黒鉄重工

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近畿project ~SSSS. WAKAYAMAMAN その1【2018/10/26~28】

2025-02-21 23:28:55 | 旅行・イベント記
新シリーズです。今回は香川県が最終目的地ですが、その途中で和歌山県を回っていくという今思えばよくわからんなという行程です。まあどうぞお楽しみください。

さて2018年10月25日の深夜。静岡駅にいた私はしずてつジャストラインの夜行バス「京都・大阪ライナー」の前に立っているのでした。まずは夜行バスで寝ながらにして移動し、早朝の京都駅へ急襲する作戦です。
なお余談ですが、2025年に至るまでこれが最後の夜行バス乗車になっています。夜行バスは遠くになりにけり・・・。体力的にはまだいけるはずですが。


第1走者:しずてつジャストライン「京都大阪ライナー」京都・大阪・USJ(ふそう・エアロエース)静岡駅22:55→京都駅5:28
車両はこの年納車されたばかりのふそう・エアロエース(西久保936)の夜行仕様です。しずてつの夜行バスは阪急バスの薫陶を受けていて、車内にある給水/給湯器は同社の影響を受けたとかそうじゃないとか。新車のエアロエースにも装備されたんですね。


東名高速牧之原SAで休憩。この先休憩は無いので外に出て体を動かします。出発後はすやすや眠れました。


ほぼ定刻で京都駅に到着、降車します。5時半の京都駅に放り出されました。さすがに寒い。


この時間は関西行の夜行バスが続々と京都駅に停車するので、しばし撮影。
ウィラーの日野・セレガHD。


大阪空港交通の日野・セレガHD。関西空港行のリムジンバスです。


桜交通のふそう・エアロエース(ひむろざくら)。ナンバープレートは白ナンバーのようでちゃんと営業ナンバーのようです。これややこしくない?


オリオンバス(オー・ティー・ビー)の日野・セレガHD。


アルピコ交通の日野・セレガHD。


6時頃にJR京都駅に入場。まだ1日の始まりの準備をしている様子でした。この時はまだ117系が走っている時期でしたね。


京都駅から奈良線に乗って南下します。
奈良線のニューフェイス、205系1000番台(#1005)が停まっていました。阪和線から転属してきたのです。帯色は阪和線時代の青帯のまま。103系に合わせてうぐいす色には変えてくれなかったようです。


第2走者:JR奈良線普通奈良行(103系)京都6:13→木幡6:30
103系の電車に乗って奈良線を南下。この頃はまだ103系も普通に走っていました。


木幡駅で下車して奈良線の電車を撮影します。狙いはもちろん103系です。205系の転属で103系が押しやられることは分かりきっていたことです。
期待に反してやってきたのは205系(#1005)でした。まあさっき京都駅に停まっていたのでこれが来るのは自明でしたけど。


奈良線は単線なので221系と列車交換です。


221系(#12)の京都行。


103系(#226)の宇治行。なんとか課題達成。


停車中の103系。


後追いも撮影します。


205系(#1005)の京都行。


221系(#26)の区間快速京都行。


折り返してきた103系を再び撮影。


第3走者:JR奈良線普通奈良行(221系)木幡7:33→奈良8:25
撮影を切り上げて南下を再開します。



奈良駅に着きました。ここで乗り換えです。



奈良駅でようやく朝ご飯です。うどんでした。

というところで今日はここまで。


その2へ→


 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その62【2016/6/15~22】

2025-02-17 23:48:43 | 海外旅行記
2016年6月20日(月)11時00分
オンタリオ州オタワ カナダ戦争博物館
今日最初の訪問地、カナダ戦争博物館 (Canadian War Museum) へ入ります。カナダの軍事史を扱う博物館です。古くは先住民族とフランス人との紛争から最近のだと冷戦まで、カナダが関わってきた戦争にまつわるあれこれを展示しています。
館内は結構広めで、まともに見るとそれなりに時間かかりそうです。で、実際のところ、現物の展示が豊富なので本当に時間がかかりました。このブログでもそれなりに長期連載になるでしょう。


まずは特別展から。第一次世界大戦で実用化された戦闘機や偵察機などの航空兵器に関する企画展でした。


コダック製A1型航空カメラです。
航空機が戦争で実用化されると、まずは偵察機として運用され始めました。上空から丸見えの敵情を偵察して情報収集するのです。情報を味方に持ち帰るために使われたのがカメラなわけです。
初期のカメラは手持ち式でしたが、1915年前半には機体固定式のカメラが登場しました。そしてその年の終わりにはそれが一般的になりました。


