茨木のり子さん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/5f/9b79939af85bb65fe2fe9957318412c3.jpg)
しなやかに、逞しく、たおやかに、凜として・・・生きた79年!
2006年2月17日自宅で死去。19日に訪ねて来た親戚が寝室で死亡しているのを発見。
すでに遺書は用意されてあったとか。
1975年夫と死別してから独り暮らし。(子供はなかったと思います)
見事に生きて散っていた人生!
茨木のり子さんを知ったのは「中学の国語の教科書」で・・・
「わたしが一番きれいだったとき」
多数の教科書に掲載され、彼女のもっとも有名な詩のひとつなのですが。
私は次の詩の方が好きなのです。タイトルは「自分の感受性くらい」1977年
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/71/ed2a893cd173aabfb2c5d762641503a1.png)
なんという切り口。なんというすがすがしさ。なんという潔さ。なんという覚悟。
心・・・より、もっと奥深く「魂」に響く「詩」
女性であるのに・・・男前の心意気を感じませんか。
ばかものよ・・・は、のり子さんが自分自身に言い聞かせているのでしょうか!
しかしながら、私たちにとっても此処が一番身にしみませんか?
わたしが一番きれいだったとき・・・は茨木のり子で検索していただくと、
加賀美幸子さんの朗読で(ユーチューブ)聞くことが出来ます。
詩の内容と加賀美さんの声とがマッチして・・・聞かせてくれます!
茨木のり子さんは
戦後詩を牽引した日本を代表する「女性詩人」「童話作家」「エッセイスト」「脚本家」
茨木のりこさんの詩とは背筋を伸ばして、対峙したいのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/e8/300427a3bb5daf168a08fe04b53c9054.jpg)
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しなやかに、逞しく、たおやかに、凜として・・・生きた79年!
2006年2月17日自宅で死去。19日に訪ねて来た親戚が寝室で死亡しているのを発見。
すでに遺書は用意されてあったとか。
1975年夫と死別してから独り暮らし。(子供はなかったと思います)
見事に生きて散っていた人生!
茨木のり子さんを知ったのは「中学の国語の教科書」で・・・
「わたしが一番きれいだったとき」
多数の教科書に掲載され、彼女のもっとも有名な詩のひとつなのですが。
私は次の詩の方が好きなのです。タイトルは「自分の感受性くらい」1977年
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なんという切り口。なんというすがすがしさ。なんという潔さ。なんという覚悟。
心・・・より、もっと奥深く「魂」に響く「詩」
女性であるのに・・・男前の心意気を感じませんか。
ばかものよ・・・は、のり子さんが自分自身に言い聞かせているのでしょうか!
しかしながら、私たちにとっても此処が一番身にしみませんか?
わたしが一番きれいだったとき・・・は茨木のり子で検索していただくと、
加賀美幸子さんの朗読で(ユーチューブ)聞くことが出来ます。
詩の内容と加賀美さんの声とがマッチして・・・聞かせてくれます!
茨木のり子さんは
戦後詩を牽引した日本を代表する「女性詩人」「童話作家」「エッセイスト」「脚本家」
茨木のりこさんの詩とは背筋を伸ばして、対峙したいのです。