主権者教育を考える第2夜です。
今晩も、放送大学の宮本みち子さんの文書(http://www.akaruisenkyo.or.jp/wp/wp-content/uploads/2012/08/swe.pdf)を手掛かりに、考えたいと思います。
昨晩は、社会科教育が、受動的な暗記教育ではなくて、「賢く安全な生活」をしていくための主体形成教育であるばかりではなくて、制度や規則は自分達で作り上げていくものであるという主体形成教育になっている、という点に触れました。
今晩はさらに、学校民主主義を取り上げます。
これは、学校を子どもたちが作るということです。別に、校舎を子どもたちが作る、という話ではありませんからね。教育の中身、学校のルールを子どもたちが作るということです。子どもの「社会参加」ですね。このためには、日本の学校でのように、「教員が生徒に教える」という軍隊並みの上意下達では、お話になりません。まあ、日本にも、金森俊朗さんのような貴重な教育実践がありますから、スウェーデン並みのことはできるポテンシャルはあるとは感じますけれどもね。金森俊朗さんがしておられるように、教員が子どもたちの声を本気で聴く姿勢が問われます。スウェーデンでもその通りですね。でも、「本気で聴く」ということは、聴いた≪話し言葉≫を≪出来事≫にする、ということと表裏一体です。宮本みち子さんは、それを、「彼ら/彼女らの声をただ聞き置くだけで、実効性がなければ、若者は大人のうそを見抜いて遠ざかってしまいます。逆に、発言したことが実現するという経験をすることで、その後も発言し行動することに関心を持続し、社会に参画しようという意欲となるのだというのです」と述べておられます。子どもの声を本気で聴いて、それを授業や学校のルール作りに結びつけていくわけですね。子どもですから、ゼロから授業やルールの全てを作ることはできません。それには大人の力を借りなくてはなりませんでしょ。その大人が、教員であり、親であり、地域の大人です。逆にそこで大人が子どもに力を貸せば、子どもは大人を信頼し、子どもも自己信頼を深めていくことだってできますからね。このようにして、子どもは、社会参加の実感を日々強めながら大人になる訳ですから、大人になった時も、投票行動や地域の活動を通して、政治参加、社会参加する主体になる訳ですね。
しかし、これには、「主権」とは、「最高権」であり、ルールや制度や大人に従属する(子どもは、ルールや制度や大人の下)のではなくて、ルールや制度を作り出すのは自分らだ(子どもは、ルールや制度や大人の上)、という理念を大人もハッキリと持って生きていなくてはなりませんでしょ。ですから、子どもの頃から、ルールや制度は自分らで作れるんだ、と実感できる学校にしていくことが何よりも大事であることを忘れてはならないでしょう。
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