ルイス製Mk.I機関銃です。偵察機に装備されていたものだそうな。
偵察機が登場すると、敵機に偵察されるのを阻止するための迎撃機、ようは戦闘機が登場するわけです。すると偵察機側も戦闘機に対抗するために防御用の機関銃を装備するようになりました。これも1915年に実用化された運用です。


ツェッペリン焼夷弾です。
ドイツのツェッペリン飛行船に搭載された兵器で、爆弾と併用して投下されました。爆弾で目標を破壊して、焼夷弾で残骸を燃やし尽くすわけです。人の心とか無いのか。


1650ポンド航空爆弾です。なかなかの大きさですがこれは1918年製です。こんな時代からこんなデカ爆弾を落としていたんです。イギリスのハンドレページ爆撃機が装備していたんだそうな。
第一次世界大戦は数年の間に人の殺し方が飛躍的に伸びていて、正直ドン引きです。





イギリスの戦闘機、ソッピース・キャメルです。SE.5aと並んで有名なイギリス戦闘機です。
これで企画展は終わり。次から常設展です。


カナダと戦争との関わり、まずはアメリカ大陸の先住民とヨーロッパからの白人との邂逅から。先住民が弓矢を構えながらこっちを見下ろしていますね。友好的ではなさそう。
ところでこういうマネキンがこの先何人も出てきますが、決まって肌が青いです。うーむ、17世紀の時点でガミラス星人に征服されていた世界線か・・・(違)


フランス人が先住民の村を襲撃しているジオラマです。
1608年に先住民とフランス人が接触してからというものの、先住民にいくつもあった部族間の力関係が崩れました。
イロコイ族連合とアルゴンキン族・フランス人・ヒューロン族連合との戦争になりました。終戦はなんと1701年。ほぼ百年戦争です。これで両者で殺し合いすることは一応なくなりましたが、今度はその間にアメリカ大陸に上陸したイギリス人と戦争することに・・・。


フランス人連合はヨーロッパから持ち込んだ銃などの新兵器で戦争を有利に進めたそうな。


今のカナダに最初に入植したのはフランス人で、1608年にケベックシティ設立宣言がされています。その後も勢力を拡大し続けましたが1763年のパリ条約でフランスはアメリカ大陸における植民地を諦めざるを得なくなりました。その後はイギリスが割譲して植民地経営するわけです。
その後もフランス系カナダ人は一定の勢力を維持していて、カナダの公用語に英語とフランス語が採用されている理由の経緯になっています。
写真の地図は、フランス系カナダ人の間で使われている各州の州旗です。


臼砲ですかねえ。
先住民との紛争は終結したフランスでしたが次はイギリスとの紛争が始まりました。150年もの間紛争をやっていました。恐ろしいことね。
さて1754年にフランスと先住民の連合軍がオハイオ渓谷のイギリス人を追放したことが発端となった七年戦争は、この時は小規模な衝突だったのが翌年にはイギリスとフランスの正式な戦争に発展し、1759年にイギリスが勝利するまでの間、戦禍はアフリカ、アジア、ヨーロッパ、北米、カリブ海まで広がりました。ほぼ世界大戦です。


19世紀のカナダ軍人の制服。
1812年の戦いでは、イギリスが海上でアメリカ船に対して干渉行為をしてきたのと、アメリカ人と先住民との接触でいたずらに緊張を高めてきました。アメリカがそれにキレて1812年にイギリスに宣戦布告しました。
アメリカは領土拡大のためにカナダにも攻撃してきました。1814年に戦争が集結するまで、イギリス軍と先住民、カナダ人民兵の尽力によりアメリカの侵略から防衛しました。


ブリティッシュコロンビア州に住む先住民の装備です。イギリスがカナダの領土を太平洋側へ広げていくうちにここの先住民とも衝突が起きたのです。


偉大なる大英帝国の版図です。
というように、17世紀にフランス人が入植し始めて、その後やってきたイギリス人に1763年に分捕られて大英帝国の植民地となったのがカナダの起こりとなります。

