新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

紀伊半島旅行記(その20:伊勢2日目編 その3)

2014-06-09 23:27:53 | 旅行記

「紀伊半島旅行記(その19:伊勢2日目編 その2)」のつづきは、神宮徴古館のお話です。

140609_1_01

威風堂々としたシンメトリーのこの建物、

徴古館の建物は、赤坂離宮(現在の迎賓館)を手がけた当時の宮廷建築の第一人者・片山東熊の設計です。
ルネッサンス様式の重厚で格調ある外観が特徴です。

だそうです。
またまた登場した片山東熊さんです

但し、現在の神宮徴古館の建物は、創建当初のものとは異なっているようです。

昭和20年の戦災で徴古館の建物と収蔵品の大部分を焼失。 昭和28年の第59回神宮式年遷宮を記念して、外壁はそのままに2階建てに再建されて今日に至っています。

とのこと。
戦災前の建物の写真を探してみました。
すると見つかったのはこちら絵はがき

140609_1_02_2

中央部の意匠が相当に変わっています。

140609_1_03

オリジナルのドームに代わって、切妻&方形直線的なデザインになったんですなぁ。

現在のデザインも嫌いではありませんけれど、窓のアーチとの関係で言えば、やはり中央部の頭は曲線系のドーム(下の写真は同じく東熊さんの設計による東京国立博物館表慶館)の方が収まりはよさそうな気がします。

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もしも、東熊さんが現在の神宮徴古館を見たとしたら、

違う 違う

ご立腹されるかもしれませんナ

   

ところで、どうして神宮徴古館戦災に遭ったのでしょうか?
周りには工場とか基地といった戦略的な施設は皆無の場所なのに…
(つい最近、こちらの記事でも同じ疑問を書きましたっけ)

と、調べると三重県で最初に本格的な空襲に遭ったのは伊勢神宮で、しかも、伊勢神宮のある宇治山田市は、6回も空襲を受けたのだとか
これはもう、皇祖神を祀る伊勢神宮爆撃することで、日本人の心を萎えさせようという目的を持った戦略爆撃だったと考えるしかないでしょう。

それにしても、爆撃によって、

徴古館の建物と収蔵品の大部分を焼失

というのは、つくづく酷い話です。
タリバーンがバーミヤンの石仏を破壊した行為とどれだけ違うというのでしょうか。

ちぃとヒートアップしたところで、今日は寝ます

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