもアホじゃないので戦闘機を迎撃に向かわして阻止するわけです。ライサンダーは低速なので、敵戦闘機のいいカモでした。
設計思想が基本的に第一次世界大戦の時から進歩していなかったのです。仕方ないね。


丈夫だけが取り柄そうな主翼です。
低速性能には自信アリで、カナダの訓練基地では向かい風に向かって超低速で飛行していると、風に流されて後ろへ向かって飛んでいたという逸話が残っています。


主翼には前縁スラットが付いていて、離着陸時はこれを展開して滑走距離を短縮しています。これはこの部分だけ展開していますが本当は前縁全てにスラットが付いているはず。


頑丈だけが取り柄そうな脚です。


エンジンは、ブリストル・マーキュリーXX 870馬力星型9気筒です。
Mk IIIはもはや観測機としては使い物にならない頃に生産された機体で、敵地へスパイの送り込みと回収、レジスタンスへの資金供与、武器、物資の支援などの工作目的に使われたのだそうな。なんだかイギリスって感じですわ。


この個体はカナダに残っていた3機の部品を寄せ集めて仕上げたものです。サンコイチということです。復元後しばらくは飛行もできたみたいです。
3機の正確な経歴は不明ですが、胴体はウェストランドで、主翼はカナダのナショナル・スチール・カーで生産された模様。機体はMk IIIですが、塗装はカナダ空軍第110飛行隊のMk Iの個体を再現しています。


鋼管羽布張りの胴体です。

というところで今日はここまで。


その44へ→


 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その42【2016/6/15~22】

2024-01-23 23:20:02 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の続きです。ちょっと航空機の歴史から外れて、カナダ海軍の艦載機の展示がありましたので寄り道です。ソードフィッシュ、シーフューリー、バンシーが一挙3機並んで展示されています。


最初はコレ、フェアリー・ソードフィッシュMk II (Fairey Swordfish II)。初飛行1933年。
イギリス製の単発複葉艦上攻撃機です。非全金製複葉機時代晩年の機体で、開発当時は妥当な物でしたが、これのまま第二次世界大戦に突入。はっきり言って時代遅れですが、意外な活躍を見せて第二次世界大戦を戦い抜きます。
時代遅れの複葉機なので速度が遅いんですがそれがドイツの高速戦闘機とは相性が悪く、羽布張りの主翼は機銃で撃ち抜かれた程度では折れず、意外な生存性の高さを見せました。ただし低速度の格闘戦に強いゼロ戦にはカモ打ちされていた模様。イギリス人そういう話あんまりしないけどね。


主翼は羽布張りなので、穴が空いても布を張り替えれば復活する整備性の高さも魅力だったとかで。
主翼には爆弾とロケット弾の担架がありにけり。


胴体エンジンマウントの外板は外されていて、中が見えます。


雷撃機として運用されることもあり、航空魚雷も置かれていました。ソードフィッシュがドイツの戦艦ビスマルクを撃沈したのは有名な話。


艦載機展示では3機とも全て主翼を折り畳んだ状態で置かれています。艦載機ならではの機構ですし、博物館の展示面積の節約にもなります。


こっちは上主翼の分割面。
カナダでのソードフィッシュは、ノバスコシア州マーヤスの海軍砲術学校と同州ダートマスのイギリス海軍基地で運用されていました。後方配置だったみたいです。カナダ向けの機体は、寒冷地対策として大型の風防を装備していたそうな。
この個体の正確な来歴は分かっておらず、推測ではブラックバーン製でイギリス海軍に納品後カナダへ運ばれていったと言われています。戦後に放出された機体が農家を営む個人により購入されましたが、その後長いこと放置されていたので、その間に来歴を示すものは喪失したんだと思います。


2機目は、ホーカー・シーフューリーFB.11 (Hawker Sea Fury FB.11) 。初飛行1945年。
イギリスのホーカー社が開発したレシプロの戦闘爆撃機です。シーフューリーという名前の通り、元々は空軍の陸上機フューリーとして開発が始められたものを海軍の艦上戦闘機として設計したものでした。なおフューリーは開発中止になってしまったので、艦上戦闘機のシーフューリーしか存在しないっていう変わった開発系譜になっています。
シーフューリーはホーカー・ハリケーンの後継機として開発されたタイフーン/テンペストが動けるデブで重かったので、小型軽量を目指して設計されました。艦上戦闘機として運用するために、主翼の折りたたみ機構と着艦フックを備えています。
レシプロ戦闘機としては最後発のうちの1種で、速さ自慢です。放出された機体はエアレースで活躍しているものもありにけり。



シーフューリーは約680機が生産され、カナダではカナダ海軍が74機運用していました。この時のカナダ海軍は空母HMCSマグニフィセントを保有していたので、それの艦載機として1948年から運用していました。その後1956年にF2H-3バンシーに置き換えられています。
この個体は、1948年製で製造後にカナダ海軍へ納品されています。退役後は民間企業が購入・保管して、1963年に当館へ寄贈されて今に至ります。


