「紀伊半島旅行記(その19:伊勢2日目編 その2)」のつづきは、神宮徴古館のお話です。
威風堂々としたシンメトリーのこの建物、
徴古館の建物は、赤坂離宮(現在の迎賓館)を手がけた当時の宮廷建築の第一人者・片山東熊の設計です。
ルネッサンス様式の重厚で格調ある外観が特徴です。
但し、現在の神宮徴古館の建物は、創建当初のものとは異なっているようです。
昭和20年の戦災で徴古館の建物と収蔵品の大部分を焼失。 昭和28年の第59回神宮式年遷宮を記念して、外壁はそのままに2階建てに再建されて今日に至っています。
とのこと。
戦災前の建物の写真
を探してみました。
すると見つかったのはこちらの絵はがき。
中央部の意匠が相当に変わっています。
オリジナルのドームに代わって、切妻&方形の直線的なデザインになったんですなぁ。
現在のデザインも嫌いではありませんけれど、窓のアーチとの関係で言えば、やはり中央部の頭は曲線系のドーム(下の写真は同じく東熊さんの設計による東京国立博物館の表慶館)の方が収まりはよさそうな気がします。
もしも、東熊さんが現在の神宮徴古館を見たとしたら、
違う 違う
とご立腹されるかもしれませんナ
ところで、どうして神宮徴古館が戦災に遭ったのでしょうか?
周りには工場とか基地といった戦略的な施設は皆無の場所なのに…
(つい最近、こちらの記事でも同じ疑問を書きましたっけ)
と、調べると、三重県で最初に本格的な空襲に遭ったのは伊勢神宮で、しかも、伊勢神宮のある宇治山田市は、6回も空襲を受けたのだとか
これはもう、皇祖神を祀る伊勢神宮を爆撃することで、日本人の心を萎えさせようという目的を持った戦略爆撃
だったと考えるしかないでしょう。
それにしても、爆撃によって、
徴古館の建物と収蔵品の大部分を焼失
というのは、つくづく酷い話です。
タリバーンがバーミヤンの石仏を破壊した行為とどれだけ違うというのでしょうか。
ちぃとヒートアップしたところで、今日は寝ます
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