
書 中川幸夫 芸術の広場HPより拝借
おとといの月下美人→アラーキーの花→のつながりで、ふと思い出した
前衛華道家・芸術家の 中川幸夫さん
2002年の野外現代美術展で、舞踏家とのコラボで20万本のチューリップの花びらを
ヘリコプターから放つ「活け花」を行った模様がNHKで紹介されていて、釘付けになった。
香川県丸亀市生まれの今年90歳。
3歳のとき事故がもとで脊椎カリエスにかかり、身体が不自由になる。
23歳のとき、叔母が属していた池坊の活け花と出会い、才能を開花。
33歳のとき、白菜を生けた「ブルース」という作品がきっかけで破門になり、
九州で活け花の家元だった後の奥様、半田唄子さんと地位も何もかも捨てて東京へ。
一切弟子も取らず、キャバレーや喫茶店に花を生ける仕事だけで貧困を極めつつ創作を続ける。
キャバレーでは大体1000本のカーネーションを使うのだけど、3日でしなびてしまう。
その花を見て「この花はまだ死んでない。へたっているだけだ!」と言って、
1000本もの花をビニールに入れて背負って帰ってきて、奥さんと二人安アパートでしばし眺める。
このことをきっかけに、中川幸夫の世界が広がってゆく。
彼は、この花の命を最後まで見届けようと思ったわけ。
1週間、ビニールを密閉しておくとだんだん腐ってきて、赤い汁(血)が流れてくる。
それをあのシュールレアリスト詩人の 滝口修造 の前で、奥さんと二人で実演した作品が
「花坊主」という作品。 かなりシュール・・。えぐい。。

つまり、彼は、死に行く、血を流す、そして花の最後を見届ける華道というのを始めた人。
この写真だけを見ると、あまりのどぎつさに女性は目をそらすかもしれない。
でも、概念を崩すことで、作家のえぐるような思いを知ると、生きること、死することへの
オマージュ(敬意・献辞・賛辞)を感じる。
自分の中にも流れる、ドドドド~っていう血の流れを感じてくる。
ものすごいエネルギーを感じてくる。。
目をそらしちゃうと、感じないものもあるんだなぁ。。
ま、なにごとも選ぶのは自分ってことでんがな~

興味を持たれた方は、いくつかHPご紹介しま~す。
桑沢デザイン塾
「茶室 鏡の中の鏡の鏡」
作品集「花人中川幸夫の写真・ガラス・書/いのちのかたち」
あーとらんどギャラリー
アートスケープ
おとといの月下美人→アラーキーの花→のつながりで、ふと思い出した
前衛華道家・芸術家の 中川幸夫さん
2002年の野外現代美術展で、舞踏家とのコラボで20万本のチューリップの花びらを
ヘリコプターから放つ「活け花」を行った模様がNHKで紹介されていて、釘付けになった。
香川県丸亀市生まれの今年90歳。
3歳のとき事故がもとで脊椎カリエスにかかり、身体が不自由になる。
23歳のとき、叔母が属していた池坊の活け花と出会い、才能を開花。
33歳のとき、白菜を生けた「ブルース」という作品がきっかけで破門になり、
九州で活け花の家元だった後の奥様、半田唄子さんと地位も何もかも捨てて東京へ。
一切弟子も取らず、キャバレーや喫茶店に花を生ける仕事だけで貧困を極めつつ創作を続ける。
キャバレーでは大体1000本のカーネーションを使うのだけど、3日でしなびてしまう。
その花を見て「この花はまだ死んでない。へたっているだけだ!」と言って、
1000本もの花をビニールに入れて背負って帰ってきて、奥さんと二人安アパートでしばし眺める。
このことをきっかけに、中川幸夫の世界が広がってゆく。
彼は、この花の命を最後まで見届けようと思ったわけ。
1週間、ビニールを密閉しておくとだんだん腐ってきて、赤い汁(血)が流れてくる。
それをあのシュールレアリスト詩人の 滝口修造 の前で、奥さんと二人で実演した作品が
「花坊主」という作品。 かなりシュール・・。えぐい。。