というところで今日はここまで。


 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その61【2016/6/15~22】

2025-02-05 22:35:00 | 海外旅行記
2016年6月20日(月)9時30分
オンタリオ州オタワ オタワ市街地
旅行5日目です。2泊世話になった監獄ホステルを離れます。外観はこんな感じです。市街地に監獄が立地していたというのはなんだか変な感じですわね。
今日もオタワ市街地を散策し、戦争博物館と国会議事堂に行こうと思います。


ホステルから歩いて戦争博物館を目指します。オタワの目抜き通りに入ると、OCトランスポの路線バスで渋滞を起こしていました。10台くらい並んでいます。朝ラッシュにはこうなるんですね・・・。


こんなことになっています。
なお当時は新しいLRT路線が建設中で、2019年に開業しました。それによって路線バス網も変わっているはずで、この道路渋滞も解消していると思います。


とにかくひっきりなしにくるので路線バスの撮影には苦労がありません。
二階建てバスのAD Enviro500 Go-Anywhere (#8003) です。
行先表示にはOCトランスポのLRTが2018年に開業することを宣伝しています。実際には1年遅れになってしまいましたが。


脇道からもバスがぞろぞろやってきます。


連節バスのNFI D60LFR (#6610) #86 Elmvale Southvale。


中型バスのOrion VII NG HEV (07.501) (#5019) #16 Main。


NFI Invero (D40i) (#4278) #86X Hurdman。系統番号にXが付いているのは、急行運転を示している場合が多いです。


Orion VII NG HEV (07.501) (#5091) #1 Ottawa Rockcliffe。


NFI D60LFR (#6416) #98 Hawthorne via Lees。


NFI Invero (D40i) (#4446) #92 Hurdman。


NFI D60LF (#6370) #85 Lees。


NFI D60LFR (#6598) #12 Blair。


AD Enviro500 Go-Anywhere (#8131) 回送。


STOのNova TC40-102A (Classic) (#9512) Ottawa。
クラシックは、GMの名車金魚鉢ことニュールックのカナダ向け後継車です。元々ニュールックの後継車はRTSというのがありましたが、カナダ向けにはクラシックを開発しました。その後GMがバス製造から撤退するとなんやかんやでノババスが製造権を持つようになり、今のノバの主力商品LFSの販売が軌道に乗るまで製造されました。
クラシックを見たのは後にも先にもこれだけでした。


いつまでも続いていそうな渋滞でした・・・。


国会議事堂にご挨拶です。やあやあ。いまはまだ素通りです。後で来ます。


大きい時計塔は街のシンボルです。


議事堂を真正面から。

というところで今日はここまで。


その62へ→



【1/24】ヒュンダイ・ポニー 1975年式【ギャラリー】

2025-02-01 23:17:43 | 模型ギャラリー
キット:アカデミー ヒュンダイ・ポニー (1975)
仕様:市販車

 
 

ヒュンダイ・ポニーは、ヒュンダイが1975年から発売した乗用車です。エンジンなど所々は三菱・ランサーの部品を使うなど影響を受けていますが、基本的には韓国が独自で開発した初めての乗用車で、韓国の自動車史での転換点です。外観はイタリアのジウジアーロデザインが担当していて、直線基調の垢抜けた印象になっています。ファストバックスタイルの4ドアセダンが基本形で、アカデミーもそれをキット化しています。
キットはよくできていて、接着剤は使うものの高い精度と練られた部品分割のお陰でストレスなく組み立てることができます。成形品もあらかじめ色付けされているので、素組みのままでもそれなりに見栄えがします。自動車プラモデルとしては名作に入るでしょう。


小型セダンですが片側横2灯の前照灯が迫力を増しています。さすがジウジアーロということでしょうか。
ボディは自分の好みで空色に塗りました。一応、カタログでこういう色はあったみたいです。
成形品は真っ赤だったので顔料の染み出しが心配でしたが、厚めの下地塗装のおかげかそれは起きずに済んだようです。


角ばっているので見切りは良さそうです。





ストンと落ちたファストバックがスマートです。

















シャーシは排気管以外無塗装です。


おまけで付いてきた当時風コンパニオンのお姉ちゃんの人形です。おまけながら造形に抜かりがなく、とてもセクシー。肌の塗装にはこだわりました。


それでもまあ、70年代という感じはします。


以上、ヒュンダイ・ポニーでした。