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北米project 5 ~How do you like Canada? その52【2016/6/15~22】

2024-10-28 06:51:00 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の続きです。
次は回転翼機のコーナーです。おなじみの物からここでしか見れないような物まで、色々揃っています。


ベルCH-135ツインヒューイ (Bell CH-135 Twin Huey) です。1956年初飛行(XH-40として)。
UH-1イロコイのエンジンを双発化した機体です。胴体も大型化しています。
アメリカ軍でも採用されていますが、最初に開発したのはカナダ空軍向けの物です。1971年からカナダ空軍へ50機納品されました。


アメリカ製の機体ですがエンジンはカナダ製のPT6を載せています。双発機ですが回転翼は1つだけなので、2発のエンジンの出力をひとつにまとめて回転翼へ伝達しています。
この個体は1971年製。カナダ空軍で運用されて1997年退役です。50機いたCH-135の中で一番飛行時間の長い機体だったそうな。


シャア専用ザクのようなツノはワイヤーカッターです。低空飛行するヘリコプターでは電線と接触して墜落する事故が無視できないので、これで電線を切断してしまうのです。UH-135は上下2本装備されていて豪華。


パイアセッキHUP-3レトリバー (Piasecki HUP-3 Retriever) です。1949年初飛行です。
アメリカ海軍の要求で、空母上で運用できる救難救助と一般輸送に使える双発ヘリコプターとして開発されたのが始まりです。回転翼は折り畳めるように設計されています。
空母で運用できる大きさには制限があるので、アメリカ陸軍は導入したものの小ささに不満があってすぐに海軍に押し付けてしまいました。そのうちの3機がカナダ海軍に移管されて、北極巡視船HMCSラブラドールに配備されました。北極海の氷の状態観察、水路の測量や科学調査などの任務についていました。


カナダ海軍機なのでNAVYの文字がでかでかと。塗装もツートングレーのいわゆるペンギン塗装(カナダ版)です。
この個体は1954年製で、アメリカ陸軍向けでしたがすぐにカナダ海軍へ押し付けられたようです。1964年に退役して1965年に博物館が購入しました。


シコルスキーS-55/HO4S-3 (Siokorsky S-55/HO4S-3) です。1949年初飛行。
1950~1960年代の西側ヘリコプターといえばこれという機体です。ヘリコプターの有用性を実証した機体として、画期的な存在です。
ヘリコプターとしては珍しくコックピットが高い位置にありボンネットもあります。ボンネットには星型エンジンが収まっていて、それを躱すためにコックピットを上へ逃がしたのです。さらに、エンジンと回転翼をつなぐプロペラシャフトがコックピット内を貫通している豪快な配置をしています。
この個体は1955年製。カナダ海軍で1970年まで務めました。8回の救助活動で人間32名と動物4匹を救い出しています。


ボーイング・バートルCH-113ラブラドール (Boeing Vertol CH-113 Labrador) です。1958年初飛行。
CH-46シーナイトあるいはV-107のほうが名前の通りが良い、タンデム回転翼の救難救助/輸送用ヘリコプターです。アメリカ海兵隊と海軍をはじめ様々な国で運用され、カナダでも空軍と陸軍でも1963年~2004年まで運用されました。
CH-113では、救難救助用に側面に大型扉と救助ホイスト、懸架フックを装備しています。
この個体は1963年製。カナダのCH-113の中で最初に受領した機体であり、また最後に退役した機体でした。CH-113全機退役を記念して軍が博物館へ寄贈しています。


カナダ空軍の救難救助機は、濃いめの黄色に稲妻型の紅白ストライプが非常にかっこいいのです。右側面から生えているのがホイストです。


救助員のジョンソン(仮名)と要救助者を運び出す担架です。

後ろにも出入り口がありにけり。オレンジの脚庫は着水時の浮きにもなります。着水できるんです、これ。



ベルHTL-6 (47G) (Bell HTL-6/47G) です。1945年初飛行。
ヘリコプターとしては初期も初期。1946年初めて民間機として登録されて、初めて民間商用飛行を行った機種です。ベルはもちろん他社でもライセンス生産されて、その数は6400機以上にもおよびました。アメリカ軍の仕事から干されて死にかけていたベルはこれで息を吹き返し、ヘリコプターを俺の生きる道と決めたのでした。
視界が良すぎて逆に不安になりそうな特徴的な泡型の風防は、実は厳格な形状が決められていません。一定程度膨らめばそれでヨシ!みたいな感じらしく、同じ形状の風防は2つと無いのかもしれません。実際、風防により飛行特性がわずかですが変わってしまうことがあったそうな。
この個体は1955年ベル製。カナダ海軍に納品されて、練習機や艦隊の雑務に就いていました。HMCSラブラドールに配属されていた時期もあり。1966年に当館へ寄贈されています。


