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九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その23【2018/9/19~23】

2024-11-27 23:52:21 | 旅行・イベント記
2018年9月22日(土)15時01分
鹿児島県鹿児島市 桜島港
桜島フェリーに乗って桜島へ降り立ちました。駅前ならぬ港前の建物たち。パチンコ屋があるのが趣深いですね~。


鹿児島市営バスの日野・レインボーRJ (#417) の#60系統桜島苑行きです。桜島の北側沿岸を走る路線です。
で、このレインボーは元桜島町営バスの車両です。旧桜島町が鹿児島市と合併したので、町営バスも鹿児島市交通局に移管されました。ただし車体塗装は町営バスの物を維持しています。


第34走者:鹿児島市交通局サクラジマアイランドビュー7号(日野・レインボーII)桜島港15:30→桜島港16:30
私は桜島初心者なので、まずは桜島の定番地を一周するサクラジマアイランドビューという循環バスに乗ります。循環運転型の路線バスなので途中の停留所でも乗降自由ですが、主要な停留所では停車時間が長めなので基本的に1便で一周できるようになっています。
運用に就くレインボーIIは専用塗装の車です (#1280)。


最初は烏島展望所。烏島は名前通り桜島海岸から500m隔てた海に浮かぶ小島だったのが1914(大正3)年の大噴火による溶岩で埋め立てられて陸続きになってしまったのです。
桜島は北岳(左)と南岳(右)の2つの火山がありにけり。異なる時代にできた火山で、北岳のほうが古いです。今日は南岳が噴煙を上げて営業中です。


これはサクラジマアイランドビューの続行便のエルガ (#1502) です。なかなか人気のある路線なんですのよ。


次は赤水展望広場です。鹿児島湾がよく見えるよ。


ここは桜島を眺めるというよりかは、鹿児島県の誇る音楽スター長渕剛のライブ会場跡地を公園に整備した場所です。2004(平成16)年、当時人口6000人だった桜島町に7万人超の長渕剛ファンが詰め寄ったのです。
この叫びの肖像という溶岩を使った石像は公園整備時に作られたもの。今日も長渕剛が桜島に向かって叫んでいるのですよ。


君も桜島に向かって叫んでみよう!


赤水展望広場を出発すると、バスは山道の進んでいってどんどん標高を稼いでいきます。するとたどり着くのが標高373mの湯之平展望所です。ここが一般人が立ち入れる桜島の最高地点です。桜島観光ハイライトのひとつですね。


サクラジマアイランドビューのバス2台のほかに、JR九州の定期観光バスの真っ赤な日野・セレガがいました。


間近に迫る北岳です。日当たりもいいですし、いい感じですよ。


石碑があると観光地感が増していいんですよ。


さっきと桜島を見る角度と距離が異なるので、だいぶ違った形状になってます。南だけはあまりよく見えないですね。


360度大展望なので鹿児島の市街地も一望できます。鹿児島湾上には桜島フェリーが反航しています。


あんなに活発に活動している活火山にここまで近づけるのもよく考えるとすごいことなんですよね。


第34走者:鹿児島市交通局サクラジマアイランドビュー8号(日野・レインボーII)桜島港16:35→レインボー桜島16:37
桜島港に戻ってきました。今日は割と昼間一日中歩き回って疲れたし汗もかいたしでぐったりしたので、ひとっ風呂浴びていこうと思います。
そこで、サクラジマアイランドビューにもう一度乗って、すぐそこのレインボー桜島という国民宿舎で降ります。一日乗車券を買っているので、こういう乗り方もできるのですよ。


