「紀伊半島旅行記(その7:伊勢編 その1)」のつづきは、いよいよ「お伊勢参り」です。
紀伊半島旅行3日目の旅程は当日の記事「伊勢では玄関先に一年中『しめ飾り』を吊す?」で書きましたので省略いたしまして、外宮(豊受大神宮)に到着したところから書き始めましょう。
立て札とか由緒書きも、真新しい白木が輝いているようです。
御遷宮は内宮と同じく二十年に一度行われ 平成二十五年十月五日に第六十二回式年遷宮が行われました
と書かれている由緒書きも、社殿や御装束・神宝と一緒に新調されるんですなぁ。
このあと、意外なものまで「新調」されることを知って驚くことになるのですが、まずはお参りしましょう。
「表参道火除橋」というらしい橋(左側通行)を渡って、手水舎でしきたりどおりに手を洗って口を漱ぎ、、、ありゃ、
左手をもう一度清め、柄の首を片手で持ち、やや立てるように傾け、残った水が柄の部分を洗うように手を使い流す。
これをしなかった…
当日は、そんな不作法には気づくことなく、第一鳥居をくぐりました。
参拝客の皆さんは、鳥居をくぐって入るとき&出るとき、内側に向かって一礼されています。
こんなこと、私は一度もしたことがありません
でも、「お伊勢参り初心者」の私ですから、「郷に入りては郷に従え」で、お辞儀してから鳥居をくぐりました。
そして、第二鳥居をくぐり、お札授与所(神楽殿)の前を通り過ぎると、塀越しに、もう朽ちる寸前といった風情の建物が見えました。
何だろ、これ… と思いつつ視線を左に移すと、
おぉ~ 木の香りが漂ってくるような新しい社殿
が鎮座していらっしゃいます。
ということは、「朽ちる寸前といった風情の建物」は、半年前までは正宮だったということですか?
ということは、20年前に建てられた建物…
築後20年で、ここまで来ますか…
役目を終えた社殿は、自然の中に溶け込んで(自然と同化して)いるようでした。
一方、新築の正宮
は、
すがすがしい~~
というのが第一印象でした。
そして、神社界のツートップの一つにやって来た
という感慨が湧き上がってきました。
写真撮影(もちろんビデオ
も)が許されているのは上の写真の地点までで、その先は自分の五感に焼き付けるしかできません。
ところが、お参りする「外玉垣南御門」(上の写真で鳥居の内側に見える建物)には布が下げられていて、その奥が見えません
その布が、ときおり吹く風にあおられて舞い上がると、その先がチラリと見えたりして、この辺の「演出」はなかなかなものです。
外宮・正宮へのお参りを終えた私は、他の参詣客の人たちの流れに乗って別宮へ。
いわゆる「伊勢神宮」は、正式には単に「神宮」ということは知っていましたが、それと、皇大神宮(内宮)・豊受大神宮(外宮)はどういう関係にあるのでしょうか?
伊勢神宮のHPによれば、
神宮とは、伊勢の宇治の五十鈴川のほとりにご鎮座の皇大神宮(内宮)と、伊勢の山田の原にご鎮座の豊受大神宮(外宮)の総称で、古くは伊勢太神宮(いせのおおみかみのみや)ともいいました。
この両大神宮の正宮には、別宮、摂社、末社、所管社が所属しており、全てで125の宮社を数え、これらの宮社をふくめた場合も神宮といいます。
だそうです。
正宮からほど近いところに、別宮の風宮(かぜのみや)と、
土宮(つちのみや)が立っていました。
どちらも「未遷宮」で、向かって右側の古殿地(新御敷地)には、ぽつんと古びた心の御柱の覆屋が立っています。
一方、ちょいと坂道を上った先にある多賀宮(たかみみや)は新しいお社になっていました。
きっと正宮の正殿もこんな形式なんだろうな…と、しげしげと拝見
しました。
ボテッとした屋根がかわいらしいですなぁ。
下のイラストは正宮正殿です。
別宮の鰹木は5本ですが、正宮正殿のは9本あるそうな。
あまりキリがよくありませんけれど、ここで一息入れます。
つづき:2014/05/25 紀伊半島旅行記(その9:伊勢編 その3)