回転翼に拠らない垂直離着陸機が並んでいます。特に右の機体に注目ですね。
左がハリアー、右がダイナバートです。


カナディアCL-84-1ダイナバート (Canadair CL-84-1 Dynavert) です。1965年初飛行。
カナディアが実験用に製作した双発機で、垂直離着陸と短距離離着陸(V/STOL)を実証するための機体です。エンジンと主翼の角度を水平状態から90度まで起こすことのできるティルトウィング機構を備えています。要はアメリカのオスプレイみたいなものですが、あれはエンジンだけ可動して主翼は固定という違いがあります。



エンジンはライカミングT53ターボプロップです。
まず1号機が製作されて、1965年の初飛行時は通常の水平飛行でした。まあ当然。翌年に垂直離陸からの水平飛行転換に成功しています。意外とできる子なんですよ。試作1号機は最後は試験中に墜落しましたが機体設計上の問題でないこととパイロットは脱出して無事だったので開発は続行されました。
エンジン強化と胴体延長を図ったCL-84-1型が3機製作されました。この個体は3号機で1969年製です。ただし飛行したのはその3年後でした。試験は順調に進んでアメリカ海軍の空母への離着艦も行われました。
それでも、これを売り込む市場が見つからず、最後は1974年に計画中止という結末でした。早すぎたんでしょうかね。この3号機は計画終了から約10年後に当館へ寄贈されました。



主翼は油圧で角度を変える方式のようです。


車輪はこんな感じ。


機体が小さいんですよね。プロペラ直径は普通のターボプロップ機相当しか無いので、垂直離着陸時は結構頑張らないといけなかったのではないでしょうか。主翼の揚力が使えず、エンジン出力だけで機体を持ち上げないといけないですから。この点オスプレイはアホみたいに大きいローターを備えて揚力を確保しようとしています。
これだと機体は相応に小さくしないといけないですね。大きさの割には双発機であることとティルトウィング機構で機体価格が同規模のヘリコプターやターボプロップ機と比べて高くなることは避けられなかったと思います。

というところで今日はここまで。


その53へ→



北米project 5 ~How do you like Canada? その51【2016/6/15~22】

2024-10-23 06:37:00 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の続きです。今度はカナダ空軍の練習機のコーナーです。
ロッククリフというのはカナダ空軍のロッククリフ基地のことです。オンタリオ州オタワにある空軍基地でしたが今は民間のロッククリフ飛行場になっています。また、今いるカナダ航空宇宙博物館が隣接しているところでもあります。この博物館も当たり前のように飛行場の隣に建っているのです。

第二次世界大戦時はイギリス連邦航空訓練計画 (BCATP) による空軍パイロット養成基地のひとつとして運用されていました。
BCATPはイギリスを初めとした連邦各国のパイロット養成をカナダ国内で実施するというものです。カナダは第二次世界大戦の後背地で敵弾の心配が無いので訓練に適しているわけです。カナダはコレに係る費用のほとんどを負担する代わりに、パイロット養成がカナダの主要な戦争貢献になるという言質をイギリスから引き出しました。
これによってカナダは戦争への関与と自国民を戦場へ送り出す人数を最小限に留められたと言われています。スピットファイアのプラモデルを見てみるとカナダ空軍のマーキングの収録が少ないんですが、これのおかげというのもあるでしょうかね。


フリート・モデル16BフィンチII (Fleet 16B Finch II) です。1928年初飛行(コンソリデーテッド14Mとして)。
元々はコンソリデーテッドが設計製造していた2座の複葉練習機をフリート社がライセンス生産したもの。エンジン、着陸装置、操縦翼面の違いによって型式が分けられていますが、モデル10を改良したものがモデル16フィンチ(鳥の名前)で、モデル16内でもいくつかのサブタイプがあります。
BCATPでの初等訓練でタガーモスとともに用いられ、寒冷地のカナダに適した密閉式風防を備えています。この手の練習機にしては数が多い400機が生産されました。ただし長足の進歩を遂げていた当時の航空機の流れにより、1943年以降は単葉機のフェアチャイルド・コーネルに徐々に置き換えられていくことになります。
この個体は、1940年フリート製、カナダ空軍に納品されて1943年まで飛行訓練に使用されました。1947年にアメリカ人の個人に買い取られて民間機として飛びました。1964年にカナダ人が買い戻して1966年に博物館へ寄贈しています。1970年には復元飛行もしたんだそうな。