桜島の大きな転機となった大正噴火は、今回回っただけでも何度も聞きましたが、結局詳しいところまで学ぶことはできませんでした。ここらへんは次回の履修科目ですね。


何はともあれ温泉です。ここらへんは、桜島マグマ温泉っていうんだそうな。すぐそこに火山があるのでお湯が新鮮なかんじでした。さっぱりできました。わはは。


帰りは歩いて鹿児島港まで戻りました。
さっきも見たレインボーが戻ってきていました。#60系統桜島病院行きです。

というところで今日はここまで。


その24へ→


 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その54【2016/6/15~22】

2024-11-22 23:24:25 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の続きです。最後の区画、ジェット機の間へ入ります。この博物館もいよいよ大詰めです。主に第二次世界大戦後のカナダ空軍のジェット戦闘機を展示している場所です。時代が近いだけあって馴染みのある顔も多いです。


デ・ハビランドDH.100バンパイアMk.3 (De Havilland DH.100 Vampire Mk.3) です。1943年初飛行。
イギリス生まれの初期のジェット機のひとつです。第二次世界大戦中に初飛行しましたが戦中の実戦配備はされませんでしたが、戦後はイギリスを始め15カ国で運用されました。カナダにも初めてのジェット機として導入されました。カナダ空軍の戦闘機ではイギリス製はこれが最後となり、以降はアメリカ製あるいは自国製の機体になります。
この個体は1948年製で、ケベック州の第1戦闘運用訓練部隊 (No.1 FOTU) で運用を始め、最後は1956年までバンクーバー市の第442飛行隊にいました。退役後は保管されていましたが1964年に博物館入りしました。
カナダの博物館だと割と見れますけど、隣のアメリカだとそこそこ珍しいやつです。


バンパイアのジェットエンジン、デ・ハビランド・ゴブリン2です。
遠心圧縮式なので全長はそんなにないんですよねー。排気口の短さを活かすために考えられたのがバンパイアのあの変わった外形になるわけです。


空気取り入れ口は2つに分かれているんですね。


カナディアT-33AN (CT-133) シルバースターMk.3 (Canadair T-33AN Silver Star Mk.3) です。1948年初飛行(TP-80Cとして)。
いつもの博物館の常連です。ロッキードが開発したジェット練習機ですが、カナダではカナディアがライセンス生産していました。カナディア製ではエンジンにロールスロイス・ニーンを搭載していて、元のアリソンエンジンよりも強力になっています。全部で656機製造され、カナダ以外にもボリビア、フランス、ギリシャ、トルコ、ポルトガル向けに輸出しています。


この個体は1957年製で、カナダ空軍の訓練部隊で運用されました。1961年2月に朱色に塗り替えられて、単機で曲技飛行をする「レッドナイト」となりました。1964年に博物館入りしています。カナダ空軍最後のCT-133は2002年退役なので、ずいぶん早い引退でした。
機体は「レッドナイト」の塗装のまま収蔵されています。機首のマークもそのまま残っています。


尾翼です。
胴体の国籍章は楓の葉が小さめですね。


主翼端の燃料タンク。内側は防眩用につや消し黒で塗られています。塗分範囲はこんな感じです。


なぜか二輪車の展示がところどころにありました。
これはアリエル社のスクエア・フォア4G Mk.I (Ariel Square Four 4G Mk.I) です。1949年イギリス製です。1000cc4気筒エンジンなんですが、シリンダーが田の字の箱型に並んでいるのでスクエアという名前になっているんだそうな。
それって後ろのシリンダーは冷却できないんじゃないんすか、と思ったらやっぱりそういう傾向だったみたいです。現代では見かけないわけですね。



巨大な遠心装置です。コンクリートの円形擁壁の中には人間が入れるだけの大きさのゴンドラがあって、それに人間を乗せてぐるぐると回すわけです。これは拷問装置ではなくて、今で言うところの戦闘機パイロット用の耐Gスーツの原型を開発するための実験装置です。
1930年代後半、トロント大学医学部のウィルバー・R・フランクス博士は、戦闘機が急激な機動を取るとパイロットの下半身に血流が偏ってブラックアウトや失神することを突き止めました。加速度(G)というやつです。そんで、周りを水で囲んだ試験管は高速で遠心機にかけても破損しないことも突き止めました。遠心力が相殺されるからです。
この試験管を人間に置き換えれば戦闘機で大きな機動を取ってもパイロットを高加速度から保護できるんじゃね?と考えて開発されたのが初期の耐Gスーツです。水を満たしたスーツの圧力で下半身に逆圧を与えて血流が集まるのを防ぐのです。フランクス自らがそれを着用して実際の練習機でその効果を実証し、1941年に実用化を果たしました。


