「1ヶ月ぶりに東京国立博物館へ (前編)」のつづきです。
東京国立博物館(トーハク)の総合文化展(平常展)を観終わった私は、一旦、トーハクを出て、竹の台広場で開催中の「日本伝統文化フェスタ」にずらりと並ぶ食べ物屋台を物色し、牛ロース串
を選択
1串800円と、ちょっとした値段でしたが、結構なボリュームで、コストパフォーマンスはそこそこあった
かと思います。
お腹がちょっと落ち着いたところで、トーハクに戻り、特別展「出雲と大和」を観覧しました。
この展覧会は、「日本書紀成立1300年」という冠がついておりまして、
令和2年(2020)は、我が国最古の正史『日本書紀』が編纂された養老4年(720)から1300年という記念すべき年です。その冒頭に記された国譲り神話によると、出雲大社に鎮座するオオクニヌシは「幽」、すなわち人間の能力を超えた世界、いわば神々や祭祀の世界を司るとされています。一方で、天皇は大和の地において「顕」、すなわち目に見える現実世界、政治の世界を司るとされています。つまり、古代において出雲と大和はそれぞれ「幽」と「顕」を象徴する場所として、重要な役割を担っていたのです。
「幽」と「顕」を象徴する地、島根県と奈良県が当館と共同で展覧会を開催し、出雲と大和の名品を一堂に集めて、古代日本の成立やその特質に迫ります。
という開催趣旨。
その「幽」と「顕」がクリアになっていなかった感じでたが、冒頭の「宇豆柱」と「心御柱」の展示は、のっけからうぉっ でした。
3本の丸太を束ねて繋げた出雲大社の柱の巨大さは、その上に円柱状に吊された布のオブジェとともに、観覧者を圧倒するものでした。
そして、
出雲大社本殿の1/10模型
私にとってこの模型は、2012年11月のトーハク「特別展『出雲―聖地の至宝―』」(見聞録)、2008年4月の出雲旅行で行った古代出雲歴史博物館(思い出しダイジェスト)以来、3度目ですが、何度観ても奇観としか言いようがありません。
上の写真は、「特別展『出雲―聖地の至宝―』」の特別企画「AR巨大心殿体感アプリ」なるもので見た「もしトーハクの前庭に出雲大社本殿が出現したら」です。
でも、本当に、高さ16丈(48m)、そこに繋がる階段が100mもある高層本殿が存在したのかは、議論が分かれるようです。
実際、模型のようなトップヘビーの建物だと、大風には弱そうですし…
さて、この展覧会で驚いたのは、古代出雲歴史博物館で拝見して圧倒された、大量の銅剣・銅鐸・銅矛が、ドドドッ
と展示されていたこと
本殿の模型だけでなく、銅剣・銅鐸・銅矛がひとまとめになって東京出張したら、古代出雲歴史博物館の展示が成り立たなくなるのではなかろうか
と思ったら、
古代出雲歴史博物館は、昨年11月から今年4月末まで、リフレッシュ休館中でした。
一方、「大和編」で最も「来た」のは、2013年5月、奈良国立博物館での特別展「當麻寺」以来のご対面となった、當麻寺の持国天立像でした。
「當麻寺」展のときも、今回の「出雲と大和」展も、當麻寺の四天王は、持国天だけのお出ましなのはなぜなんでしょ?
改めて左に載せた「當麻寺」展のフライヤーを観ると、フィーチャーされているのは、「當麻寺」展の目玉「當麻曼荼羅」、當麻寺を象徴するような二上山の夕暮れ、そして、持国天です
當麻寺の四天王像は、當麻寺訪問記に、
四天王像は、乾漆像としては「日本最古」、「四天王像」としても法隆寺金堂のものに次ぐ古さであることに加えて、その面貌の良さが際立っていると思うのですけど…
と書いたように、お髭がステキです
それだけでなく、右手に剣を構えた持国天のすっくと立った姿がカッコイイったらありません
ミュージアムショップで持国天のポストカードが販売されていたのですが、実物の迫力や荘厳さ
が感じられなくて、買うのはやめました
そういえば、當麻寺の仁王様の阿形像の躰内に、蜂が住みついて、あろうことか玉眼を透してうごめく蜂が見える
(口を閉じてる吽形像は無事だというのがなんとも…
) なんてニュースを見ましたが、その後、どうなったんでしょう
ちょいと話がズレそうなので「出雲と大和」展に話を戻しまして、奈良・藤ノ木古墳出土という「金銅装鞍金具」が、素晴らしかった
フライヤーには「東アジア随一のきらびやかな馬具」とネームが振られていますけど、ホント、精緻な金細工が見事です
これほどの工芸品をお墓に入れさせるなんて、被葬者は相当な有力者だったのでしょうなぁ…
それにしても、乗馬用の鞍というには、かなりデカい
それと、初めて知ったのは、鞍の前の板「前輪」はそのまま「まえわ」と読みますが、上に写真を載せた後ろの板「後輪」は「しずわ」と読むこと
なぜに「しずわ」
背景がありそうですけど、それは「課題」としておきましょう。
「出雲と大和」展では、2か所だけ撮影
可能スポットがありました。
一つは、島根・加茂岩倉遺跡で39個もの銅鐸がまとまって発見された状態を再現した様子で、
もう一つが、展示の一番最後にあったこちら
昭和24年(1949) 1月26日早朝に出火した火災によって大きく損傷した金堂壁画の複製陶板です。
だそうです。
焼け焦げた柱や梁がリアルで、焦げ臭さが感じられそう…。
どうしてこの展示が? かもしれませんが、これはどう考えても、トーハクの次の特別展「法隆寺 金堂壁画と百済観音」の予告でしょう
この特別展では、百済観音こと「観音菩薩立像」が23年ぶりに東下されるそうですが、私の一番の興味の対象は、金堂壁画の模写
焼損前に描かれた模写のうち特に優れたものや、焼損後に再現された現在の壁画などの展示により、この壁画がかつて誇った荘厳な姿に迫ります。
だそうで、2014年3月に、なぜか仙台市博物館で初めて拝見して(記事はこちら)、心の底から(from the bottom of my heart) 打ち震えた鈴木空如による模写も展示されるようです。
これは絶対に行かねば
と心に期しております。
なんだか変な〆ですが、以上をもって、きのうのお話は完結です。