航空偵察用のカメラです。フェアチャイルドK-3型という機種です。
これは飛行艇に付けられていました。BCATPでは航空カメラの撮影訓練もやっていたんでしょう。


ノースアメリカン・ハーバードMk.II (North American Harvard Mk.II) です。1940年初飛行(AT-6として)。
ご存知、ノースアメリカンの練習機T-6テキサンのカナダ版です。もう説明不要ですよね(手抜き)。BCATPでは高等練習機として使われました。
カナダにおいては現地でライセンス生産された機体も相当数あります。本家ノースアメリカンではB-25やP-51の生産で手一杯だったからです。カナダのノールダイン社では、イギリスとカナダ向けに約2,800機のハーバードMk.IIがライセンス生産されました。Mk.IIは、AT-6相当の機体です。
ちなみに、戦時中の金属不足を見越して胴体後部を木製にした設計が進められていましたが、幸いそういう事態は起きなかったのでボツになっています。また、雪上で離着陸できるようスキー板を履いた設計もありましたが、着陸脚を頑丈なものに交換しないといけないのでこれもボツになりました。これは今まで知らなかった豆知識でした。


ハーバードの外観の特徴として長く延びた排気管があります。それとMk.IIというか戦時中のテキサンの特徴としては窓枠の多い風防が挙げられますね。
カナディアン・カー&ファウンドリー社では、戦後になってT-6G相当のハーバードMk.IVを約550機ライセンス生産しています。Mk.IVは窓枠の少ない風防が特徴です。


この個体は1940年ノースアメリカン製。カナダ空軍に納品されてからは1962年まで飛行訓練に使用されました。1964年に博物館へ寄贈されています。ここの飛行機の中ではあまり移動の少ない機体ですわね。


行き場がなさそうにすみっこで佇んでいるアブロ・ランカスターの機首です。たぶんレプリカなんでしょうけど、別にどっちでもいいですよね。
説明書きによれば、ランカスターの機首だけでも5人の乗組員が必要なんだと書いてあります。その5人とは操縦手、航法士、機関士、爆撃手(兼前部機銃手)、通信士なのであります。あとは省略されたけど中央と尾部の各機銃手2人もいます。
爆撃機を飛ばすのにもそれぞれ分野の異なる人員がこんなにいるので、人件費の係るコストの高い兵器なのだということです。撃墜された時の損耗も大きいですね。


アブロ・アンソンMk.IV (Avro Anson Mk.V) です。1935年初飛行。
イギリス初の単葉・引込脚装備の双発機です。輸送、偵察、訓練、爆撃などだいたい何でもこなしていた「忠実なアニー」です。カナダ空軍ではBCATPの一環で多発機の練習機として多数が運用されました。
初めはMk.IIがカナダ内の複数社で約1,800機ライセンス生産されました。Mk.IIの胴体は鋼管羽布張りだったんですが、これを木製合板に改良した「ビダール・アンソン」ことMk.Vが1943年に初飛行しました。羽布張りから合板に変わったおかげで、寒冷地のカナダ特有の冷たい風によって体を冷やされることがなくなりました。このMk.Vもマクドナルド・ブラザーズ社とカナディアン・カー&ファウンドリー社により約1,000機がライセンス生産されました。
戦後は余剰機が民間へ放出されました。カナダ北部の磁気調査では合板胴体のアンソンは重宝されたんだそうです。


この個体は1945年マクドナル・ブラザーズ製です。マクドナルでは748機生産したんだそうな。カナダ空軍に納品されて、1954年まで輸送任務などで運用されました。1964年まで保管された後、博物館へ寄贈されています。


リンク・トレーナーという飛行訓練装置、すなわちフライトシミュレーターです。デパート屋上の遊具みたいな格好をしていますが、大真面目のフライトシミュレーターです。
1929年にアメリカ人発明家のエドウィン・リンクが考案しました。だからリンク・トレーナーです。これが出現したことで実機で飛行するよりも前の段階で地上にいながら飛行操縦のいろはを学べるようになったのです。
コックピットは当時の練習機と同じ操縦装置が配置されていて、それを動かすと空気圧によって機体が傾くのです。あとは、動翼も操縦したとおりに動きます。これは訓練生がどういう操縦をしているか教官が目で見て確認できるための機能でしょう。
ちなみにフライトシミュレーターには蓋がついています。蓋を閉じて真っ暗な中で装置を動かすことで、計器飛行の訓練ができるんだと思われ。
50万人以上のパイロットがこれを使って育てられたとされています。カナダでもBCATPで導入されました。