ゴンドラの現物です。乗るのを考えただけで目が回る・・・。
なお、画期的だった水を使った耐Gスーツはものの数年で空気式のスーツに淘汰されてしまいました。戦闘機の行動範囲が気温の低い高高度へ移行していくと、熱伝導性が高くかつ氷点下で凍結してしまう水ではパイロットの体温をみるみる奪ってしまうのでアカンわけです。あとは装着するとすげー重いのも問題でした。
数年度にアメリカ軍が開発した空気膨張式の耐Gスーツが登場するとそれが一般化しました。


今度は四輪車です。オールズモビル・スーパー88デラックスセダン (Oldsmobile Super 88 Deluxe Sedan) ですぞ。1956年GMカナダ製。
この時代のオールズモビル乗用車のベースモデルで、スーパー88はその上位グレードという位置づけ、だそうな。


F-86セイバーとMiG-15という朝鮮戦争永遠の好敵手の並びです。ただここの機体はよく見るとびみょーに違うものが置いてあります。


カナディア・セイバーMk.6 (Canadair Sabre Mk.6) です。1947年初飛行。
いわゆるノースアメリカンF-86セイバーです。1950年~1958年にはカナディアでもライセンス生産していました。
かつてのカナダ空軍の主力戦闘機でした。今まではイギリス製戦闘機を導入してきましたが、NATO加盟国の責務を果たすためにセイバーを選択したとされています。1950年代初頭のNATOでは(アメリカを除いて)カナダ空軍のセイバー以外には後退翼を持った戦闘機はおらず、無敵状態だったそうな。
カナダのセイバーはカナディアで生産されました。初期型のMk.2は本家F-86と同じ仕様でしたが、Mk.5とMk.6では自国開発したアブロ・カナダ製オレンダエンジンを搭載しました。本家のゼネラル・エレクトリックJ47の上位互換であり、さらにMk.6では前縁スラットを復活させたため機動性も良く、セイバーの中でも最強でした。


パイロットのコヨーテ(仮名)がよっこらせとコックピットに乗り込もうとしている様子。


この個体は1955年製。カナダ空軍納品後にNATO最前線の西ドイツの第444飛行隊に配備、西ヨーロッパ防衛を務めました。1961年にカナダへ帰国、1964年に博物館入りしました。塗装は第444飛行隊のコブラマークが残されています。


WSK Lim-2 (MiG-15bis) です。1948年初飛行。
こちらもご存知、ミグ戦闘機です。厳密に言うとポーランドのWSKというメーカーで生産されたLim-2という機種ですが、基本的にMiG-15と同じとくくっていいでしょう。ソ連製だけで1万2千機、Lim-2みたいなライセンス生産機もいれると1万8千機以上造ったベストセラー機でした。ジェット戦闘機としては最多生産数を誇ります。
朝鮮戦争で自称北朝鮮軍の機体が華々しくデビューしたのが有名です。この時操縦していたのは自称北朝鮮人でしたが、機体もパイロットもソ連から派兵されたものだというのは、アメリカも認める公然の秘密でした。アメリカ対ソ連の構図になって朝鮮戦争が第三次大戦に膨れちゃうのを避けるためでした。
というところまで書いて、いま2024年になって宇露戦争で北朝鮮がロシアに派兵しているのはこの時の構図を反転させたみたいじゃないか...という気づきを得ました。まあ偶然の事象なんでしょうけども。
このように西側諸国の鼻っ柱を折ったジェット戦闘機なわけですが、その肝心のエンジンは実はイギリスのロールスロイス・ニーンのコピーでした。うっかり労働党がニーンエンジンをソ連へ売却してしまったからですね。間抜けです。