エンジン後方には排気管が集まった部分があります。排気管から出る衝撃波で速度向上を狙ったものです。元ネタは確かドイツのFw190のはずです。それなりに効果があったのか、シーフューリーの他にも日本の五式戦闘機、ソ連のラボチキなどにパクられています。
主翼の根本の四角い穴は空気取入口です。内側の小さい穴はキャブレター用の取入口、外側の大きい穴はオイルクーラー冷却用の穴です。主翼の根本にこういうのをつけるのは空気抵抗低減の点から合理的です。これの元祖はたしかアメリカのP-39エアラコブラだったと思います。
エンジンは、ブリストル・セントーラスXVIIc(2480馬力)星型18気筒です。この時代になると2000馬力級エンジンは当たり前です。なお日本・・・。


主翼の折れ目の部分です。内側へ向かって折りたたまる、よくあるやつです。
ちなみに、このFB.11型は戦闘爆撃機なので、主翼には爆弾やロケット弾を吊るす担架を付けられます。


脚です。これの前任機だったシーファイアは脚の左右の間隔が狭かったので着陸時の安定性が悪く、本当は艦上戦闘機として不向きな構造でした。これでマシになったと思います。
この時代のカナダ海軍機の塗装は、機体上面が暗い灰色、下面が薄い灰色のいわゆるペンギン塗装です。これは同時代のイギリス海軍機と類似しています。ただし、下面の色はイギリスとカナダでは異なるようです。カナダは薄い灰色ですが、イギリスでは緑がかった灰色です。微妙だけどはっきりと違う箇所なので、覚えておきましょう。


イスパノMk.5 20mm機関砲の穴です。中央と外側の大きい穴がそれです。内側の小さい穴はガンカメラ用の穴ですね。


着艦フックですね。後付で設計されたからなのか、機体尾部からはみ出るような位置に付けられています。


プロペラが5枚なのでちょっと画面がうるさいです。


こういう画角が好きです。


3機目、マクドネルF2H-3バンシー (McDonnell F2H-3 Banshee) 。初飛行1948年。
F2H-3はシーフューリーの後継機として1955~1958年に39機導入されたカナダ海軍の艦上戦闘機です。海軍唯一のジェット戦闘機となっています。このあたりから、導入する航空機がイギリス製からアメリカ製へ転換していくことになります。なお、この時期に空母がジェット機も運用できる大型のHMCSボナベンチャーに変わっています。
F2Hは、新興メーカーのマクドネル社が2番目の開発したジェット戦闘機です。1番目はFHファントムで、F2Hはそれを順当に大型化した機体です。
3型は胴体を延長しレーダーを装備した全天候型戦闘機です。

武装は20mm機関砲が4門。機首に集中配置されています。アメリカ製の機体ですがイギリス由来のペンギン塗装が異色の取り合わせです。


主翼の根本にジェットエンジンを収めているのでここは相応に分厚くグラマラスです。空気取り入れ口は胴体にベタ付けかと思いきや、小さいですが境界層分離板がありますね。


主翼の折りたたみ機構です。


尾部です。とくに特徴的な形状はなさそう。脇には空母の飛行甲板で機体を移動していたモトタグがおります。


着艦フックです。


後ろから見たジェットエンジン。やはり主翼の形状がグラマラス。
エンジンは、ウェスティングハウスJ34-WE-34軸流ターボジェットが2基。双発なのは冗長性というより高出力エンジンが無かったから・・・?


横から。


真後ろから。この角度から見ると魅力的ですわね。


空母の模型がありました。HMCSボナベンチャーです。縮尺が書かれていないのでよくわからんです。カタパルトはないみたいですがアングルドデッキが確認でき、意外と近代的な作りなのねと。


S-2トラッカーの模型がいました。バンシーはなんでか下の方に仕舞われていました。

というところで今日はここまで。


その43へ→


 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その41【2016/6/15~22】

2024-01-19 23:54:08 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の続きです。このあたりから、展示機は第一次世界大戦コーナーへと移ります。
これは、カーチスJN-4カナック (Curtiss JN-4 “Canuck”) です。初飛行1915年。元々はアメリカのカーチス社が量産したアメリカ軍用の練習機JNジェニーです。これの3型 (JN-3) をカナダやイギリス向けに改良したモデルがJN-4です。4型はカナダのカナディアン・エアプレーンズ社で生産された現地生産仕様です。後にアメリカから派生したJN-4も開発され型番が重複したため、機体愛称を「カナック」に変えています。カナダ人という意味です。
第一次世界大戦からくる需要もあって、JNは当時としては大量のシリーズ累計6,000機を超える数が生産されました。JN-4も1,210機が生産されました。他のJN同様に戦後は大量の余剰機が民間に放出され、入手性と低廉な価格から曲技飛行士を始めとした多くの飛行機野郎の手に渡りました。



