新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

美術にどきどき、わくわく!(その5)

2012-12-08 10:59:08 | 美術館・博物館・アート

美術にどきどき、わくわく!(その4)」のつづきです。

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東京国立近代美術館(MOMAT)で開催中の、「美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年」第1部 MOMATコレクションスペシャルで一番私に響いたのはこちらの作品だったような気がします。

121208_2_02 靉光(あいみつ)の「自画像」です。

靉光は、本名:石村日郎、1907年、広島県生まれの日本人。
この作品は、中国(旧満州)への旅行から帰ってきて、1943~1944年にかけて描かれた「自画像三部作」のうち、最後に描かれた「白衣の自画像」と呼ばれるもの。
靉光は、この作品を完成させた直後に召集されて(37歳)中国大陸に渡ります。
そして、戦地で終戦(敗戦)を迎えるのですが、日本に帰還することなく、1946年1月上海で病死されました。

靉光は何を思って自画像を連作したのか、また、絵の中の靉光は何を見つめているのか…
勝手に想像するに、旧満州の空気を吸って、戦時下の日本に画家としての自分の居所がほとんどなくなったことを肌身に感じたんじゃなかろうか。
そして、新兵としてかなり歳を取ってはいるけれど、召集される可能性も感じていたのではなかろうか。
絶望的な状況の中で、画家・靉光存在の証明のために自画像を連作したのではないかと思います。
そんなことを考えながらこの作品を観ていると、なんともいたたまれない気持ちになってしまいました。

   

気分を変えて、いかにもPOPなこちらの作品。

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横尾忠則「責め場 1」「責め場 2」「責め場 3」
色遣い題材レイアウト、、、いかにも横尾忠則ですなぁ

「あれ どしたの?」と思ってしまうこちら

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田中功起「一つのプロジェクト、七つの箱と行為、美術館にて」は、段ボール箱を持ってMOMATの中を走り回ったり、あちこちに段ボール箱を積み上げる若者たちの映像と、クロネコヤマトの段ボール箱と、MOMAT館内の椅子を乱雑に並べたおバカな作品です。
私、こんな作品も好きです。「シーシュポスの神話」を連想した、、っつうのは考えすぎでしょうか

121208_2_05 そんな私でも、こちらのインスタレーション(高松次郎「光と影」は、「面白いかも」とは思いつつも、、、、ただそれだけでした

また、「ふ~ん…」で終わったもう一つの作品がこちら。

121208_2_06 ジャクソン・ポロック「無題(多角形のための頭部)」です。
モダンアートの巨匠・ポロックに、こんな作品を描いていた時期があったとは初めて知りました
作風を変えて良かったデスねぇ

   

MOMATでは、「みんなの東今美作品人気投票」と題して、今年4月中旬から7月末日まで、MOMAT所蔵作品のうち「特に人気のある作品40点」を対象にネットで投票を受けつけていたようです(知らなかった…)。
「洋画」「日本画」「彫刻」「写真」の全部門を通じての総合1位に選ばれた上松松園「母子」その2で紹介しました)の獲得票数が106票ですから、あまり盛り上がらなかった企画だったようです(私が知らなかったことの繕いみたいなもの…

それはそうと、この投票結果のフライヤーを当日、MOMATで入手したのですが、私の目を惹き付けたのは、「写真」の第1位が植田正治「パパとママと子供たち」(36票)だったこと

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出たぁぁ~植田正治

約2年前に埼玉県立近代美術館「植田正治写真展-写真とボク-」を観て以来(記事はこちら)、植田正治はかなりお気に入りの写真家ですし、「家族」シリーズ大好きだし、「パパとママと子供たち」「植田正治写真展-写真とボク-」では「パパとママとコドモたち」と表記していました)は、特に気に入った作品の一つです
久しぶりに拝見しましたが、やはりステキな作品でした。

ところで、2011年1月26日の記事「植田正治さんの作品は時空を超えていた」で、参考として木村伊兵衛「青年」を載せたんですが、こちらの作品も「美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年」で展示されていました。
木村伊兵衛「青年」を含む第2部 実験場1950sの紹介は稿を改めます。

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美術にどきどき、わくわく!(その4)