フェアチャイルド・PT-26BコーネルMk.III (Fairchild PT-26B Cornell Mk.III) です。1942年初飛行。
フィンチとタイガーモスに代わる初等練習機です。複葉練習機を単葉にしたような見た目ですかね。主翼桁はなんと木製だそうな。金属製と比べると耐久性が悪くて毎年検査がいるので民間市場では不人気だったとかで。
元々はアメリカ軍の複葉練習機置き換え用の機体ですが、カナダでもフリートが約1,600機ライセンス生産しました。


PT-26は、PT-19のカナダ版という感じ。フィンチと同じで、寒冷地対策の密閉式風防が追加装備されています。初期型はPT-26AコーネルMk.IIで、マイナーチェンジ版がPT-26BコーネルMk.IIIです。
この個体は1942年フリート製。カナダ空軍に納品されて、1944年まで初等訓練に用いられました。その後は1962年まで長期保管されていて、最後は博物館へ寄贈されています。


デ・ハビランドDH.82タイガーモス (De Havilland DH.82 Tiger Moth) です。1931年初飛行。
ご存知イギリスの有名な複葉練習機です。DH.60ジプシーモスの軍用型です。
カナダにもやってきて、寒冷地対策の密閉式風防付きのDH.82Aと頑丈なブレーキと降着装置を付けたDH.82Cが生産されました。
カナダ生産分には、アメリカ製メナスコエンジン搭載機もあり、メナスコモスと呼ばれていたそうな。

これから機体に乗り込む訓練生と教官のちょっとした小芝居が展開されています。


この機体の経歴については、よく分からなかったです。


BCATP練習機軍団はこれで以上です。

というところで今日はここまで。


その52へ→



【1/72】ダグラスB-18BボロASW アメリカ陸軍【ギャラリー】

2024-10-17 06:34:00 | 模型ギャラリー
キット:B-18B 「対潜哨戒機型」(スペシャルホビー)
仕 様:アメリカ陸軍第6空軍 (#7623)

スペシャルホビーの1/72B-18Bを作りました。大きいです。
ダグラスB-18は、同社の傑作旅客機DC-2を原型に開発したアメリカ陸軍向けの双発爆撃機です。胴体は爆撃機用に新規設計されていますが、主翼、尾翼、エンジンはDC-2の物を流用しています。1935年初飛行。
ボーイングB-17とは同世代でかつ主力の座を争う競合同士でした。B-17と比べると性能は劣るもののB-18は価格が安いことから、戦間期で軍の予算も少ないアメリカ陸軍にとってはこちらの方が当時は適していました。よってB-18の方が採用されて1937年から配備が始まりました(高性能を惜しまれたB-17も並行して採用されてますけど)。
ところが第二次世界大戦が始まってアメリカも太平洋戦争に引きずり込まれる頃には元々低かった性能が完全に時代遅れの物になってしまいました。金食い虫扱いだったB-17がその高性能を再評価されてアホみたいな数を生産されるのに対して、B-18の方が日陰者になってしまいました。
爆撃機としては使えなくなったB-18は、増加していたドイツのUボートの攻撃に対応するためにUボート狩りを生きる道と決め、対潜哨戒機として生まれ変わるのでした。




パット見は確かに変わった胴体をしたDC-2/DC-3のように見えるんですね。
機体は第6空軍所属の物です。そこはカリブ海など中南米に展開された陸軍航空隊でした。そこのUボート狩りに従事していたわけです。ちなみにASWというのは対潜哨戒機 (Anti Submarine Warfare) の意味です。
この#7623は胴体と主翼下面がオイスターホワイトに塗られた、変わった機体です。なんでかは分からないですが、なんらかの迷彩効果があったんでしょうね。



前にも書きましたけど、ボロ (Bolo) というのは、フィリピンにある大きなナイフの名前です。だが同時にアメリカでは射撃の下手くそなやつ、というスラングも持っているようです。そんな意味を持つ名前をよりによって爆撃機につけるセンスを疑いますが・・・。
あと、日本においてはボロというのは相当に損をする名前なので、今後は避けたほうがいいですね。





主翼の平面形はDC-2と同じですね。主翼の外側と内側を取り外せるような構造も同じです。












下面は全面ホイスターホワイトです。この色の飛行機は珍しいので塗料の選定にはちょっと悩みました。やや黄色みがかったタミヤのレーシングホワイトを使いました。



爆撃機はとにかく風防が多いので嫌になってしまいます。


なんでこれのキットを買って作ったかというと、アメリカの博物館で実機を見て妙に印象に残っているからですね。カバみたいな機首がなんだか気に入ったのです。


エンジンはDC-2と同じR-1820です。実はB-17も同じエンジンを積んでいるんですが、B-17は4発積んでいる上にターボチャージャー付きなので性能がダンチなわけです。その分調達にかかる金額も高かったわけです。





