東京新聞の3つの記事(http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013030502000115.html、http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013030502000138.html、http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013031002000117.html)。
政権交代の意義が完全に消えた。虚しい数年間、徒労の数年間。「二〇三〇年代に原発稼働ゼロ」という甘々な目標でさえ投げ捨てた訳だ。自民党が復権して原子力ムラが復活しただけでなく、ろくな野党しか残っていない政治状況。
「嗤」ってばかりもいられない。
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013030502000115.html】
原発ゼロ政策 触れず 民主代行 揺れる党方針露呈
2013年3月5日 朝刊
民主党の大畠章宏代表代行は四日の衆院代表質問で、原発問題を取り上げ、東京電力福島第一原発で働く作業員の支援策や地域の除染対策を質問した。しかし、党が大方針として掲げる二〇三〇年代の原発稼働ゼロに関するエネルギー政策には触れず、海江田万里代表が一月の代表質問で、安倍晋三首相のゼロ方針見直しの姿勢を批判したのとは対照的だった。
大畠氏は、東日本大震災からの復興では「困難な状況だ」と全力を挙げる必要性を力説したが、原発問題は「関係者が汗を流している」と事故対策に触れたのにとどまった。
大畠氏は日立製作所の原発プラント設計部門出身で党内有数の原発維持派とされる。党を代表して質問に立ったことで原発ゼロに一本化されていない党内事情をうかがわせた。
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013030502000138.html】
【社説】
民主代表質問 原発問い詰めぬ裏切り
2013年3月5日
首相の施政方針演説に対する民主党の代表質問を聞いて耳を疑った。原発・エネルギー政策に関する言及が全くないのだ。自民党の原発容認政策を是とするのか。もはや重要とは考えていないのか。
施政方針演説は首相が今後一年間、内閣をどう運営し、どんな政策を展開するのか、基本方針を明らかにするものだ。各党代表質問は国民に代わって、その方針をただす重要な機会である。反対なら厳しく指摘し、賛成なら支持を表明すればよい。
その代表質問で何も言及しないとしたら、首相方針を支持したと受け取られても仕方があるまい。
安倍晋三首相は二月二十八日の施政方針演説で「安全が確認された原発は再稼働します」「省エネルギーと再生可能エネルギーの最大限の導入を進め、できる限り原発依存度を低減させていきます」と表明した。原発稼働継続の選択肢を排除していない。
これに対し、民主党は衆院選で「二〇三〇年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」と公約した。原発ゼロを引き続き党の基本政策とするのなら、首相の原発容認政策を厳しくただしてしかるべきだ。
ところが、質問した民主党の大畠章宏代表代行は原発・エネルギー政策に全く言及しなかった。
海江田万里代表が一月の代表質問で、民主党政権時代に決めた三〇年代の原発ゼロを目指す「革新的エネルギー・環境戦略」を引き継ぐのか否かを首相に質問したから、十分だと考えたのだろうか。
だとしたら、野党としての役目を放棄したに等しい。原発稼働継続を容認するのか否かは、国のエネルギー政策の根幹である。機会あるごとに何度ただしても、十分ということはあるまい。
首相は海江田氏への答弁で、野田佳彦前内閣の戦略は「具体的な根拠を伴わない」と切り捨てた。なぜ代表質問で反論しないのか。
大畠氏は原発を製造する企業の出身で、自身も原発プラントの設計技術者だ。その企業城下町を中心とする選挙区の選出でもある。
議員個人の考えは多様で、民主党が一枚岩でないことは理解するが、個人の事情を党の政策よりも優先させるようであれば、民主党は代表質問の人選を間違えた。
原発ゼロ実現は選挙公約だ。たとえ野党でも実現に努めるべきである。政権にすり寄り、野党になってまで有権者を裏切り続けるのなら、民主党に存在意義はない。
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013031002000117.html】
筆洗
2013年3月10日
「わらう」は普通、笑うと書くが、全十三巻という超大型辞書『日本国語大辞典』を引けば、驚くほど多彩な「わらう」がある▼「听う」は口を大きく開けてわらうことで、「莞う」は感じよくほほえむこと、「嗤う」はあざけりわらうことだ。軍国主義が台頭し、言論弾圧が厳しさを増していた一九三三年、軍の空襲への備えを嗤った新聞人がいた▼その人、桐生悠々が書いた「関東防空大演習を嗤ふ」は日本の新聞史上、特筆すべき名論説として、記憶される。首都上空で敵機を迎え撃つ作戦など滑稽極まる。数機撃ち漏らせば、木造家屋の多い東京は炎上すると、彼は書いた▼<阿鼻叫喚(あびきょうかん)の一大修羅場を演じ、関東地方大震災当時と同様の惨状を呈するだらう…しかも、かうした空撃は幾たびも繰返へされる可能性がある>。この指摘が現実のものとなり、大空襲で東京の下町が壊滅、十万の犠牲者を出したのは、四五年三月十日のことだ▼桐生なら、この「作戦」をどう評するだろうか。原発事故に備えての「地域防災計画」が各地で作られつつある。原発三十キロ圏内には四百万人以上が住む。本当にその安全を守り切れるのか▼守るために、最も効果的かつ簡潔な作戦がある。原発を動かさなければいいのだ。地震や津波と違って、原発事故はあくまで人災である。であるのに再稼働を決め込む政権を、「嗤ふ」。
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