「2018年最初の関西旅行 #2-1」のつづきです。
「#2-1」の最後に載せた大阪歴史博物館から眺めた難波宮跡の写真の一部を拡大してみます。
画面の中央上、ビルの合間に見える峰が二つ並んでいる山は、大和国と河内国の境にある二上山です。
二上山といえば、飛鳥側からだと、二つの峰の間に日が沈む様子から聖なる山と崇められた山で、五木寛之の小説「親鸞」を読んだ時、この二上山での場面がもの凄く印象深かったっけ…
そして5年前、二上山近くの當麻寺(訪問記はこちら)に行きましたっけねぇ~
この辺りの地理的関係がよく判るパネルが、大阪歴史博物館に展示されていました。
このパネル「飛鳥・奈良時代の畿内」の説明によれば、
畿内の経済と交通の大動脈は淀川・大和川の水運と内陸官道であり、難波京はこのルートの一大中心地に位置した。
都は奈良盆地や淀川上流域を転々と遷ったが、副都である難波はこれら諸京と常に結ばれ、飛鳥・奈良時代を通じて長く存続した。
だそうです。
なるほど…
海に面していることが難波の強みで、政権にとって難波は海外あるいは西国への出発点
だったというわけですな。
そして、その航海の無事を祈念するのが住吉大社だったといことですか…
そういえば、私、住吉大社にはまだ一度も参拝したことがない
遠くない時期に住吉大社にお参りに行きたいと思いますが、歴史的な位置づけを頭に入れた上でお参りする方が、ただのほほんとお参りするよりご利益は大きい
のではなかろうかと思ったりして…
ちょっとこここから端折ります
7年前同様に楽しみましたということだけ書いて、1階のこちら
のお話に飛びます。
大阪歴史博物館の外からも見える場所に展示されていたのは「タイムカプセル」でした。
長くなりますが、説明板を転記
します。
昭和45年(1970)、大阪の千里丘陵で日本万国博覧会が開催された。この博覧会は、6400万人を超える入場者を集めた万国博覧会史上最大の催しとなった。
そのなかで、毎日新聞社と松下電器産業により、タイム・カプセルEXPO'70の製作・埋設が企画された。このタイム・カプセルは、現代日本の文化を未来に伝えるためのもので、現代を代表する品物2098点が収納されている。万国博期間中に松下館で展示され、昭和46年(1971)3月、大阪城天守閣前に埋められた。
タイム・カプセルは、全く同一の1号機と2号機が埋設されている。1号機は5000年後の西暦6970年に開封される計画になっている。2号機は、30年後の西暦2000年にかまず開封され、点検などを行ったのち再埋設されて、その後100年ごとに開封・再埋設を繰り返す計画になっている。2号機は、平成12年(2000)に初開封された。
タイム・カプセルEXPO'70は、特殊ステンレス鋼でつくられた内径1mのボール型の容器で、重量は1.74トンある。内部には、2098点の品物が収納されている。これらは、当時の科学技術の水準を示す「自然科学分野」の資料742点、人々の日常生活を示す「社会分野」の資料742点、美術や音楽などに関する「芸術分野」の資料592点、その他の資料78点から構成されている。
ここに展示しているタイム・カプセルは、万国博当時つくられてものの1つで、埋設されずに大阪市立博物館に展示されていたものである。
壮大なプロジェクトです
でも、5000年後までこのプロジェクトの存在を伝えることはできるのでしょうか?
また、100年ごとに2号機を掘り出して、開封して、再埋設する費用はどうするのでしょうか?
そんな下卑た疑問が涌いてきます。
ところで、私の実家には、このタイムカプセルの模型(今でいうフィギュアの類)が数種類ありました。
私の親が「ナショナル・ショップ」に勤めたいた縁で、タイムカプセルの模型たちが我が家にやってきていて、私の記憶
にも刷り込まれたという次第です。
そして、タイムカプセルが大阪城天守閣前に埋められていることも知っていたはずなんですが、、、、、、何度か大阪城天守まで行ったものの、タイムカプセルがどの地点に埋められいるのかを私は知らない
この事実は、けっこう衝撃的でした。
というわけで、突然、この日午前中で一番の目標は、タイムカプセルの埋設地点を探すことになりました
と、かなり意気込んだ割には、タイムカプセルの埋設地点
は簡単
に見つかりました。
その地点がこちら。
天守の真ん前
、しかも至近
の場所に、説明板
と共に、その埋設地点
はありました
でも、そのスポットは、、、、
大勢の外国人旅行者たちにとって、絶好の休憩スポット
になっておりましたです…
そこ、座るところじゃないんですけど…
つづき:2018/05/20 2018年最初の関西旅行 #2-3