エンジンを中心に飛ぶために必要な部品を最低限付けただけみたいな贅肉のない機体をしています。おかげでプラモデルを作るときにはオモリを入れる空間が少なくて苦労させられるわけですが(プラモだと重心が後ろ側になり尻餅をつくので機首側におもりを仕込んでバランスを取るのだ)。
この個体は1954年製で、初期不良を克服したbis型です。ポーランド空軍で使用されて、退役後はポーランド人コレクターが所有しました。1998年に博物館とこのコレクターとの物々交換により当個体を入手しました。
ポーランドからの移送時は、変に機体を溶断したりなどせずカナダ空軍のC-130輸送機2機を使って空輸してきたんだとか。


燃料タンク付きなのもうれしいです。


武装は、右舷に対爆撃機用の37mm砲1門、左舷に23mm機銃2門です。


ビンセント・HRD シリーズBラパイド (Vincent-HRD Series B Rapide) という二輪車。1950年製のビンテージバイクです。
どういう二輪なのかよく知りませんが、すげーバイクなんだよ!という記事をよく見ますね。

というところで今日はここまで。


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北米project 5 ~How do you like Canada? その53【2016/6/15~22】

2024-11-18 06:54:00 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の回転翼機コーナーの続きです。
これは、ブリティッシュ・エアロスペースAV-8Aハリアー (British Aerospace AV-8A Harrier) です。1960年初飛行。
ご存知、世界で初めて実用化された垂直離着陸できる固定翼機です。ヘリコプターも垂直離着陸できますが、あれは回転翼機なのでそもそも土俵が違います。
ハリアーが積んでいるペガサスエンジンというのがキモで、ジェット噴流の排気口が左右に分かれていて、しかも口を下に向けたり後ろに向けたりできます。最初は下に向けることで垂直に離陸していって、徐々に排気口を後ろへ向けていくことで前進して飛んでいくのです。ちょっと危なっかしいがそれがハリアー独特の発進法でね、上がっちまえばどうって事無い!自転車だってそうだろう?一度乗ったらコツは一生忘れねえモンだ!
ハリアーの開発史はそれはもういろいろな実験機を経てのものですが、ここで書くと1回分潰してしまうのでそれはまたいつか(手抜き)。


ハリアーはイギリスが開発した機体ですが、アメリカ海兵隊も目をつけて採用していました。今は退役済みですけどね。滑走路を必要としないハリアーは敵地へ一番槍で突撃する海兵隊の性に合っていたのです。
この個体は1973年にアメリカ海兵隊に配備された機体です。AV-8Aはイギリスで言うとハリアーGR.3相当の機種です。VMA-231、513、および542で運用され、沖縄に配備されていた時期もあったそうな。ここではVMA-231エース・オブ・スペーズの形態で展示されています。たぶん海兵隊からの貸与で展示されているんだと思います。


ちなみにハリアーの噴射口は前後2箇所ずつありにけり。後ろ2箇所はジェット噴流を出しますが、前の方は燃焼前の圧縮空気を出します。4箇所でバランス取るわけです。
主脚は中心線上に2本あります。こういうのを自転車配置というそうな。これだと機体が左右どっちかに傾いて転んでしまうので、主翼の端に補助輪が付いています。もちろん飛行時は収納できるようになっていますよ。


なおペガサスエンジンの出力は9,750kg、一方ハリアーの最大離陸重量は11,000kgです。垂直離陸の場合運動エネルギーがゼロ状態で機体を浮かせないといけないのでエンジン出力以上の重さでは浮きません。最低離陸重量だと8トンくらいらしいので空荷なら垂直離陸も可能なんですが、爆弾をちょっとしか積めない攻撃機なんて税金の無駄です。なので実際の運用では爆弾搭載時は通常離陸するんだそうな。一応他の機種に比べれば短距離で離陸できちゃうらしい。
こういう面で見ると、ジェット攻撃機の割に小型のハリアーはギリギリの重量計算で設計されているんだなというのがわかります。