2012-12-08 00:09:09 | 日記・エッセイ・コラム

「美術にどきどき、わくわく!(その3)」のつづきなんですが、その前に、きょう(12月7日)撮ったこの1枚から。

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ミニマルアートを気取ったわけではありませんで、たまたま頭上に広がる青空があまりにも「一片の雲もない青空」だったもので、思わず撮ってしまいました。

   

それはそうと、、「美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年」第1部 MOMATコレクションスペシャルのことを思い出すまま書いていると、そのうち展示作品のほとんどのことを書かないと気が済まなくなってしまいそうで、怖いのですが…

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「この絵、初めて観るけど、いいなぁ~なんて思っていたこちらの絵、これが知る人ぞ知るいわく付きの作品でした。

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長谷川利行「カフェ・パウリスタ」です。
説明書きを転記しますと、

パウリスタとは「サンパウロっ子」の意。1911(明治44)年にオープンし今も続く銀座店をはじめ、浅草、神田などにも店のあるカフェでした。利行は時には行列ができるほど人気だったカフェの室内を、女給だけが立つ風景として描いています。静けさが、色彩の鮮やかさをさらに引き出しています。本作は。利行が1931(昭和6)年頃に滞在していた台東区谷中の下宿屋に、家賃代わりにおいていったもの。長く行方不明でしたが、下宿屋のご子息がテレビ番組に鑑定に出したことをきっかけに、2009年度、当館が購入いたしました。

だそうです。
「テレビ番組」というのは、もちろん「開運! なんでも鑑定団」(2009年2月24日放映)。
鑑定額は1800万円だった由(MOMATの購入金額は不明)。

いったいいくらの家賃の代わりに、長谷川利行がこの絵を置いていったのか気になるところですが、MOMATの研究員、保坂健二朗さんのコチラの論文(全編を通してかなり面白い)によれば、下宿屋の現当主・福井龍太郎さんの述懐、

昭和24年頃のことです。20歳くらいだった私に向かって、秋田から来て間借していた人が、「お前のところに長谷川利行という画家の絵があるはずだ」と言ったんです。私は全然知らなかったのですが、父親が「あるよ」といい、物置にしていた部屋から引き出してきました。
そのとき父親が「この絵を描いた画家が家賃のかわりに置いていった」と言っていたように記憶しています。

を紹介した後で、

先の福井の記憶を裏付けするような記述が、吉田和正や矢野文夫の評伝の中にあるので、以下に引用しておこう。
吉田の評伝にはこうある。

聞いてみると下宿を追い立てられているのだと言った。
部屋代を滞らせていることは想像できたが、さらに聞いてみると、利行は部屋代のカタに百号の絵を差し出し、それで部屋代を相殺し、お釣りを出せと要求しているのだった。/利行はキャンバスの裏に「定価千円」と書き入れ、家主に渡したと言った。/「それで、家賃はいくら滞っているの」/「せいぜい百円ちょっとだ。」

100円ちょっとたまった部屋代を払う代わりにこの絵を差し出して、「この絵は1000円だから、お釣りをよこせ」とやったようです。
自分でその絵を売ってきて、部屋代をキッチリ払ったらよいのに…と思いますよねぇ

もっとも、保坂さんの論文によれば、「部屋代の代わりに絵を差し出してお釣りを要求する」のは長谷川利行の常套手段だった気配があって、福井さんのところに溜めた下宿代が「100円ちょっと」だったとは断言できなさそうです。
なんだか、あとの顛末も含めると、古典落語の人情ものにありそうな話ですな。

ところで長谷川利行という画家、「カフェ・パウリスタ」だけでなく、併せて展示されていた「タンク街道」ともども、なんとも強烈なインパクトを持った作品を描いているのですが、人間としては、お付き合いしたくないっつうか、お近づきになりたくない人物であったようです。
でも、そんな人間だったからこんな作品を描けたのかもしれません。

   

ホントは、ドバドバと簡潔に気に入った作品・気になった作品を紹介して第1部 MOMATコレクションスペシャルの話を終えたかったのですが、もう眠い…
っつうことで、まだまだつづく…

つづき:2012/12/08 美術にどきどき、わくわく!(その5)

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