磁気で潜水艦を探知するためのMADブームが尾部先端に付いています。


以上、B-18Bボロでした。




【スペシャルホビー】B-18BボロASW【プラモデル製作】

2024-10-15 11:19:00 | 航空機模型製作記
今回は大型キットを作ろうということで、スペシャルホビーのB-18Bボロを選びました。
B-18はダグラス製のアメリカ陸軍の爆撃機です。型番の通りボーイングB-17と同世代です。B-18はダグラスDC-3を原型にして比較的低廉な爆撃機として開発されました。ただし性能もそれなりだったので第二次世界大戦の第一線を張ることはできず、今回のキットのように対潜哨戒機へ転用された物もありました。




ランナー紹介です。大きい胴体が目に入ります。さらに胴体内の内装も部品で再現されています。


左主翼など。


右主翼など。


エンジンカウルやプロペラなど。


風防。機首の爆撃窓もあります。透明度も十分です。


エッチング部品とレジン部品。必要に応じて使いました。


機銃など。


窓ガラス部品はのりしろなどが無く、嵌め合いもよくないのですり合わせが必須です。ちまちまと片付けましょう。


チリ合わせも済ませました。このあとガラス部品はマスクして塗装に備えます。
他に胴体の合わせ目消しなどもありますが、意外と苦戦せずに塗装段階まで持っていくことができました。意外と組み立てやすいかも。


塗装中の写真は撮影しないままここまできてしまいました。
胴体と主翼を接着しますが、ガタが大きいのでマスキングテープで仮固定しながら接着剤が固まるのを待ちます。


デカールのできはいいですね。


主脚は塗装後の後ハメだと位置決めに少し苦労しますが、先に組み立てると塗装中に破損してしまう可能性が高いので、ここは譲れません。
写真は最後にはめ殺しのように組み付けます。脚を折らないように注意します。


そんなこんなで完成しました。実質1/72スケールのDC-3のようなものなので、大きいです。


オイスターホワイトの胴体が特徴的な塗装です。これはタミヤのレーシングホワイトで塗りました。
塗装剥がれや排気汚れなどのウェザリングを多少施してあります。


カバみたいな飛行機です。


対潜哨戒用のMADブーム。


でかいですねぇ。存在感のある作品に仕上がったと思います。
完成品はギャラリーにて。

<使用塗料>
機体:LP39レーシングホワイト
主翼:H52オリーブドラブ
機内:N58機体内部色
シートベルト:N44薄茶色
操縦席:N69 RLM65グレーバイオレット
エンジン:H18黒鉄色
主脚、プロペラ:C8シルバー




九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その20【2018/9/19~23】

2024-10-12 18:49:00 | 旅行・イベント記
2018年9月22日(土)7時43分
鹿児島県鹿児島市 HOTEL&RESIDENCE 南洲館
九州旅行4日目の朝です。旅館で朝ご飯を食べています。黒豚のしゃぶしゃぶや鶏飯などの郷土料理が提供されており、満足度が高いです。
今日は鹿児島市内の名所と桜島を回ろうと思います。


旅館を出て市電の通りまで出てきました。今日はいい天気ですね。


これから乗る観光周遊バスが来るまでの間、鹿児島市電(鹿児島市交通局)と路線バスを撮影します。
これは鹿児島市電1000形。


鹿児島交通のいすゞ・キュービック(#795) #7系統慈恩寺団地です。車体をよく見ると「民営」を強調していたり「赤字補填はありません 頑張ります!」と書かれていたり、なんだか異様なメッセージを出しています。なんだこれ。
鹿児島交通、というかいわさきコーポレーションについてはいい話が聞こえてこないですが、このブログでは深入りするのはやめときます。


鹿児島市営バスのふそう・MP38エアロスター(#1753) #11系統鴨池港。


第31走者:鹿児島市交通局カゴシマシティビュー(いすゞ・エルガ)天文館9:09→仙巌園9:49
鹿児島市内の観光名所を回る周遊バス「カゴシマシティビュー」に乗って仙巌園に行きます。奥の黄色いバス(LV290エルガ)の方です。


名所を回るのでさながらはとバスのようにバスに乗りながら観光地巡りができます。この建物は鹿児島市中央公民館です。
公民館には不釣り合いなただものじゃない威厳を感じ取れるこれは、1927(昭和2)年竣工の鹿児島市公会堂をルーツとする建築物なのです。昭和天皇のご成婚記念事業なんだとか(当時は大正13年なので皇太子)。片岡安の建築。
立派な近代建築である上にいまだ現役で使われている建物です。車窓からは他にもいくつかの近代建築が見え隠れしていて、鹿児島市ってもしかして近代建築物の宝庫なのでは?