CL-84-1ダイナバートの後ろ。水平尾翼と垂直安定板も可変式です。主翼の角度と連動して水平尾翼も可動するようです。


尾部には小さい回転翼が二重に付いています。たぶん二重反転式。尾部の浮力を担保するものだと思います。これ、動力はどうなってるんでしょうね。


後部カーゴハッチは天井が低いので使いにくそうです。


別方向からの尾翼。


CH-113ラブラドールの後部カーゴハッチ。


機内はこんな感じです。


S-55の胴体後部はキュッと絞り込まれた形状が可愛らしいのです。


CH-135ツインヒューイの尾部。


カナディアCL600チャレンジャー (Canadair CL600 Challenger) です。1978年初飛行。
ビジネスジェット製造を手掛けるリアジェット社のリアスター600の構想をもとに再設計した機体です。ビジネスジェットとしては初めてのワイドボディ機で、この胴体は後にリージョナルジェットのCRJに発展します。
この個体は先行量産型の3号機で、1979年製造と初飛行をしました。その後もテスト機として使用されて、チャレンジャー601型、604型のテストベッドになりました。その間にエンジン交換とウィングレット追加されています。1986年にはカナディアがボンバルディアに買収されますが計画は継続されます。2004年にはフライ・バイ・ワイヤ制御の蓄積を得るためにその制御に改造されています。



胴体はCRJのそれと同じですね~。いや、こっちが先なんですけどね。


エンジンはゼネラル・エレクトリックのCF34-3Aターボファンです。


胴体には大きくACTの文字。Active Control Technologyの頭文字で、たぶんフライ・バイ・ワイヤ制御改造の時に付けられたのかなと。


機首です。


ウィングレットです。なんとなく後付け感がありますね。






メーデー民のアイドル、ラムたん!
ラムエア・タービンという緊急用風力発電器の羽根車です。飛行中にエンジン停止して電源喪失した際、これが機外に展開します。飛行中なので羽根車が回転して風力発電器となり、機体に必要最低限ですが電源を供給するのです。いざという時の隠しナイフのようなものです。


試験機特有のクソデカピトー管。


左舷のエンジンはナセルが外されていました。

というところで今日はここまで。


その54へ→



【1/32】トヨタ・C-HR【ギャラリー】

2024-11-10 18:58:00 | 模型ギャラリー
キット:ザ・スナップキットNo.06-D トヨタ C-HR センシュアルレッドマイカ(アオシマ)

アオシマのスナップキットシリーズからトヨタC-HRを作りました。
実車はスタイリング重視のSUVで、見切りの悪さや室内の狭さを言われていましたが路上では一時よく見かけていました。ただトヨタ自身が後発のSUVを拡充させてくるとそっちに需要が流れていってしまって、日本でのC-HR販売はこの1代限りで終わってしまいました。
C-HRがプラモデルになるのは後にも先にもこれだけになるかもしれません。


スナップキットシリーズなので多色成形、接着剤不要となっています。接着剤に関してはここではあまり関係のない話です。
ボディは成形色を活かして、無塗装です。ボディのツヤも申し分ないので研ぎ出しもやっていないです。



ただし成形色だけでは車の配色を再現できていない部分もあり、そこはキットではステッカー貼付で再現になっています。その部分は塗装で追っています。
具体的には風防の黒セラ、前後バンパーや側面の黒樹脂部分、座席やダッシュボード、ホイール、タイヤ、テールランプです。








初めてみた時は前衛的と思ったものですが、今やそれを上回る車種があちこちいるので、時の流れをですねえ。








以上、トヨタ・C-HRでした。

【アオシマ】1/32トヨタ・C-HR【プラモデル製作】

2024-11-07 22:30:00 | スケール模型製作記
今回はアオシマのザ・スナップキットからC-HRを作ります。登場直後はよく見かけましたが、今は人気も下火になってしまったみたいです。
いつも通り、ボディの成形色を活かしながら、色の足りない部分だけ塗装して仕上げます。





