「2018年最初の関西旅行 #2-6」のつづきなんですが、きょうはこぢんまりと…。
「#2-6」で書いた発掘現場の隣り、ミライザ大阪城と大阪城天守閣の間に挟まれるように、なまこ壁の建物が立っています。
この建物は「金蔵(きんぞう)」という名前で、その名のとおり、
江戸時代、幕府の金貨、銀貨を保管したもので、幕府直営の金庫としての役割を果たした。「かねぐら」「かなぐら」とも読む。
だそうです。
見た目、新しそうに見えますが、
宝暦元年(1751)、この場所から南に延びていた長屋状の建物を切断・改造して築造され、以来、北西側に以前からあった金蔵を「元御金蔵【もとごきんぞう】」、この金蔵を「新御金蔵【しんごきんぞう】」と呼んだ。
というわけで、元をたどれば築270年になろうかという古い建物でして、重要文化財に指定されています。
残念ながら内部を拝見することはできませんでしたが、
高さは約5.8m、面積は93.11㎡で内部は大小2室からなり、手前の大きな部屋には通常の出納用、奥の小さな部屋には非常用の金銀を置いた。
構造は防災と防犯に特に工夫がこらされ、床下はすべて石敷き、入口は二重の土戸と鉄格子、床下の通気口にも鉄格子がはめられている。
だそうです。
こんな大坂城の中心部、本丸の、しかも天守の隣りにあるような場所に泥棒が忍び込んでくるとは考えづらいのですが、身内の幕府関係者をも信用していなかったということなのかもしれません。
ということで、「#2-8」は久しぶりの大阪城天守閣の見聞録です。