これは”民営”の鹿児島交通が運行するまち巡りバス「せごどん号」です。日デ・スペースランナーRN+富士8E。よそ様向けのバスだからか、露骨な市営バス批判...もとい民営アピールはこれには書かれていないですね。
これもカゴシマシティビューと同じ観光地周遊路線バスです。運行経路もだいたい同じで、どちらも1日乗車券あり。ガチンコに競合しています。外から来た観光客にはややこしいんで一本化してほしいものですが、仲良くやる気はなさそうです。
使う人がどう動くかにもよりますが、カゴシマシティビューで使える1日乗車券だと他の市営バス路線と路面電車にも乗れます。なので私も市営バスの方を選びました。


バス停を降りてすぐに仙巌園に着きました。
仙巌園というのは1658(万治元)年に薩摩藩主の島津家が建てた別邸です。鹿児島湾と桜島を借景とした庭園が魅力。


園内に入るとまず石垣が目に入りますね。屋敷の跡か何かでしょうか。
庭園は後のお楽しみのようです。


屋敷じゃなくて反射炉の跡でした。1851(嘉永4)年に建造に着手したものです。
反射炉は、鉄を溶かして鋳造するための施設ですね。外国からの脅威に備えるための大砲、砲弾、船に鉄が必要になるので建てられたわけです。そういう国家防衛のための一連の事業および工場群が集成館というやつで、反射炉もその一部なわけです。


初めに建てた反射炉は崩れて失敗しちゃったので、続けて建てた2号炉が最初に実用化した物だそうな。1857(安政4)年のことでした。
明治時代に焼失してしまい、いまはこのように基礎だけ残っています。基礎だけだとあんまり構造がわからないですな。


正門です。1895(明治28)年築。大河ドラマ「篤姫」で登場。


まだまだ夏ですねー。


錫門、江戸時代の正門です。屋根は薩摩藩特産の錫の板になっています。島津家当主とその世継ぎしか通れなかったんですと。


磯御殿です。明治時代になると島津家はここに移り住むようになり、その居住地とした御殿です。


あれも磯御殿。二階建てだし窓ガラスがあるし、なんだかあそこだけ異空間。


んじゃ、上がらせてもらいましょうか。


廊下も畳敷きなのね。


壺です。間違い探しか何か?
ではなく、島津家当主がロシアのラストエンペラー、ニコライ2世の戴冠式の時に贈った壺の複製です。一対でひとつです。


ロシア皇帝の王冠の下にはニコライ2世の頭文字Hを象った模様。


縄の衣装がおしゃれだな~と思い写真に収めていました。

というところで今日はここまで。


その21へ→



九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その19【2018/9/19~23】

2024-10-10 06:22:58 | 旅行・イベント記
肥薩線の特急「はやとの風」で鹿児島中央へ移動中です。大隅横川駅を出発して、霧島温泉駅の次に停車したのは嘉例川駅です。ここも昔の駅舎が残っているのです。


窓口はこんなかんじ。当時ものっぽい雰囲気ですかねえ。


良い明治駅舎です。今まで見てきた肥薩線の明治駅舎と似た造りになっていて、これはやっぱり当時の逓信省が規定した規格によって建てられているんだと思います。


駅前ねこ。


隼人駅に着きました。肥薩線の線路はここで終点となって、この先は日豊本線となります。よってこれにて肥薩線は完乗です。


列車は鹿児島湾沿いを走ります。今日は雲がだいぶ低いですが景色がいいところですね。奥に見える山が桜島です。


終点の鹿児島中央駅へ到着しました。博多駅からの列車の旅もこれで終了です。まさに九州縦断でありました。
反対側から「はやとの風」のキハ47を撮影。


415系が入ってきました。415系は4両編成ロングシート車なので、朝夕ラッシュ時には重宝されているようです。


せっかくなので新幹線ホームにも上がってみます。N700系7000番台「さくら」557号が到着しました。


鹿児島中央駅は九州新幹線の終点です。東京駅から延びてきた新幹線の線路もここで終わりです。線路の終端の先には駅ビルが建っています。


800系「つばめ」338号が博多駅へ向けて出発しました。


また在来線乗り場に戻って、415系を撮影。満足行く記録ができたので鹿児島中央駅を出ます。


第30走者:鹿児島市電2系統鹿児島駅前行(2100形)鹿児島中央駅前17:55→天文館通18:17
鹿児島市電に乗り換えて旅館の最寄りの電停を目指します。鹿児島市中心部へ来るのは2度目ですが前回はレンタカーだったので路面電車に乗るのは初めて。どんなものか楽しみですがそれは明日以降。