つまり、彼は、死に行く、血を流す、そして花の最後を見届ける華道というのを始めた人。
この写真だけを見ると、あまりのどぎつさに女性は目をそらすかもしれない。
でも、概念を崩すことで、作家のえぐるような思いを知ると、生きること、死することへの
オマージュ(敬意・献辞・賛辞)を感じる。
自分の中にも流れる、ドドドド~っていう血の流れを感じてくる。
ものすごいエネルギーを感じてくる。。
目をそらしちゃうと、感じないものもあるんだなぁ。。
ま、なにごとも選ぶのは自分ってことでんがな~


興味を持たれた方は、いくつかHPご紹介しま~す。
桑沢デザイン塾
「茶室 鏡の中の鏡の鏡」
作品集「花人中川幸夫の写真・ガラス・書/いのちのかたち」
あーとらんどギャラリー
アートスケープ
これまた響いて素敵作家さんを知ることが出来て嬉しいです。凄いなぁ.....素敵ですね。
沙於里さんはこういう世界も教えてくれるので、すっかり私はズキュンです。目をそらしちゃうと、感じないものもある。ズッシリといい言葉....。最後の”でんがな”にもキュンです(笑)。
さて、この10年で、僕は4回も身内の死に立ち会った。父、弟、母、妹。(僕には死神が憑いてるのか…
「死とは何であるか?」と問い「それは動かなくなることである…」と、僕は理解しました。それ以上難しい考察は、僕には無理です。
しかし「動(生)」と「静(死)」の境目はどこなのかなあ?
誰の「死に目」にも会えなかった僕は、決定的瞬間というものを見ていないのです。(自分の時には、感じてみたいです)
突然ですが(苦笑)…ベランダで「小ねぎ」を栽培?したのです。薬味を買いに走るのが面倒で「博多小ねぎ」の根(スポンジ付でスーパーで買った)を鉢に植えて、米のとぎ汁なんかやってたら、切り株?からスンスンと伸びた!
そしたら、小心者の僕は、薬味の為に「切る」のに「痛み?」を感じてしまって、切る気になれない。(何のために植えたのか…
(僕は決して「繊細」な人間ではありません。)(妻も、子供も、僕を「がさつ」だと云いますから…)
言い訳はともかく…結局「枯らして」しまった。
…と思っていたら、これがまた「生えて来る」のです
(でも僕は、今も、スーパーで小ねぎを買う…
沙於里さま、僕はとても「罪なこと」をしたのでしょうか?
支離滅裂をお詫びします。
清楚で透明な世界も好きですが、こういうえぐられるような世界もドキドキします!
きっとどっちかが本来のもので、どっちかが願望だったりするんでしょう。。 さてどちらかしらん(笑)
目をそらすと・・って言いながら、年取るとこれ以上現実を見るのがいやなのか?見たくない、知りたくないものが増えた気がします
「死とはなんであるか?」は、きっといろんな考え方があるので、活字で語り合うのはむずかしそうですね。。
私は永六輔の「大往生」って本を20代の頃読んで、漠然と「死ぬこと」=「生きること」って感じたことを思い出しました。
ところで、小ネギさん。
食べつもりが育ててみると食べられない・・気持ちわかりますう。でも私は今毎日収穫できるちょっと皮の固いプチトマト、食べちゃいますよ~。
あれ? そういえばいつだったか私に言いませんでしたっけ?
魚を食べられないなんて
ま、いじらしいラモンさんもかわいいから許してあげます
で。。こんなのも。。って
わたしも 思ってますy
昨日は 更新で 夜更かしでした。
今夜は 額入れで 夜更かしです
こんな衝撃って ときに欲しくなるのです
先生はこの猛暑にもめげず 毎日すごい!
群馬は雨すごかったみたいですが・・?
確信がなきゃ出来ない感じがします。
こういう方を見てると、GOGO!と
応援したくなりますね。どきどき
この確信はどこから来るのか。。
私も何かひとつぶの確信が欲しいのですが
なかなか見つかりませんね。。