「2018年最初の関西旅行 #2-3」のつづきです。
ここで今回の散策ルートを…。
青い線で示したPART 1は西の丸庭園など西側、赤い線で示したPART 2は中心部の本丸、黄色い線で示したPART 3は桃園など北側を歩き回りました。
約4時間ほど、ほとんど歩きっぱなし
でございまして、この日の歩数
を見ると、
歩きましたなぁ~
歩数もさることながら、この折れ線グラフを見ると、ホテル
を出発した朝の9時頃
から、「THE SUPER TOUR OF MISIA」の会場の大阪城ホールに入る16:30頃
までひたすら歩いて
、そこからライヴ
が終わった20:00頃
まで歩行を止めて(スマホの電源を落としてた)、その後、ホテル
に戻ったこの日の私の動きがクリア
に表れているのが面白い
さて、この日の行動を計画する中で(って大げさなものではないけれど…
)、約8年ぶりに大阪城天守閣に昇って
みよう(8年前の記事はこちら)と思っていました。
そんなわけで、大阪歴史博物館に入場するとき、大阪歴史博物館と大阪城天守閣とのセット入場券が存在すること、しかもかなり「お得
」なことを知り、こりゃLucky
とセット券
を購入しました。
大阪城天守閣と大阪歴史博物館(常設展)の通常の入場料は、ともに600円のところ、このセット券
は900円
ですから、「1着買うと、もう1着は半額
」といった紳士服販売店みたいな「お得度
」です。
で、そのセット券をバッグに入れて大阪城に入城した私、ここで大阪城本丸の西側にある「西の丸庭園」に入ったことがないことに思い至りました。
そこで、入場料350円也をお支払いして、初めての「西の丸庭園」に入場
この入場券を見てあれ
「観桜ナイター」ですと
まだ真昼だし、サクラ
もとっくに盛りを過ぎているのに…です
実際、目の前に広がるのは芝生の広場と、
葉桜でした(今年はサクラの開花が早かった
ですから…)。
こんな場所に入るのに350円を取るのか? とちょいと…
この記事を書くにあたって調べると、この「西の丸庭園」の入場料は、通常期であれば200円だそうで、350円は、サクラ
の季節限定の「観光料金
」だったようです。
少なからず憮然 として、西の丸庭園を歩きました。
そんなことから、更に別料金が必要だった「焔硝蔵」は外から眺める
だけにとどめました。
角度を変えてもう1枚
ほとんど石造りといってもよい異様な建物です。
それもそのはず、この焔硝蔵(えんしょうぐら)は、
徳川幕府が、鉄砲や大砲に使用する焔硝(火薬)を保管した蔵で、現在の焔硝蔵は貞享2年(1685)に建造されたもの。焔硝蔵はそれ以前にも城内数か所にあったが、青屋口にあった土蔵造りの焔硝蔵は万治3年(1660)に落雷を受けて大爆発
を起こし、また別の場所にあった半地下式の焔硝蔵も部材の腐食による建て直しがたびたびなされるなど、幕府は焔硝の有効な保管方法に苦慮していた。そうした課題を克服すべく、この焔硝蔵では耐火・耐久・防水に特に工夫がこらされ、床・壁・天井・梁をすべて花崗岩として、石壁の厚さは約2.4m、屋根の下は土で固められている。面積は約171.9㎡、高さは約5.4mで、こうした石造りの火薬庫はわが国では他に例がない。徳川時代の大坂城には、西日本における幕府の軍事拠点として、焔硝のほかにも大量の兵糧や武器・武具が備蓄されていた。
だそうで、まさしく「重要文化財」にふさわしい建物なんですな。
ただ思うのは、「徳川時代の大坂城には、西日本における幕府の軍事拠点として、焔硝のほかにも大量の兵糧や武器・武具が備蓄されていた」にもかかわらず、幕末には、上洛していた徳川慶喜が、大方の大坂城に籠もって徹底抗戦するという期待や予想に反して江戸へ脱出してしまったわけで、大坂城の備蓄はさほど役に立たなかったってこと。
もっとも、幕末の大坂城に限らず、同時期の江戸城も、大坂夏の陣の大坂城も、それぞれ自慢の「鉄壁の守り」を生かすことができず、近世以降で実際に攻城戦
が繰りひろげられたのは会津戦争くらいのものだったのではなかろうか…
なんだか空しい…
そんな憂いに満ちた思いも、乾櫓を内側から眺めたり
、
咲きかけのツツジを眺めたり、
盛りの八重桜を観ているうちに、
だんだん気が晴れてきました
そして、極め付きは、、、、
大阪府庁
なぜか好きな「プリンセス・トヨトミ」
を思いだしてしまいました。
こうして大阪城西の丸庭園を歩いての感想は、、、やはり、これで350円は高い
ということでした
つづき:2018/05/26 2018年最初の関西旅行 #2-5