「(秋田)県南小旅行記(その3)」のつづきです。
「羽後町総合交流促進施設(旧長谷山邸)」の「蔵」の1階に降りると、そこにあったのは、確かに土蔵の入口でした。
「丸に違い柏」は長谷山家の家紋かな?
土蔵の入口や窓には、「段」がつけられて、閉じたときに火の粉や風雨の侵入を防いで蔵の中を守る構造になっていますが、この旧長谷山邸の土蔵の入口の扉は6段になっています。
この意味を知るのは、翌日のこと…。
で、土蔵の中はといいますと、、、
土蔵と呼ぶにはあまりにも丁寧に作られた板の間でして、お宝や古文書
のコピーが展示されていました。
このコピー、普通にモノクロでコピーされたものでして、技術の発達した現代、気合いを入れてカラーコピーしたら、もっと観客
の目
を惹くのに…
と思いましたです。
ちょっとここで寄り道。
上の写真の中央部、甲冑に挟まれて2着の裃が展示されています。
拡大しますと、、、
左の裃には、「五本骨扇に月丸」の紋が描かれています
「五本骨扇に月丸」は、秋田の殿様、佐竹家の紋所です。
お殿様から拝領した裃なのでしょうかねぇ…
ところで、私の帰省中、相撲の秋田巡業が開催されまして(私が知ったのは開催当日)、その地元のTVニュース
を見ていると、秋田出身の豪風関が佐竹知事から「秋田県民栄誉賞」の表彰を受けていました。
私が注目したのは、紋付を着た佐竹知事
紋付の袖に染め混まれた紋所は、、、、
宗家とはビミョーに異なる「丸に月の丸扇」
このことをわが友人に話しますと、友人曰く、
「佐竹知事は分家だからねぇ。」
そうなんです。
佐竹知事は、佐竹宗家の分家、佐竹北家のご当主で、世が世ならば、「角館のお殿様」なんです。
もっとも、佐竹北家の系図を見ると、養子縁組が何度も行われていて、養子に入った佐竹知事が、佐竹家と血縁があるのかは不明です
さて、話を旧長谷山邸に戻します。
今回の県南旅行(秋田では「県南」と「南秋」とは、まるっきり意味も場所も違う)の発端となったハフィントンポストの記事を読むと、
この地(羽後町田代)に2016年9月に「鎌鼬美術館」が誕生する。
とありますが、その「鎌鼬美術館」が羽後町田代のどこにつくられるのかは書かれていません
そこで、帰省からUターンしたあとで調べる
と、、、、ありました
今月13日付けの毎日新聞の報道によれば、
美術館は写真集の撮影場所になった町総合交流施設「旧長谷山邸」(1902年建築)の土蔵の1、2階部分を改装する。細江さんから「鎌鼬」の写真を提供してもらうほか、慶応大からは関連資料を借りる。
ですって
鎌鼬美術館の開館が今年9月から10月に先送りされるのはともかくも、「旧長谷山邸」の土蔵の1、2階部分が鎌鼬美術館になるとはビックリです
なにせ、私が「旧長谷山邸」の土蔵に出かけたときには、そんな気配は皆無でしたから
毎日新聞の報道には、
総事業費は約1300万円。町が9月議会に補正予算案を出す。一方、同会は内装改修や展示物調達などの資金を「支援金」として町内外から募る。目標額は200万円で、期間は10月11日まで。支援金の額に応じ、田代地区で稲架(はさ)に掛けて乾燥させた有機米「鎌鼬米」や古民家「茅(かや)ぶき山荘・格山(かくざん)」の宿泊券、鎌鼬の会会員券などがもらえる。
とあります。
私も「支援金」の拠出を考えようか…
「その2」に載せた友人からのメール
じゃないけれど、「これも田代との縁」ですから
つづき:2016/09/01 (秋田)県南小旅行記(その5)
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