天文館通で下車します。ここが鹿児島市の繁華街です。ここの商店街を抜けて旅館まで歩きます。
ちなみにこのカットは水曜どうでしょうの対決列島の企画で映った箇所だったはずです。


ついでにここで夕ご飯を食べることにしまして、今日のところは黒豚のとんかつにしましょう。黒豚と言っても六白黒豚という品種だそうな。


南洲館という旅館にたどり着きました。ここが明後日までの間、黒鉄重工の前線司令部となります。


お部屋。寝て過ごすには十分です。


疲れたところに芋焼酎のバーカウンターがあったのでひと通り飲んでみました。普段芋焼酎は飲まないですけど、うまいです。
では3日目はこんなところでおしまいです。明日は鹿児島市の観光です。

その20へ→


 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その50【2016/6/15~22】

2024-10-05 23:24:11 | 海外旅行記
次は航空機エンジンのコーナーです。10種類くらいのカナダにまつわるエンジンが並べられています。100年くらい前に作られたエンジンまでありますが、どれも新品のようにきれいな状態になっています。ここはさくっといきましょう。

これはギブソン社 (Gibson) の液冷直6ガソリンエンジンです。飛行家のウィリアム・ウォーラス・ギブソンが1910年に自分で設計した機体に搭載したエンジンです。これはギブソンが製作した2番目のエンジンで、カナダ人が設計したエンジンとしては現存最古の物です。どうやら1番目は現存しないようです。
ギブソンの機体「ツインプレーン」は1910年にブリティッシュコロンビア州ビクトリアで初飛行しましたが、そのまま墜落してしまいました。幸い操縦したギブソンとエンジンは無事で、翌年は次の「マルチプレーン」でアルバータ州カルガリーで何度か飛行に成功しています。
エンジンを見たところの特徴は、プロペラシャフトが前後両側に伸びていることでしょうか。これ、エンジンを中心に2枚のプロペラを配置しているためです。ツインプレーンの写真からも確認できます。



ダラック社 (Darracq) の液冷水平対向2気筒ガソリンエンジンです。1907年にブラジル生まれのフランス人、アルベルト・サントス・デュモンが開発しました。
彼の開発した超軽量飛行機「デモワゼル」という(そういう名前なの)に搭載されました。次第にその能力が認められて生産の発注が舞い込んでくることになりました。
この時エンジンの生産はフランスの自動車メーカー、ダラック社に発注しました。この時エンジンに係る特許をちゃっかりダラックが取得して、デュモンは揉めたそうですが・・・。結局デュモンが引き下がって生産は続行されましたが、この係争で疲弊したデュモンは航空事業から撤退したという後味の悪い最後でした。


カーチス・OX-5液冷V8ガソリンエンジンです。1915年アメリカ人のグレン・カーチスが設計したエンジンで、アメリカ人設計のエンジンでは初めて量産された型式です。同社が開発した軍用練習機JN-4ジェニーの搭載エンジンです。
当時の競合機と比較すると出力が強力でもないし造りが先進的でもなかったです。ただしエンジンの値段が安いことと回転数を低く飛行できるので燃費が良いことから民間市場では人気があり、12,000台のエンジンが生産されています。
1909年カナダで初めて飛行した動力付き飛行機「シルバーダート」のエンジンはOX-5の直系の先祖にあたる、ということでここで展示されているようです。



ビアードモア社 (Breadmore) の160HP液冷直6ガソリンエンジンです。
1914年フェルディナント・ポルシェ監督の下、オーストロ・ダイムラー社製エンジンのライセンス生産版としてイギリスのビアードモア社が生産したものです。
名前通り160馬力を出すエンジンなわけです。第一次世界大戦時の1916年からイギリスにある2社で2500台が生産されました。でも他のエンジンと比較するとあまり強力ではなかったので、観測機、戦闘機、軽爆撃機に搭載されました。


ルノー (Renault) 8Ca 液冷V8ガソリンエンジンです。
フランスの自動車メーカー、ルノーが開発した航空機用エンジンです。同じ出力の他のエンジンと比べると重くて整備も煩雑だったようなので、あまり成功はしなかったそうな。第一次世界大戦時、フランス製の観測機や練習機に搭載されました。


