新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

(秋田)県南小旅行記(その3)

2016-08-29 22:17:52 | 旅行記

「(秋田)県南小旅行記(その2)」のつづきです。

「羽後町総合交流促進施設(旧長谷山邸)」土間に入ると、旧長谷山邸模型が展示されていました。
こんな風に、母屋が配置されているのですよ。

後ろのポット邪魔
それにしても、「蔵」に見えなくて、そして、背が高い

そんでもって、土間から上がると、広ぉ~い板の間囲炉裏添え

遠山記念館東棟の囲炉裏の間にも負けないくらい広い
広いだけでなく、部屋の隅には電話BOXまで装備する無敵囲炉裏の間です。

「電話三番」って、わざわざ書かなくてもいいのに…

んでもって、隣の部屋にも囲炉裏がありました。

ん? そういえば、私が小学3年生まで住んでいたにも囲炉裏のある部屋が二つ、それも続けてありましたっけ…
もっとも、どちらも旧長谷山邸と比べるまでもなく狭かったのですが

それはともかく、母屋から渡り廊下を通ってへ…

この渡り廊下を見るだけでも、やはり「普通の家」ではありませんな。

んでもって、「蔵」2階に広がっていた光景は、

見事な小屋組もさることながら、また、無造作衣桁に掛けられたもさることながら、右に見えるのは土蔵の上部か?

どう見ても土蔵ですヨレヨレ~
土蔵木造の建物の中に入っている

ちょっと混乱しながら、ガイド役の友人に誘われるまま、「蔵」3階に上がると、、、、

おわぁ大広間
旅館
料亭のような大広間がありました

そして、「長谷山氏の高楼新築」を祝うこんな「書」が。

この書の末尾にある署名を見ると、

「明治甲辰」ですから、明治37年(1904)で、説明板による完成2年後なんですな。

ところで、この書を書いた人「従二位平朝臣時萬 73歳」って誰?

平朝臣(たいらのあそん)」って、百人一首詠み人のように時代がかっていますが、「従二位」というくらいですから、かなり高貴な方…

調べると、すぐに見つかりました

こちらを見ると、「幕末~明治時代の公卿交野時萬(かたのときつむ)の筆蹟はこの書と一緒です。

なるほどねぇ~

何が「なるほど」なのか自分でも判りませんが高い場所だけあって、良い眺め

それにしても、この大広間宴会をやるとなったら、お給仕はさぞかし大変だったろうな…
なにせ、母屋台所から、渡り廊下を通って、急な階段を昇って来なければならないのですから。

長谷山行毅氏の肖像画長谷山家の歴代当主の一人、長谷山行毅さんの肖像画勲章&勲記勲三等旭日中綬章)を拝見したのち、1階まで降りました。

と、ここでちょっと寄り道

長谷山行毅さんは、1950年第2回参議院議員選挙秋田県選挙区から選出され、1期6年だけ参議院議員を務められたようです。
ところが、2期目を目指した1956年と、返り咲きを目指した1962年の参議院議員選挙では、日本社会党鈴木寿さんに敗れて政界を引退したらしい。

そういえば、秋田ではどうしたことか、社会党が強かった時期がありましたっけ…

ということで、旧長谷山邸「蔵」を解明できていませんが、きょうはこれまで。

つづき:2016/08/30 (秋田)県南小旅行記(その4)

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