JN-4は原型機よりもあちこち改良されています。軽量化した骨格、両翼に装備された補助翼、大型化した昇降舵、独自の主翼と尾翼の平面形など。総じて操縦性が良好になったようです。
他にもいくつものカナダ初を達成しています。初の量産機、初の大量輸出、初の軍用飛行、初のスキー飛行、初の航空郵便、初の航空調査、初のカナディアンロッキー横断飛行など。カナダの航空史のマイルストーンです。


この機体は1918年製で、アメリカ軍に納品されました。退役後は民間に放出されて、1932年に個人が購入。以降30年以上納屋で保管されていたのを博物館が購入しました。カナダ空軍第85訓練飛行隊の塗装で復元されて展示しています。右舷側は機体外皮が外されて骨格が見えるようになっています。


尾翼周り。たしかに平面形が原型機と異なっているのです。


A.E.G. G.IVです。初飛行1915年。ドイツの爆撃機です。見たことない知らない。
A.E.G. (Allgemeine Elektricitäts-Gesellschaft ) は、ドイツの電機メーカーです。その社名は総合電気会社の意味です。アメリカのゼネラル・エレクトリックと電機市場を二分した超巨大企業でしたが、ここへ書こうとすると色々調べないとわからないことが多いので割愛。現在はすったもんだの末、ブランドだけは残っているような感じです。日本には食器洗い乾燥機なんかを売り込んでいるのを見かけます。


双発・複葉の爆撃機です。エンジンは下翼の上に装荷される設計ですが、左舷のエンジンは喪失しています。



エンジンマウント。エンジンはダイムラーメルセデスD.IVa直列6気筒260馬力です。


胴体下面に爆弾架があります。第一次世界大戦時の爆撃精度なんて高が知れているし、そもそも爆撃の概念も定まっていないでしょうから、夜間に嫌がらせ爆撃をして敵の神経をすり減らす活躍を見せました。

この個体は第一次世界大戦後にカナダが戦利品として1919年に召し上げた代物で、今では当時物としては唯一残るドイツ製の多発航空機なのです。なにげなく貴重な機体を複数抱えていますね、この博物館。
カナダに輸送された後40年間の記録は残っておらず、その間にオリジナルのエンジンは2発とも喪失しています。


右舷のエンジンは乗っかっています。ただしオリジナルのD.IVaじゃなくて、D.III直6 160馬力に変わっています。


双発爆撃機だけあってこの時代にしては大きい機体でございますね。


ニューポール12 (Nieuport 12)。初飛行1915年。
第一次世界大戦のフランス代表みたいな戦闘機です。イギリス、フランス、イタリア、ロシアで運用されていたそうな。
この個体は1915年製でカナダ軍とイギリス海軍航空隊などで使われてましたが、不評だったので1917年にとっとと退役させられました。かわいそす。
退役後はカナダに運ばれて北米各地で展示されて国民への戦争へのご理解とご協力を強制するための宣伝に使われていたそうな。
ニューポール12は世界に2機しか現存しておらず、これがそのうちの1機となります。


これはボレル・モラン単葉機 (Borel-Morane Monoplane) という単葉機です。初飛行1911年。当時のフランスの傑作機ブレリオXIの影響を受けています。ブレリオXIというのは、世界で初めて英仏海峡横断を成功させた航空機です(ドーバー海峡横断じゃないよ)。


ブレリオXIの製作に携わっていたレイモン・ソルニエが、幼馴染のボレルとモランと3人で開発したのがこの飛行機です。この時代の航空機というと複葉機が一般的ですが、フランスに限ってはまず単葉機が多く生まれてきました。特に強力なエンジンがあって速度が出るから単葉機にしたというわけではないみたいで、時期に複葉機に移行しています。
この個体は唯一現存するもので、カナダに現存する最古の機体でもあります。


マクドウォール単葉機 (McDowall Monoplane)。初飛行1915年。
カナダの航空オタク(本業土地測量士)のロバート・マクドウォールが1910年にイギリスとフランスを訪れた時に見た機体に影響を受けて開発した航空機です。現存最古のカナダ製航空機です。
当時は航空オタクが自分で飛行機を開発製作して飛ばすことは珍しくないことでした。マクドウォールもその一人ということです。単葉機という点から、フランスからの影響が強そうな気がします。ただ、飛行はできず短い距離を滑空した結果に終わりました。


1915年の初飛行後(飛行してないけど)は、男子学生が改造をして飛行を試みましたがそれも失敗。結局飛行には成功せずに最後は主翼を取られてアイススクーターに成り果てたとかで・・・。その後1980年代に当館が取得して主翼を復元して今に至ります。
単葉機で高揚力装置も無いですから、飛ばないのも無理ないのかなという気もします。


ノーム・オメガ7気筒ロータリー50馬力エンジンです。ボレル・モランのエンジンです。当ブログでは何度か説明していますが、空冷星型エンジンのように見えて実はロータリーエンジンです。エンジン自体が回転するのです。マツダのロータリーエンジンとは同音異義です。エンジン自体が回るので、エンジンとプロペラは直結しています。

というところで今日はここまで。


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