新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

2016年師走の仙台旅行記(その8)

2016-12-19 23:05:34 | MISIA/旅行記

「2016年師走の仙台旅行記(その7)」のつづきも「塩竃編」です。

と、その前に、きょう、こんなトゥウィート(MISIA)が目にとまりました。

2年ぶりの新アルバム、4年ぶりのTHE TOUR OF MISIA……。そして、15年ぶりのドラァグクイーン登場!(笑)
横浜アリーナと大阪城ホールでの公演に出演します。今回はドラァグクイーン増量マシマシよ!

という、あのマーガレットTweetです 

そっかぁ~、久々のドラァグクイーンの登場ですかぁ~
「THE TOUR OF MISIA」集大成にして千穐楽の今回のツアー、やはりドラァグクイーンは欠かせませんな

さて、御釜神社への参拝を終えて、まだ正午だというの腹ぺこ状態になった私は、昼食を摂る場所を探しつつ、本塩釜駅へと向かいました。

と、すぐにこちらの建物に目惹き付けられました

この建物は、清酒浦霞の醸造元、佐浦さんのものでした。

いかにも「年代物」に見えるこちらの入口、

法

佐浦さん「違い大根」紋ではなく、伊達家「竪三つ引き両」紋軒丸瓦が使われているからにはいわくありげです

傍らの説明板によると、

向拝(こうはい)とは、神社仏閣の本堂の正面階段上などにあって、屋根がせり出した部分をいい、ここから参拝者が本尊に向かい礼拝したことからこう呼ばれた。
ここ浦霞醸造元㈱佐浦の社屋玄関の向拝は、かつて鹽竈神社の別当寺として大きな勢力を誇った法蓮寺の向拝を移築したものである。

なるほど… 

法蓮寺は、鹽竈神社の神宮寺として室町時代に創建され、江戸時代には、仙台藩の祈願寺として広大な伽藍を有していた。(中略) しかし、明治維新の廃仏毀釈によって法蓮寺は廃寺となり、勝画楼を残して諸堂はとり毀され、仏像、仏具、経巻など共に悉く分散、散逸してしまった。

また出た、廃仏毀釈 

この時、法蓮寺の向拝は、南宮(多賀城市)の慈雲寺が譲り受け、同寺の本堂玄関として移築されることになった。その後この向拝は本堂とともに存続してきたが、平成18年に本堂が建て替えられることになり、向拝も一緒に解体、廃棄されることになった。
我々(NPOみなとしほがま)はその歴史的価値に鑑み、これを保存すべく、慈雲寺のご同意を得て、この向拝を譲り受けることにした。そして塩竃市民グループのボランティア支援を受けて、解体された部材を塩竃に移送、保管した。

ふむふむ…

その後我々は、向拝のよりよい保存活用法を検討し、かつて法蓮寺があった裏坂を望む本町中心部において多くの人々の目に触れ、江戸時代中期から御神酒酒屋として鹽竈神社とも関わりが深い佐浦酒造新築社屋の玄関として移築活用するのが最もふさわしいとの結論に至った。そして同社のご賛同とご協力を得て、130年余の歳月を超え、法蓮寺の向拝が再びここ塩竃の地に甦ることになった。
 平成20年10月               NPOみなとしほがま

へぇ~~

と、まだ終わらない塩竃編… 

つづき:2016/12/20 2016年師走の仙台旅行記(その9)

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