黒鉄重工

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北米project 5 ~How do you like Canada? その53【2016/6/15~22】

2024-11-18 06:54:00 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の回転翼機コーナーの続きです。
これは、ブリティッシュ・エアロスペースAV-8Aハリアー (British Aerospace AV-8A Harrier) です。1960年初飛行。
ご存知、世界で初めて実用化された垂直離着陸できる固定翼機です。ヘリコプターも垂直離着陸できますが、あれは回転翼機なのでそもそも土俵が違います。
ハリアーが積んでいるペガサスエンジンというのがキモで、ジェット噴流の排気口が左右に分かれていて、しかも口を下に向けたり後ろに向けたりできます。最初は下に向けることで垂直に離陸していって、徐々に排気口を後ろへ向けていくことで前進して飛んでいくのです。ちょっと危なっかしいがそれがハリアー独特の発進法でね、上がっちまえばどうって事無い!自転車だってそうだろう?一度乗ったらコツは一生忘れねえモンだ!
ハリアーの開発史はそれはもういろいろな実験機を経てのものですが、ここで書くと1回分潰してしまうのでそれはまたいつか(手抜き)。


ハリアーはイギリスが開発した機体ですが、アメリカ海兵隊も目をつけて採用していました。今は退役済みですけどね。滑走路を必要としないハリアーは敵地へ一番槍で突撃する海兵隊の性に合っていたのです。
この個体は1973年にアメリカ海兵隊に配備された機体です。AV-8Aはイギリスで言うとハリアーGR.3相当の機種です。VMA-231、513、および542で運用され、沖縄に配備されていた時期もあったそうな。ここではVMA-231エース・オブ・スペーズの形態で展示されています。たぶん海兵隊からの貸与で展示されているんだと思います。


ちなみにハリアーの噴射口は前後2箇所ずつありにけり。後ろ2箇所はジェット噴流を出しますが、前の方は燃焼前の圧縮空気を出します。4箇所でバランス取るわけです。
主脚は中心線上に2本あります。こういうのを自転車配置というそうな。これだと機体が左右どっちかに傾いて転んでしまうので、主翼の端に補助輪が付いています。もちろん飛行時は収納できるようになっていますよ。


なおペガサスエンジンの出力は9,750kg、一方ハリアーの最大離陸重量は11,000kgです。垂直離陸の場合運動エネルギーがゼロ状態で機体を浮かせないといけないのでエンジン出力以上の重さでは浮きません。最低離陸重量だと8トンくらいらしいので空荷なら垂直離陸も可能なんですが、爆弾をちょっとしか積めない攻撃機なんて税金の無駄です。なので実際の運用では爆弾搭載時は通常離陸するんだそうな。一応他の機種に比べれば短距離で離陸できちゃうらしい。
こういう面で見ると、ジェット攻撃機の割に小型のハリアーはギリギリの重量計算で設計されているんだなというのがわかります。


CL-84-1ダイナバートの後ろ。水平尾翼と垂直安定板も可変式です。主翼の角度と連動して水平尾翼も可動するようです。


尾部には小さい回転翼が二重に付いています。たぶん二重反転式。尾部の浮力を担保するものだと思います。これ、動力はどうなってるんでしょうね。


後部カーゴハッチは天井が低いので使いにくそうです。


別方向からの尾翼。


CH-113ラブラドールの後部カーゴハッチ。


機内はこんな感じです。


S-55の胴体後部はキュッと絞り込まれた形状が可愛らしいのです。


CH-135ツインヒューイの尾部。


カナディアCL600チャレンジャー (Canadair CL600 Challenger) です。1978年初飛行。
ビジネスジェット製造を手掛けるリアジェット社のリアスター600の構想をもとに再設計した機体です。ビジネスジェットとしては初めてのワイドボディ機で、この胴体は後にリージョナルジェットのCRJに発展します。
この個体は先行量産型の3号機で、1979年製造と初飛行をしました。その後もテスト機として使用されて、チャレンジャー601型、604型のテストベッドになりました。その間にエンジン交換とウィングレット追加されています。1986年にはカナディアがボンバルディアに買収されますが計画は継続されます。2004年にはフライ・バイ・ワイヤ制御の蓄積を得るためにその制御に改造されています。



胴体はCRJのそれと同じですね~。いや、こっちが先なんですけどね。


エンジンはゼネラル・エレクトリックのCF34-3Aターボファンです。


胴体には大きくACTの文字。Active Control Technologyの頭文字で、たぶんフライ・バイ・ワイヤ制御改造の時に付けられたのかなと。


機首です。


ウィングレットです。なんとなく後付け感がありますね。






メーデー民のアイドル、ラムたん!
ラムエア・タービンという緊急用風力発電器の羽根車です。飛行中にエンジン停止して電源喪失した際、これが機外に展開します。飛行中なので羽根車が回転して風力発電器となり、機体に必要最低限ですが電源を供給するのです。いざという時の隠しナイフのようなものです。


