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インターメッツォ : ほんとうの教育
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知恵の子 遊びは芸術品 目の前にいると同時に、心の中にもいる子ども 遊びには、一級の芸術を創造す...>続きを読む 「知恵の子」と......
最近ですと,当ブログは,エリクソンに関心がある人よりも,発達トラウマ障害(DTD)に関心がある人が多いみたいです。でも,発達トラウマ障害(DTD)のセラピーは,私は基本的にエリクソンのライフサイクル心理学をベースにやってきて,相当うまくいってますよ。第一,ヴァン・デ・コーク教授が推奨する,発達トラウマ障害(DTD)に対する正しいかかわりの基本,「陽気で楽しい,やり取りのある関わり」は,実はエリクソンに学んだのではないか,とわたくしは考えているくらいですから。
今宵のエリクソンは、Insight and Responsibility 『自分を内省していたら、相手の気持ちがまるで手に取るように、スゥーッと理解来ますから、相手の気持ちに応答できますから』の、p.229. 第2パラグラフの3行目。おそらく,この本の中で一番大事な論文,と思われる「ゴールデンルール(黄金律)」に関する論文にも,改訳版が,決定的に大きな無理解を示し,その無理解に基づく誤訳をしているのは,見過ごしがたく,ここにそれを示しておきます。
まずは,私の翻訳です。
生き物を対象とする科学的研究は,死んでいるものを選ぶのではなく,現在進行形で,≪いまここ≫を,生きているいのちを研究するのに相応しい概念と方法論を用いなくてはなりませんでしょ。私はそれについて、常々次の様に申し上げてきました。すなわち,「相手が物であれば,その物の特質(あるいは,本質)を研究する研究は,その物に≪対して≫何かをすればできることですが,≪いまここ≫を生きている生き物に不可欠な特質について,何某か大事なことが現実に学べるのは,その≪いまここ≫を生きている生き物と≪共に≫何か大切なことをしたり,その≪いまここ≫を生きている生き物の≪利益になる≫大切なことをしたりする場合だけです」ということなんですよ。これこそが,臨床研究の根本原則です。
以上です。
ところが,これが翻訳本になりますと,次のように歪められてしまいます。ちなみに,46年前の翻訳と,昨年出た改訳とでは,語順と活字以外は,変化がありません。改訳では次のようになります。
「生物体に対する科学的研究は自然淘汰されるものに対するものだけでなく,現在生きて生活しているものについての研究にも,ふさわしい概念と方法でなくてはならない。私はこのことについて,次のように言ったことがある。もののもつ特性を,そのものに対して(to),何か操作を加えて研究することができる。しかし,生命体の本質について学ぶには,何かをすることによって生命体に参加する(with)か,それらに役に立つために(for),何かをするかによってしか研究をすることができない,と。これは臨床科学の原則である。」
おそらく,「操作的概念」だとか,「参加観察」という,一般的な科学用語が翻訳者の頭をよぎったと思います。でも「生命体に参加する」って,どういうことかわかりますか? 「参加観察」という言葉を知っている人も、オボロゲにしか、わかりませんでしょ。
私は,この翻訳者が「臨床家としてのエリクソンの真髄」が,全くわかっていないことが、この翻訳で分かりましたね。
エリクソンの臨床の基本は,1)≪いまここ≫で,子どもと≪共に≫遊ぶ中で,2)≪共に見通す≫,≪陽気で楽しいやり取り≫を繰り返すと,3)その子どもの≪利益になる≫ことができる,というものです。これが,エリクソンの臨床と,臨床研究の根本原理ですが,80を過ぎても,この翻訳者は,エリクソンが実践してきた,この臨床の根本原理,真髄が、クリアーには、わからないもんだから,なんだか、ボヤッとした翻訳に歪められてしまっているわけです。
ですから,この改訳版も読まないことをお勧めします。