ベントレー (Bentley) B.R.1 空冷ロータリー9気筒ガソリンエンジンです。ここで言うロータリーエンジンとは、マツダの同名のエンジンとは違うものだよというのは弊ブログでも何度か説明していますね。
第一次世界大戦時のイギリス製エンジンの傑作です。有名なソッピース・キャメル戦闘機のエンジンもこれです。
ベントレーというのは、これも自動車メーカーのベントレーのことですね。


ロールスロイス (Rolls-Royce) イーグルVIII 液冷V12エンジンです。
1915年、自動車メーカーというか航空機エンジンメーカーでもあるロールスロイスが極初期に開発したエンジン、それがイーグルです。でかいエンジンなので重爆撃機や対潜哨戒飛行艇なんかに搭載されました。戦後もハンドレページやビッカースの民間機エンジンとして採用されたそうな。
イーグルVIIIという名前の通り、幾度も改良されてきたわけです。最初のI型は225馬力だったのが、1917年から生産され始めたこのVIII型は300馬力あります。


ライト (Wright) J-4B 空冷星型9気筒ガソリンエンジンです。
Jシリーズと呼ばれとるエンジンのひとつです。後にはワールウィンドシリーズと呼ばれとりまして、こっちの名前のほうが有名かね。
安定した空冷エンジン供給がほしいアメリカ海軍の思惑によりライト社がエンジンの開発元を買収しろと命じたっていう、なるほど昔はこんなことしていたのねっていう。
1924年に最初のJ-4型が開発されました。アメリカ製星型エンジンとしてはよく成功した物で、以降30年間は空冷レシプロエンジンは星型が優位となりました。
リンドバーグの大西洋単独横断飛行に使われたセントルイス魂号のエンジンにはこのシリーズが使われました。あとはフォード、ウェイコー、トラベルエアなどのメーカーの飛行機にも。フォードというのは自動車メーカーのフォードですね。この頃は航空分野もやっていたのよ。


ネイピア (Napier) ライオンII 液冷W12です。W型エンジンって何って話ですが、1列4気筒のシリンダーを3列配置した物です。同じ気筒数のV型よりもクランクシャフトが短くできる代わりに横幅が広くなります。これ、初めて見ましたよ。というかネイピア社ってこんな頃からこういうエンジンを・・・。
軍民問わず広く採用されて、商業的には成功しました。レース機にも使用されたそうな、なんだか意外。


ホール・スコット (Hall-Scott) A-7A 液冷直4ガソリンエンジン。
アメリカのホール・スコットはこれも自動車メーカー(1910年~1960年)で、1910年代の開発でスタンダード社J-1練習機の動力に使われていました。作動中に火災が起きやすい問題がありましたが、この時代のエンジンは多かれ少なかれそういう症状持ちが多いので相対的な問題でした。


ここらへんから時代が進みます。プラット&ホイットニー・カナダ (Pratt & Whitney Canada) PT6A-20です。これはピストンじゃなくてガスタービンのターボプロップエンジンです。
1960年開発のターボプロップエンジンの傑作で、軍民問わず様々な機種に採用されていて、ターボプロップ市場では最大手です。カナダの宝。


プラット&ホイットニー・カナダPW120ターボプロップエンジン。
PW120はPW100の派生型で、PT6とは別系統のターボプロップです。PT6と比べて出力が高いようです。ボンバルディアDHC-8シリーズなどが主な搭載機です。


プラット&ホイットニー・カナダ JT15D-1ターボファンエンジン。
1971年登場のビジネスジェットなど小型機用のターボファンエンジンです。主な搭載機はセスナ・サイテーションです。
ターボファンにしては珍しい、遠心圧縮機を使用しています。


最後にレシプロに戻りますが、これはネイピア・セイバーVIIです。このエンジンを見れるとは・・・!
1938年に完成した、液冷H型24気筒スリーブバルブ付き、出力は1号機では2400馬力、最終的には3500馬力というとんでもねえやつです。
H型というのは、V型エンジンを上下に2つ重ねたようなものです。なのでこれの場合1列6気筒が4本ある格好です。原理的には星型エンジンと比べて高出力化と小型化に期待できましたけど、見ての通りの複雑さなので設計に色々無茶があり、信頼性に難のあるエンジンでした。
当時のイギリスのエンジンはセイバーでなくても定評の高いマーリンにグリフォン、同じスリーブバルブ付きにもセントーラスがありましたから、あまり活躍の機会はなかったみたいです。セイバーの搭載機がハリケーンやテンペストだったのも運がなかったとも言えますが・・・。


どういう構造しとるねんという感じで、ひと目見ただけでは何も理解できなかったです。

というところでエンジン編は以上。今日はここまで。

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