試験機特有のクソデカピトー管。


左舷のエンジンはナセルが外されていました。

というところで今日はここまで。


その54へ→



【1/32】トヨタ・C-HR【ギャラリー】

2024-11-10 18:58:00 | 模型ギャラリー
キット:ザ・スナップキットNo.06-D トヨタ C-HR センシュアルレッドマイカ(アオシマ)

アオシマのスナップキットシリーズからトヨタC-HRを作りました。
実車はスタイリング重視のSUVで、見切りの悪さや室内の狭さを言われていましたが路上では一時よく見かけていました。ただトヨタ自身が後発のSUVを拡充させてくるとそっちに需要が流れていってしまって、日本でのC-HR販売はこの1代限りで終わってしまいました。
C-HRがプラモデルになるのは後にも先にもこれだけになるかもしれません。


スナップキットシリーズなので多色成形、接着剤不要となっています。接着剤に関してはここではあまり関係のない話です。
ボディは成形色を活かして、無塗装です。ボディのツヤも申し分ないので研ぎ出しもやっていないです。



ただし成形色だけでは車の配色を再現できていない部分もあり、そこはキットではステッカー貼付で再現になっています。その部分は塗装で追っています。
具体的には風防の黒セラ、前後バンパーや側面の黒樹脂部分、座席やダッシュボード、ホイール、タイヤ、テールランプです。








初めてみた時は前衛的と思ったものですが、今やそれを上回る車種があちこちいるので、時の流れをですねえ。








以上、トヨタ・C-HRでした。

【アオシマ】1/32トヨタ・C-HR【プラモデル製作】

2024-11-07 22:30:00 | スケール模型製作記
今回はアオシマのザ・スナップキットからC-HRを作ります。登場直後はよく見かけましたが、今は人気も下火になってしまったみたいです。
いつも通り、ボディの成形色を活かしながら、色の足りない部分だけ塗装して仕上げます。





風防の黒セラは付属する窓枠シールの余白を活かします。これを型紙にしてマスキングテープに転写します。シールだと粘着力が高いので剥がす時にどうしても糊が残ってしまうからです。
ただし今は、シールを手の甲などに貼ると剥がすを2回繰り返して、粘着力を落としたうえでシールの余白をそのまま使っています。


こんな感じになります。もちろんテープは内側に貼り付けています。


窓枠やフェンダーアーチ、サイドスカート、バンパーなどの黒樹脂部分もマスクして塗装します。


ホイールはガンメタ塗装されているのを活かして、その上にガンダムマーカーのメッキシルバーを塗って、削り出し部分を再現します。


車内は座席とダッシュボードをレッドブラウンで塗装しました。


タイヤはタイヤブラックで塗って質感と色の違いを表現します。


黒の塗装後はこうなりました。思ってたよりもうまくいきました。成功です。


リアもいい感じに行きました。


グリルなどはシール貼付なんですが、それでもメッシュが彫刻されているので塗装してもちゃんと見栄えします。こういう奥の深さがあるのがこれのいいところです。


組み立て、スミ入れなどをして完成です。ドアのメッキモールはシールを使っています。その方が仕上がりが良いですからね。


テールランプは、赤い部分はクリアレッドを塗っています。


現代車だけにマスキングが苦労しましたけどそこを押さえればあとは楽に作ることができました。
完成品はギャラリーにて。

<使用塗料>
黒セラ・フェンダーアーチ:LP3フラットブラック
ホイール:ガンダムマーカー・メッキシルバー
タイヤ:N77タイヤブラック
座席:N47レッドブラウン
テールランプ:N90クリアレッド



九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その22【2018/9/19~23】

2024-11-03 23:59:00 | 旅行・イベント記
鹿児島市観光の続きです。仙巌園の次は集成館へ。


これが集成館の西洋式機械工場です。1865(慶応元)年竣工で、現存最古の機械工場建築です。もちろん今は工場としては使われていませんが。
館内は撮影禁止でしたので、中の様子はすっ飛ばします。


次に訪ねたのは旧鹿児島紡績所技師館です。イギリスから招聘された紡績工場運営のための技師7名の宿舎です。洋館ですが1867(慶応3)年竣工の江戸時代建築です。


建物の設計はイギリス人で、この時代ではよく見られるコロニアル様式です。建築は現地の大工なので、工法は和建築なのだそうな。
五面ポーチがアクセントになっています。


ポーチの2階からは鹿児島湾越しの桜島を望むことができます。これはいい景色ですね。


会議室ですかね。ちゃんと椅子とティーカップが7組ありますよ。


建物の中央にも廊下があるのが西洋的です。


「大幅機」という織機の模型がありました。


畳間もありますね。日本人向けの部屋なのかなと。


うーんコロニアル。基礎の石材は鹿児島らしい凝灰岩なんだそうな。


仙巌園周辺からはこれにて撤収します。写真の神社は磯天神・菅原神社です。


第32走者:鹿児島市交通局カゴシマシティビュー(いすゞ・エルガ)異人館(磯海水浴場)前13:51→かごしま水族館前14:04
バスに乗って、次は桜島へと向かいますよ。


