「2020年最初の関西旅行記 #3-6」のつづきは、3泊4日の旅行の最終日、1月28日(火)のお話の始まりです。
ホテルをチェックアウトすると、まずは荷物とビニール傘を京都駅八条口のコインロッカー(新幹線改札に近い) に預けました。
首都圏では、昼以降、まともな雨が降るという予報でしたので、ビニール傘は自宅最寄り駅から自宅まで歩くときに使いたい(持ち帰りたい) と思いつつも、この日の京都は曇り空ながらも天気はもつそうで、ずっと使いそうもないビニール傘を持ち歩くのは鬱陶しい…
そこで、中型サイズのコインロッカーに、傘を斜めに入れて、その隙間にバッグを押し込むと…、入りました
身軽になった私は、バスに乗って、いざ、京都国立博物館(京博) へ
そうだ
この日の行程は、当日のダイジェストに載せましたので、こちらでは割愛いたします。
前年10月末からの4カ月間で3度目と、けっこうな頻度で訪れる京博ですが、この日のお目当ては、寛政4(1792)年製の「賢聖障子(けんじょうのしょうじ/そうじ)」でした。
この寛政版に先立つ慶長版(紫宸殿の建物と共に仁和寺に下賜)は、こちらで書いた以降も含めて何度か拝見したことがありますが、現在、紫宸殿に飾られている「昭和の模写」の元ネタを拝見するのは初めてでしたから
リーフレット「京都国立博物館だより」から引用しますと、
内裏は、歴史上たび重なる火災に見舞われ、その都度再見されてきました。
現在の京都御所は、幕末の嘉永7年(1854)に焼失したことを受け、翌年の安政2年(1855)に造営されたものです。そのため内部を飾る障壁画はそのほとんどが安政度の再建時に新調されていますが、賢聖障子は焼失を免れ、寛政度の内裏造営時に幕府御用絵師住吉広行(1755~1811)が描いたものが残っています(一部後補あり)。(中略)
現在、紫宸殿には昭和40年代に制作された模写が立てられ、原本は別に保管されているため、通常は目にすることができません。今回の特集展示は、この賢聖障子が9面すべて公開されるたいへん貴重な機会です。
だそうで、ほんと「貴重な機会」です (もっとも、昭和の模写だって拝見することは叶わないけど…)。
このとき、京博では「京博のお正月」として、前述の「京都御所障壁画 紫宸殿」[終了]、ダイジェストで(ちょっとだけ) 書いた「神像と獅子・狛犬」[3月22日まで] の二つの特集展示のほか、新春特集展示「子(ね)づくし -干支を愛でる-」[終了] が行われていました。
東京国立博物館でも「博物館に初もうで」と題して、子・鼠関連の展示を行っていましたが、こちらで書いたように、
「子=鼠」がメインになった美術品って、そうそうないみたいで、さすがのトーハクも、その苦労が察せられる展示でした。
「十二支の一つ」的な扱いの作品や、「鼠(色)地」の作品(着物や陶磁器)が多かったですから…
でしたが、京博はいかに
最初に展示されていたのは、
え" どうしてこれが「子・鼠」関連なの? と思ったら、「京都国立博物館だより」からその理由を転記しますと、
日本の宮廷には、子月(正月)の初子(はつね:最初の子の日)に長寿を願い、小さな松を根ごと引き抜くという年中行事がありました。子(ね)と根(ね)をかけた「根引きの松」は吉祥文様ともなりました。「源氏物語」では、子と根にさらに音(ね)の字をかけた「初音(はつね)」の帖が有名です。
だそうです。
年月を松にひかれて経る人に 今日鴬の初音聞かせよ
ですかぁ~
あまりにも奥ゆかし過ぎて、俗人(ぞくじん)の私には判りませ~ん
でも、凄いな、京博
その京博もまた「十二支の一つ」的な扱いの作品が目立つ中、こちらが出色でした
「からくり人形 大黒と鼠」(江戸時代 19世紀)です。(画像はこちらから拝借)
このからくり人形は、
大黒さまの袋からネズミが飛び出して、反対側の箱に入る仕掛け。
だそうですけれど、それよりも、大黒さまが、どう見ても女性っぽい
私は、鈴木春信の「見立大黒天」を連想してしまいました。
ところで、「京都国立博物館だより」によると、
京博では、明治時代の終わりごろに「新年陳列」として干支にちなんだ作品を並べました。しかし、一度目の子年は皇太子(後の大正天皇)のご成婚にあたり、翌年の丑年からスタートしており、二巡目はどうやら行われず、鼠の出番はついに訪れませんでした。今回が京博で初めての鼠特集となります。
だそうで、「京博の初子」を観られたなんて、Lucky でした。
と、京博の平成知新館館内のお話はこれでおしまい。
「#4-2」は、平成知新館の外から始まります。
つづき:2020/02/14 2020年最初の関西旅行記 #4-2