「2020年最初の関西旅行記 #3-3」のつづきです。
平等院ミュージアム鳳翔館を退出した私は、内部の拝観は叶わないこと と知りつつも養林庵書院へ足を運びました。
この「単層入母屋造檜皮葺」の建物、説明板を転記
しますと、
養林庵書院は慶長6(1601)年、加傳和尚が伏見城より移建したと伝えられる。
広縁中央には寛永の三筆の一人、松花堂昭乗による「養林庵」の篇額がかかり、内部には狩野山雪工房による襖絵「籬に梅図」、山楽による床壁絵「雪景楼閣山水図」が描かれている。落ち着いた書院と仏間、茶室という三つの要素を持ち、随所に桃山様式を残す。
細川三斎(忠興)の作といわれる洗練された平庭枯山水と見事に調和する。
なんですが、私が養林庵書院の内部を拝観したい理由は書かれておりません。
そりゃ、狩野山楽&山雪にも興味津々ですけど、私の一番の関心事
は、何といっても、かの山口晃画伯が筆を奮った襖絵「當卋早来迎、賽の河原、白道」でございます。
この襖絵が奉納された2012年末、11~12月初の週末・祝日の11日間だけ一般公開されたそうですが(青い日記帳さんのサイトをご参照方)、私は、このことに気づくのが遅くて、完全に「あとの祭り
」でした
また養林庵書院の内部を公開してくれないものでしょうかねぇ… と、未練がましく、養林庵書院の外観をカメラ
に収めて、
鳳凰堂中堂の内部を拝観するべく、坂を下った
のでありました。
そうだそうだ
説明板に、養林庵書院は伏見城から移設されたと書かれていましたが、その移設時期(1601年)からすると、この建物は、会津征伐に遠征中だった徳川家康の留守を衝いて小早川秀秋&島津義弘が攻め
、落城
させた(1600年)、木幡伏見城の遺構ということなのでしょう。
この「伏見城の戦い」と伏見城の遺構は、この翌日、ひょんなことから「再見」することになる のですが、この時は、そんなことは知るよしもなかった私でした。
と、キリのよいところで、この先は「#3-5」につづきます。
つづき:2020/02/11 「2020年最初の関西旅行記 #3-5」