「2018年最初の関西旅行 #2-2」のつづきです。
大阪歴史博物館を楽しんだ後、大阪府警察本部の前で横断歩道を渡り、いよいよ大阪城
何度見ても、南外堀の石垣の連なりがイイなぁ~
南外堀の説明板によれば、
大阪城二の丸の南に位置する堀で、西が大手口、東が玉造口である。石垣の総延長は約2km、堀の最大幅は約70mあり、寛永5年(1628)、徳川幕府による大坂城再築第3期工事による、豊臣時代大坂城の堀跡に改めて石垣が築造された。(中略) 内側の石垣上には東から一番櫓から七番櫓まで七棟の隅櫓が建造された。櫓は明治維新の大火により四番・五番・七番を失い、さらに第二次大戦の空襲
により二番・三番を失って
、現在は一番櫓と六番櫓だけが残る。
だそうで、石垣の角々に櫓が立っていたことを想像すると、往時(といっても江戸時代)はさぞかし壮観だったろうなと思います
下の写真は玉造口から入城した去年1月の「LOVE BEBOP大阪旅行」のとき(記事はこちら)に撮った一番櫓です。
で、今回は正面玄関ともいうべき大手口から入城しました。
なんとも立派な斜路を通って向かった大手口ですが、豪勢な門全体の造りとは裏腹に、入口の高麗門は激しく狭い
そして、高麗門を抜けると広がるスペースの周りには石垣があり、城の中心部向かう左側の門(多門櫓)はいかにもお城の風情です。
お城の入口としてはお馴染みの枡形門になっていまして、攻め入ろうとする敵勢の勢いを狭い最初の門で削ぎ、中に入った敵勢を周りから攻撃
しようという構造です。
(下の写真は旧江戸城の大手門)
ここで高麗門をふり返ると、その構造がよく判ります。
説明板によりますと、この高麗門は重要文化財に指定されているそうで、
城の正面を大手(追手【おって】)といい、その入口を大手口(追手口)、設けられた門を大手門(追手門)とよぶ。現存する大阪城の大手門は寛永5年(1628)、徳川幕府による大坂城再築工事のさいに創建された。正面左右の親柱【おやばしら】の間に屋根を乗せ、親柱それぞれの背後に立つ控柱【ひかえばしら】との間にも屋根を乗せた高麗門【こうらいもん】形式である。屋根は本瓦葺【ほんがわらぶき】で、扉や親柱を黒塗総鉄板張【くろぬりそうてついたばり】とする。開口部の幅は約5.5m、高さは約7.1m。(以下略)
だそうです。
ところで、枡形門はこの大手門だけでなく、大阪城の要所要所に設けられているのですが、だいたいどの枡形門でも、高麗門と多聞櫓(跡)に囲まれた区画(枡形)にはこれ見よがしに巨石が使われています。
大手口枡形の巨石「大手見付石」は、「表面積が約29畳(47.98㎡)で城内第4位」だそうです。
「これ見よがしに」と書きましたが、まさしく、敵を含む来城者への威圧
の目的があるのでしょうねぇ…
というところで、まだ入城する途中ですが、おしまいにして出かけることにします。
つづき:2018/05/21 2018年最初の関西旅行 #2-4