東京新聞のコラム「筆洗」(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2012120502000121.html)。
なんで今頃「憲法改正」「自主憲法制定」が正面に出てきて、選挙を戦うのか? 意味不明だ。まずは、原発問題じゃないのか? 今更、原発推進や原発再稼働などを「正面から」、「側面から」、あるいは、「暗に」訴えるような候補者や政党に未来を託すなんてあってはダメだ。
『●田中優子さん「誰の名前を書くのか、その人の品格が問われている」』
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2012120502000121.html】
【コラム】
筆洗
2012年12月5日
<犬死(いぬじに)でなかった証拠にや 新憲法のどこかにあの子の血がかよう>。敗戦後、憲法制定の過程で憲法普及会が東京新聞と共催で募集した都々逸の入選作だ。子どもを戦争で失った庶民の思いが、ひしひしと伝わってくる▼アジアを巻き込んだ戦争は、日本だけで三百万人を超える死者を出した。都市は焼け野原になり、広島と長崎には世界初の原爆が投下され、おびただしい命が瞬時に奪われた。すべてを失った民衆にとって、不戦を誓う憲法は焦土から昇る希望だったに違いない▼「鉄の暴風」と呼ばれた沖縄戦で、ひめゆり学徒たちを戦場に引率し、戦後は琉球大教授になった仲宗根政善さんは一九七〇年の日記にこんな一文を残していた。「憲法から血のいろがあせた時、国民は再び戦争に向かうだろう」▼戦争の記憶が国民の大半に刻印されていた四十年以上も前の日記だ。実際に戦闘を経験した人や空襲の下を逃げ惑った人がとても少なくなってきた今、この言葉は予言のように重く響く▼衆院選がきのう公示された。原発政策や消費税、TPP…。重要な争点が並ぶ中、憲法を論戦の後景に退けてはならないと強く思う▼政権奪還を狙う自民党と第三極の要として勢いのある日本維新の会は、それぞれ憲法改正、自主憲法制定を正面に掲げる。平和主義という国のかたちを変えるのか。重い一票が託されている。
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