(半紙)
今日午前中は書道教室。
今は、造像とかぶっとい線の古典を勉強されてる方がいなくて、
久々に、腹の据わった感じをイメージして書いてみたなり
これは木簡、漢簡集字千字文から。
私の師は、同じ古典でも人によって臨書が全然違っていたのでして。
あんたはこんな感じが好きやろ、とか、
今あんたには、これが足りないからこんな風に勉強してみなさい、とか。
その横で正座しながら、ふ~ん、なるほど~って見比べたりしながら
育ってきた?のでして
今日の教室で、「どうしたらそういう自由な発想ができるようになったんですか?」
みたいなことを聞かれて
自由かどうか、それがいいのかどうかもわからないけれど、
たぶん、そんな風にご指導して下さった師のお蔭なんだと、改めて感謝。
私もいつも、同じように、その人らしい臨書を探しているのでして
以前ご紹介した小坂奇石文集 に、臨書は、意臨より形臨をとの文言があり、
耳が痛い・・と思う部分もある。でも私はやっぱり、意臨を探したい
言い訳だとわかってはいるけど・・私にとって書は目的ではなくて。
臨書をしていく中から、人と人、自然とのつながり方や、生きるヒントみたいなのを
たくさん気づかせてもらっていて、それを、もっと自由でおおらかな心でもって
表現したり、体験していく中で伝えていきたいんだなって思うのでして
正しいことが全てじゃないって思うから。
ぶさいくだったり、情けなかったり、無器用だったり、それもまたよろしってね。
たぶん正しいことから逃げてるんだと思うけど、こんな風にしか生きられないのでして
さて今日は、60代でいらしてから、かれこれ20数年通って下さったMさんが、
残念ながら教室を去られることになり、昨夜書かれたという般若心経をお持ち下さり。
4年前、趙子昂行書千字文を半切に全臨された こともあるMさん、
今回もその集中力、根気、そして何よりも美しく凛とした書風は、お人柄そのものです。
いつもおっとりとした笑顔で、母や私のことも見守って下さっていたので
とても寂しく残念ですが、感謝の気持ちで一杯です


書を通して頂いたご縁に感謝です。

今日午前中は書道教室。
今は、造像とかぶっとい線の古典を勉強されてる方がいなくて、
久々に、腹の据わった感じをイメージして書いてみたなり

これは木簡、漢簡集字千字文から。
私の師は、同じ古典でも人によって臨書が全然違っていたのでして。
あんたはこんな感じが好きやろ、とか、
今あんたには、これが足りないからこんな風に勉強してみなさい、とか。
その横で正座しながら、ふ~ん、なるほど~って見比べたりしながら
育ってきた?のでして

今日の教室で、「どうしたらそういう自由な発想ができるようになったんですか?」
みたいなことを聞かれて

自由かどうか、それがいいのかどうかもわからないけれど、
たぶん、そんな風にご指導して下さった師のお蔭なんだと、改めて感謝。
私もいつも、同じように、その人らしい臨書を探しているのでして

以前ご紹介した小坂奇石文集 に、臨書は、意臨より形臨をとの文言があり、
耳が痛い・・と思う部分もある。でも私はやっぱり、意臨を探したい

言い訳だとわかってはいるけど・・私にとって書は目的ではなくて。
臨書をしていく中から、人と人、自然とのつながり方や、生きるヒントみたいなのを
たくさん気づかせてもらっていて、それを、もっと自由でおおらかな心でもって
表現したり、体験していく中で伝えていきたいんだなって思うのでして

正しいことが全てじゃないって思うから。
ぶさいくだったり、情けなかったり、無器用だったり、それもまたよろしってね。
たぶん正しいことから逃げてるんだと思うけど、こんな風にしか生きられないのでして

さて今日は、60代でいらしてから、かれこれ20数年通って下さったMさんが、
残念ながら教室を去られることになり、昨夜書かれたという般若心経をお持ち下さり。
4年前、趙子昂行書千字文を半切に全臨された こともあるMさん、
今回もその集中力、根気、そして何よりも美しく凛とした書風は、お人柄そのものです。
いつもおっとりとした笑顔で、母や私のことも見守って下さっていたので
とても寂しく残念ですが、感謝の気持ちで一杯です



書を通して頂いたご縁に感謝です。
