新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

コロナウィルスにも負けず出かけてきた #5

2020-03-03 06:44:15 | 美術館・博物館・アート

「コロナウィルスにも負けず出かけてきた #4」のつづきです。

迎賓館赤坂離宮の見学ルートを、記憶を頼りに、平面図にプロットしてみました。

赤い線が前半、青い線が後半でして、4つの「イベント会場」を巡るツアーでした。
そして、見学ルートの各所各所に、その部屋で行われたイベント、例えば晩餐会とか、サミットとか、国公賓の接遇とか、記者会見といった写真が展示されていました。
また、旧赤坂離宮が皇室から国に移管されて、迎賓館生まれ変わるまでの使われ方、例えば、国立国会図書館(1945年4月~1961年8月)とか、法務庁訟務局(1948年10月~1961年4月)とか、裁判官訴追委員会・裁判官弾劾裁判所(1948年7・8月~1970年6月)、憲法調査会(1956年6月~1960年9月)とか、東京オリンピック組織委員会(1961年9月~1965年1月)とか、臨時行政調査会(1961年12月~1964年10月)といった「組織」に使われていた頃の写真なんぞも展示されておりました。

私が迎賓館赤坂離宮に行ったとき、「1964年東京オリンピックがつくられた場所~(歴史と写真展)」が開催されいたわけですが、この建物と1964年の東京オリンピックとは、こんな関係があったんですな。

私は、去年のNHK大河ドラマ「いだてん」を時々観ては、そのたびに感動しまくっておりましたが、「まーちゃん」事務局長として大騒ぎしていた東京オリンピックの組織委員会どこにあったのだろうか? と思っていましたのですが…(なにせ、到底、役所や貸事務所には見えない造りでしたから)。
まさか「赤坂離宮」だったとは…

   

さて、多く晩餐会場に使われているという「花鳥の間」の次は、中央階段の脇を写真パネルを眺めつつへ進み、そして玄関の真上にある「彩鸞の間」へ。

で統一された天井と壁に、カーテンと椅子緋色が鮮やかです

いただいた紹介冊子によれば、

彩鸞の間は、本来、来客が最初に案内される控えの間として使われます。総理大臣による外国元首との首脳会談条約調印にも使われています。

だそうで、「実務の間」といってよいのかもしれません。

ちなみにこの部屋の名前「彩鸞の間」は、壁にある「鸞(らん)」という瑞鳥のレリーフから採られている由。
「鸞」は、浄土真宗の開祖・親鸞上人のお名前に使われていますが、それ以外にも、このブログのどこかで出てきたよなぁ~と思って調べたら、こちらで書いた、御帳台の屋根の上にいる「鸞」でした

見た感じ、鳳凰とそっくりですが、この日、迎賓館赤坂離宮から買ってきた「国宝 迎賓館赤坂離宮 沿革と解説」という冊子(著者は迎賓館初代次長の小玉正任さん) によれば、(あるいは鸞鷟=らんさく)は鳳凰の雛を意味し、設計者の片山東熊が、東宮御所(皇太子邸)を飾る瑞鳥としてふさわしいと考えたのではないかと考察されていました。

ここでちょっと考えてみると、天皇の高御座の屋根の上には鳳凰皇后の御帳台の屋根の上にはが飾られているということは、皇后が天皇(鳳凰)の跡継ぎ(鸞)を宿す、というおまじないなのかもしれません。
まあ、私の思いつきですけど…

   

「彩鸞の間」を出て、中央階段の脇の、往路とは反対側を写真パネルを観ながらとって返すと、中央階段を昇った先にある迎賓館赤坂離宮メインルーム「朝日の間」です。
両脇に、小磯良平「絵画」「音楽」と題する2枚の絵画が飾られた入口を入ると、、

「彩鸞の間」と同様、基調はながら、カーテンの深緑色と、桜花が織り込まれた薄紫段通が、荘厳さを漂わせています。
そして天井には、「朝日の間」の名前の元となっている絵画

朝日を背に、女神オーロラ4頭立てChariotを駆る姿が描かれています。

「朝日の間」について「国宝 迎賓館赤坂離宮 沿革と解説」では、

この部屋はもと第一客室、第一溜(たまり)の間と呼ばれた。ヨーロッパの宮殿の謁見の間に当たると考えられる。現在、この部屋は、国公賓用のサロン(客間、応接室)として使われ、表敬訪問や首脳会談などが行われている。

だそうです。

見学時、段通は、半分ほど丸められて、見学者には踏まれないようにしてありました。
どんな踏みごたえなんだろ…
おそらく、下手に歩いたら足首を捻挫しそうなくらいフカフカなんだろな…

   

最後は、中央階段を挟んで「花鳥の間」反対側にある「羽衣の間」

「彩鸞の間」似た色づかい&雰囲気ですが、一層華やかさが増している感じ。
どうしてなのだろうか? と、よくよく写真を見比べると、

窓がより縦長
シャンデリアがデカい
オーケストラボックス(バルコニーのように見える“中2階”)がある

といった違いがあります。

紹介冊子から引用しますと、

オーケストラボックスを備え、壁には和洋の楽器のレリーフ。かつて舞踏室と呼ばれたのが羽衣の間です。
歓迎式典や晩餐会の招待客に食前酒をふるまう場として使われるほか、演奏会が行われることもあります。

だそうです。
「なるほど…的な華やかさです。

接遇の流れとしては、

正面玄関お出迎えし、
中央階段2階に昇り
「彩鸞の間」で来訪を感謝し、
「朝日の間」で歓迎セレモニーを行い、
「羽衣の間」で一息入れていただき、
「花鳥の間」で晩餐会

といったところでしょうか

「羽衣の間」を最後に館内の見学おしまい なんですが、国公賓宿泊する部屋も拝見したかったな…

と、館内から外に出たところで、ここから先は「#6」「#8」につづきます。

つづき:2020/03/07 コロナウィルスにも負けず出かけてきた #8 [完結編] 

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