風防の黒セラは付属する窓枠シールの余白を活かします。これを型紙にしてマスキングテープに転写します。シールだと粘着力が高いので剥がす時にどうしても糊が残ってしまうからです。
ただし今は、シールを手の甲などに貼ると剥がすを2回繰り返して、粘着力を落としたうえでシールの余白をそのまま使っています。


こんな感じになります。もちろんテープは内側に貼り付けています。


窓枠やフェンダーアーチ、サイドスカート、バンパーなどの黒樹脂部分もマスクして塗装します。


ホイールはガンメタ塗装されているのを活かして、その上にガンダムマーカーのメッキシルバーを塗って、削り出し部分を再現します。


車内は座席とダッシュボードをレッドブラウンで塗装しました。


タイヤはタイヤブラックで塗って質感と色の違いを表現します。


黒の塗装後はこうなりました。思ってたよりもうまくいきました。成功です。


リアもいい感じに行きました。


グリルなどはシール貼付なんですが、それでもメッシュが彫刻されているので塗装してもちゃんと見栄えします。こういう奥の深さがあるのがこれのいいところです。


組み立て、スミ入れなどをして完成です。ドアのメッキモールはシールを使っています。その方が仕上がりが良いですからね。


テールランプは、赤い部分はクリアレッドを塗っています。


現代車だけにマスキングが苦労しましたけどそこを押さえればあとは楽に作ることができました。
完成品はギャラリーにて。

<使用塗料>
黒セラ・フェンダーアーチ:LP3フラットブラック
ホイール:ガンダムマーカー・メッキシルバー
タイヤ:N77タイヤブラック
座席:N47レッドブラウン
テールランプ:N90クリアレッド



九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その22【2018/9/19~23】

2024-11-03 23:59:00 | 旅行・イベント記
鹿児島市観光の続きです。仙巌園の次は集成館へ。


これが集成館の西洋式機械工場です。1865(慶応元)年竣工で、現存最古の機械工場建築です。もちろん今は工場としては使われていませんが。
館内は撮影禁止でしたので、中の様子はすっ飛ばします。


次に訪ねたのは旧鹿児島紡績所技師館です。イギリスから招聘された紡績工場運営のための技師7名の宿舎です。洋館ですが1867(慶応3)年竣工の江戸時代建築です。


建物の設計はイギリス人で、この時代ではよく見られるコロニアル様式です。建築は現地の大工なので、工法は和建築なのだそうな。
五面ポーチがアクセントになっています。


ポーチの2階からは鹿児島湾越しの桜島を望むことができます。これはいい景色ですね。


会議室ですかね。ちゃんと椅子とティーカップが7組ありますよ。


建物の中央にも廊下があるのが西洋的です。


「大幅機」という織機の模型がありました。


畳間もありますね。日本人向けの部屋なのかなと。


うーんコロニアル。基礎の石材は鹿児島らしい凝灰岩なんだそうな。


仙巌園周辺からはこれにて撤収します。写真の神社は磯天神・菅原神社です。


第32走者:鹿児島市交通局カゴシマシティビュー(いすゞ・エルガ)異人館(磯海水浴場)前13:51→かごしま水族館前14:04
バスに乗って、次は桜島へと向かいますよ。


水族館前から徒歩で鹿児島港へ。桜島へはもちろん、桜島フェリーで!乗ってみたかったんですよ。


第33走者:桜島フェリー桜島行(桜島丸)鹿児島港14:25→桜島港14:40
桜島フェリーは、鹿児島市と桜島はもちろん大隅半島を短絡するので日常利用も多く、日中は高頻度(10~15分間隔)で運航され運航時間も24時間と、日本の短距離フェリーの中では飛び抜けて利便性があります。


桜島フェリーの名物が船内食堂のやぶ金です。乗船時間が短いのに人気が高いんだそうな。うどんだからすぐに済ませられますよね。1回の運航が短いゆえに客の回転率が高いのも秘訣だと思っています。
せっかく乗ったので、おやつ代わりに食べてみましょう。



さつま揚げ乗せのうどんです。うまい!


