「2017年3度目の関西旅行記 #3-6」のつづきです。
7年ぶりの正倉院正倉の見物が終わったのは12:10頃で、あらかじめ買っていた近鉄奈良⇒京都の特急
の出発時刻まで2時間を切りました。
この2時間から昼食時間を除いた残りで、どこを見物するか…
東大寺講堂跡の礎石を眺めながら考えた結果はは、まず正倉院からほど近い戒壇堂に行って、1年ぶりに四天王像を拝見して(前回の探訪記)、その後、残り時間を睨みながら、東大寺大仏殿に行ってみることにしました。
相変わらず(って、1年ぶりなんだけど)、門の飾り瓦がいいなぁ~
門をくぐると、江戸時代(享保7年=1732年)に建立されたという、なぜか禅宗様の戒壇堂。
前回来た時には気づかなかったのですが、戒壇堂の階段の右手前にこんな石柱が立っていました。
「戒壇外相」と刻まれています。
門の外に「大界外相」と刻まれた石柱がありましたが、
こちらのサイトによれば、
東大寺戒壇院の境内には、見過ごしてしまいそうなほどささやかな石標がいくつかあります。すぐ目につくところでは、一つは門へ至る石段の下、一つは門の前、一つは戒壇堂のすぐ前。それぞれに「大界外相(だいかいげそう)」「大界内相(だいかいないそう)」「戒壇外相(かいだんげそう)」と刻まれています。これは「戒壇石」と言われるもので、お寺や清浄な場所の境界に立つ、いわゆる「結界石」の一つです。「ここからは聖域ですよ」と伝えるもので、僧侶となる儀式を行う戒壇堂はとりわけ重要な場所とされたため、東大寺の戒壇院は厳重に区切られています。四天王さまに近づくごとに、心身を浄めていくことが課せられているのです。
だそうで、「内界外相」の石柱は見逃した
こんど戒壇堂に行くときには、ぜぇ~ったいに拝見せねば
ところで、「大界外相」と刻まれた結界石は、8年前
の関西旅行(MISIA星空のライヴV Just Ballade 大津公演遠征)の際、奈良・西ノ京で、唐招提寺から垂仁天皇陵に向かう途中で見かけたことがありましたが(記事はこちら)、この結界石というものは、聖と俗の境界や、聖域の中でもその段階の違いを示すもので、今の世なら、ロープやパーティションで線として区切るところなのでしょうけれど、石柱という点で示すところが粋だなぁ~と思います。
そういえば、結界石と似た感じのものに、関守石(せきもりいし)、止め石があります。
左の写真は5年前に犬山・有楽苑で拝見したもの(記事はこちら)ですが、Wikipediaから引用すると、
使い方は、二又の分かれ道となっている一方を塞ぐことである。その先で茶会などを催している場合に茶会の妨げとならないようにする目的や、庭園改装中の際に止め石が利用される。石を置いてあるだけであり、超えて進むこともできるが、庭の持ち主がそれ以上進むことを拒んでいることであり、行き止まりを表しているため、進むことは避けなければならない。散策者を正しい散策路へ誘導する役目も果たす。
ほんと、
「察して下され」という奥ゆかしさが、これまたJapanesqueだなぁ~と思い入った
次第です。
です。
例によって脇道に逸れましたが(関守石が必要かも…
)、何度拝見しても戒壇堂の四天王像は息を呑む素晴らしさ
でした
いつも思うことですけれど、天平期と鎌倉期は、日本彫刻のツインピークスではなかろうか…
東大寺を始め、興福寺とか新薬師寺とか唐招提寺の仏さまを拝見するたびに、その感を強くします。
もっとも、私は飛鳥仏も好きなんですけど…
そうそう、戒壇堂の「御本尊」に相当するのは、江戸時代に戒壇堂のお堂と同時期に造られたという多宝塔です。
でも、多宝塔の中に祀られている釈迦如来と多宝如来にとっては、こんな大傑作かつ製作年では大先輩
の四天王像に守られているといのは、かなりのプレッシャー
ではなかろうか…
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