「2週連続遠征、まずは関西遠征記(その11)」のつづきは、6年ぶり2度目の訪問(前回の訪問記)となった相国寺のお話です。
6年前に見て、う~む と考え込んでしまった「寺用車以外 駐停車禁止」の看板(こちらの記事をご参照方)は、現在もあちこちに建てられておりましたです。
さて、前回は、地下鉄烏丸線・今出川駅から烏丸通をちょっと北上して、西門から「入山」&「下山」したもので、総門とか、
勅使門を拝見するのは初めてのこと。
でも、「京都五山第二位に列せられる名刹」の割には・・・という感じなんですが、いかがでしょうか?
こちらのサイトによれば、1407年頃に「新築」されて以降、1425年:失火で焼失
⇒1440年:復興
⇒1467年:応仁の乱で焼失
⇒1478年:復興
⇒1549年:天文の乱で焼失
(まだ出た、松永久秀・・・
)⇒1609年:復興
⇒1788年:天明の大火で焼失
と、「建てては燃え」の繰り返しの末、今や土台しか残っていない三門は、どんな門だったのでしょうかねぇ・・・
さて、承天閣美術館。
この美術館は土足禁止でして、靴
を脱いで観覧します。
こういう鑑賞ってなかなか良い気分なんですが、承天閣美術館にお出かけの際には、事前に、靴下に穴が開いていないかを確認することをお薦め
します
それはともかく、「『承天閣』って何?」と思いませんか?
この美術館の名前は、相国寺の正式名称から採られているのだそうで、その「相国寺の正式名称」というのは、
萬年山 相国承天禅寺(まんねんざん しょうこくじょうてんぜんじ)
なのだとか
ひやぁ~ ですな。
でも、かの東大寺の正式名称が「金光明四天王護国之寺」であることを思えば、まだシンプルなお名前ではあります。
と、かなり中途半端なところではありますが、これから入浴⇒食事⇒就寝せねばならないもので、今夜はここまで
にします。
すみません・・・。 m(_ _)m
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