雄大な桜島!


桜島は今日も元気に営業中です。


鹿児島港行の第十八櫻島丸と反航します。両頭船なのは当たり前みたいな感じで、あとは骨組みの多い印象ですね。


もうすぐ桜島港に着きます。あっという間でした。


停泊中の第十六櫻島丸。


桜島丸を下船して桜島へ上陸!
同じ桜島丸でも、これには番号が振られていないんですね。櫻島の字も違いますし・・・。

というところで今日はここまで。


その23へ→



九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その21【2018/9/19~23】

2024-11-01 05:54:00 | 旅行・イベント記
薩摩藩主の島津家が建てた別邸「仙厳園」に来ています。
これは磯御殿の中庭です。池の中にある八角形のくぼみは風水的にいいんだそうですよ。


御詰所という使用人が控えていた部屋。


謁見の間です。ようは応接間ですな。


お庭です。青々としていて素晴らしきかな。背景の桜島もグッドですよ。


御居間です。当主は昼間はだいたいここで仕事したりご飯食べたりするんだそうな。


御寝所です。すやぁ・・・。


御小座。昭和天皇とその皇后が鹿児島県へ行幸に来られた際にこの部屋へ入ったと言われとります。


再び中庭。


桜島が遮るもの無く見渡すことができます。今日も元気に噴煙を上げていますね。いや、近いなあ、これ。


御殿を出て庭園を見に行きます。前庭にも八角形の出っ張り。これも風水的なアレです。


庭を眺めているとまあ落ち着きますよね、気温は暑いんですけど。


鯉が沢山、口を開けて待っています。人生は自分から勝ち取りに行きたいものですね(何)


石階段を登ります。


これはなんと1892(明治25)年に建てられた自家用の水力発電所です。小規模の自家発電ながら水力発電としては初期も初期の物だそうな。
これは水を貯めておくためのいわばダム湖なわけですが、肝心の発電機は見当たりませんでした。水槽から水が流れ落ちていますがあの先に発電用の羽根車があったはず・・・です。落差2mといったところでしょうか。


水槽はこんな感じ。今はただ沢からの水が流れるがままです。


仙巌園と桜島・鹿児島湾の間には国道10号線とJR日豊本線が走っています。日豊本線がある非電化されるとなった時は、架線や架線柱が景観上問題があると騒ぎになったそうな。そこで当時の国鉄は仙巌園の区間だけ特別誂えの電化設備を建設して理解を得たのだとか。
そこをちょうど787系特急「きりしま」7号が通過していきました。桜島を背景にした列車が撮影できる、ここは良い撮影地ですね。本当にたまたま遭遇したので考慮に入れられませんでしたが、太陽光線の向きを考えてやればもっといい写真が撮れそうですね。


後追いでも撮影。奥には鹿児島市の市街地が見えており、終点まではもうすぐです。


引き続き庭園を歩いていきます。


とかげです。


1907(明治40)年築のろ過池です。湧き水をここに集めてろ過してから園内の御殿などに配水していたそうな。園内には他にも排水量を調整する高升もあり、割と高度な水道施設を張り巡らせていたようですね。単に江戸時代の庭園というだけでなく明治時代の近代的施設も併せ持っているというのが仙巌園の面白いところでしょう。


迫ン太郎という水力式の米つき器です。


鹿児島市のマンホール蓋です。中心の十字の紋はご存知島津家の家紋です。すっかり浸透していますな。ちなみに鹿児島市章も島津家家紋を少し変形させたような意匠になっています。


仙巌園を後にしたところでお昼ごはんにしましょう。一休みしたいしね。
九州へ来たので、最寄りのジョイフルに入ります。


ハンバーグとチキン南蛮定食、うまい。

というところで今日はここまで。