水族館前から徒歩で鹿児島港へ。桜島へはもちろん、桜島フェリーで!乗ってみたかったんですよ。


第33走者:桜島フェリー桜島行(桜島丸)鹿児島港14:25→桜島港14:40
桜島フェリーは、鹿児島市と桜島はもちろん大隅半島を短絡するので日常利用も多く、日中は高頻度(10~15分間隔)で運航され運航時間も24時間と、日本の短距離フェリーの中では飛び抜けて利便性があります。


桜島フェリーの名物が船内食堂のやぶ金です。乗船時間が短いのに人気が高いんだそうな。うどんだからすぐに済ませられますよね。1回の運航が短いゆえに客の回転率が高いのも秘訣だと思っています。
せっかく乗ったので、おやつ代わりに食べてみましょう。



さつま揚げ乗せのうどんです。うまい!


雄大な桜島!


桜島は今日も元気に営業中です。


鹿児島港行の第十八櫻島丸と反航します。両頭船なのは当たり前みたいな感じで、あとは骨組みの多い印象ですね。


もうすぐ桜島港に着きます。あっという間でした。


停泊中の第十六櫻島丸。


桜島丸を下船して桜島へ上陸!
同じ桜島丸でも、これには番号が振られていないんですね。櫻島の字も違いますし・・・。

というところで今日はここまで。


その23へ→



九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その21【2018/9/19~23】

2024-11-01 05:54:00 | 旅行・イベント記
薩摩藩主の島津家が建てた別邸「仙厳園」に来ています。
これは磯御殿の中庭です。池の中にある八角形のくぼみは風水的にいいんだそうですよ。


御詰所という使用人が控えていた部屋。


謁見の間です。ようは応接間ですな。


お庭です。青々としていて素晴らしきかな。背景の桜島もグッドですよ。


御居間です。当主は昼間はだいたいここで仕事したりご飯食べたりするんだそうな。


御寝所です。すやぁ・・・。


御小座。昭和天皇とその皇后が鹿児島県へ行幸に来られた際にこの部屋へ入ったと言われとります。


再び中庭。


桜島が遮るもの無く見渡すことができます。今日も元気に噴煙を上げていますね。いや、近いなあ、これ。


御殿を出て庭園を見に行きます。前庭にも八角形の出っ張り。これも風水的なアレです。


庭を眺めているとまあ落ち着きますよね、気温は暑いんですけど。


鯉が沢山、口を開けて待っています。人生は自分から勝ち取りに行きたいものですね(何)


石階段を登ります。


これはなんと1892(明治25)年に建てられた自家用の水力発電所です。小規模の自家発電ながら水力発電としては初期も初期の物だそうな。
これは水を貯めておくためのいわばダム湖なわけですが、肝心の発電機は見当たりませんでした。水槽から水が流れ落ちていますがあの先に発電用の羽根車があったはず・・・です。落差2mといったところでしょうか。


水槽はこんな感じ。今はただ沢からの水が流れるがままです。


仙巌園と桜島・鹿児島湾の間には国道10号線とJR日豊本線が走っています。日豊本線がある非電化されるとなった時は、架線や架線柱が景観上問題があると騒ぎになったそうな。そこで当時の国鉄は仙巌園の区間だけ特別誂えの電化設備を建設して理解を得たのだとか。
そこをちょうど787系特急「きりしま」7号が通過していきました。桜島を背景にした列車が撮影できる、ここは良い撮影地ですね。本当にたまたま遭遇したので考慮に入れられませんでしたが、太陽光線の向きを考えてやればもっといい写真が撮れそうですね。


後追いでも撮影。奥には鹿児島市の市街地が見えており、終点まではもうすぐです。


引き続き庭園を歩いていきます。


とかげです。


1907(明治40)年築のろ過池です。湧き水をここに集めてろ過してから園内の御殿などに配水していたそうな。園内には他にも排水量を調整する高升もあり、割と高度な水道施設を張り巡らせていたようですね。単に江戸時代の庭園というだけでなく明治時代の近代的施設も併せ持っているというのが仙巌園の面白いところでしょう。


迫ン太郎という水力式の米つき器です。


鹿児島市のマンホール蓋です。中心の十字の紋はご存知島津家の家紋です。すっかり浸透していますな。ちなみに鹿児島市章も島津家家紋を少し変形させたような意匠になっています。


仙巌園を後にしたところでお昼ごはんにしましょう。一休みしたいしね。
九州へ来たので、最寄りのジョイフルに入ります。


ハンバーグとチキン南蛮定食、うまい。

というところで今日はここまで。