「久しぶりの川越 前編」のつづきも川越市立美術館で観た「小村雪岱『雪岱調』のできるまで」のお話です。
私、小村雪岱の作品が大好きでして、このブログには何度も雪岱にかかわるネタが登場してきましたし(一番の珍品
はこちら
)、
展覧会も、2009年末~2010年初に埼玉県立近代美術館(MOMAS)で開催された「小村雪岱とその時代」(記事はこちら)とか、
2012年秋に(今はなき
) ニューオータニ美術館で開催された「大正・昭和のグラフィックデザイン 小村雪岱展」(記事はこちら)を観覧
しました。
また、MOMASコレクションでもMOMASが所蔵する雪岱作品を何度も拝見
して、そのたびにほげぇ~
としたものです
この二つの展覧会をふり返ると、「小村雪岱とその時代」展は、雪岱の画業にとどまらず、歌舞伎の美術の仕事までを網羅したまさに「雪岱のすべて」的な展覧会でしたし、「大正・昭和のグラフィックデザイン 小村雪岱展」は、本の装幀に焦点を当てた展覧会だったと総括できると思います。
では、今回の「小村雪岱 『雪岱調』のできるまで」はどうかといいますと、タイトルどおり、雪岱の画風の変遷に焦点を当てたものでした。
冒頭に雪岱の東京美術学校(現・東京藝術大学)の卒業制作の作品「春昼」が展示されていたのは象徴的でした。
確かに、教えてもらわなければ雪岱の作品と思えませんな。
その後の作風と全然違います
でも、展示全体としては、新鮮味には乏しい気がしないでもなかったりして…
でもでも、「なんとも雪岱」な作品に再会できたのはうれしいったらありませんでした。
映画「犬神家の人々」を連想してしまったこちらの作品とか、
降りしきる雨とゴシャゴシャ動く傘が頭の中でアニメの一シーンとして動き出すようなこちらの作品とか、
存在しない音が聞こえるような(まさにSound of Silence)こちらの作品とか、
もう、まさしく眼福…
図録の表紙もイイし…。
やはり好きだなぁ~、小村雪岱
そうそう、雪岱が表紙画を担当した雑誌「婦人之友」 昭和7年(1932)6月号の表紙に書かれたリードに、思わず目が点…
「子供よ太れ」だなんて、現代では考えられませんぞ
「雪岱調」という話に戻れば、雪岱が大好評を得たという新聞の連載小説の挿絵(「おせん」も「お傳地獄」もこの範疇)の凄いところって、ベタ黒と白の、いわばデジタル的な諧調の無いモノクロームで、ここまで情感を描き出す技量と感性だと思いました。
当時の印刷技術を念頭に置いた「職人的な仕事」なのだろうな、K.I.T…
この「小村雪岱『雪岱調』のできるまで」を通じて、より多くの人に小村雪岱をという画家を知っていただけたらうれしいぞ
「小村雪岱『雪岱調』のできるまで」を鑑賞後、久しぶりに川越の街を観光しようと思ったのですが、思いがけなく、雨
うっそぉ~ でした。
でも、せっかく川越まで来たんだし、ちょいとでもそぞろ歩きしないともったいない
ということで、駐車場
に戻り、購入した図録
をクルマ
に乗せて、代わりに、いつも積んでいる長い傘を取りだして街の中心部に向かいました。
折り畳み傘は持っていたのですけれど、図録は持ち歩くには重いし、すぐ近くに長い傘があるわけですから…。
ということで、川越の街を歩いた話は後編(完結編)で書くことにします。
つづき:2018/02/08 久しぶりの川越 後編
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