「こざと公園」に咲く蓮の花から連想した蓮華往生の話……。
蓮の花のように、優美で、長閑(のどか)な話ではありません。
往生 ― というからには人が死ぬ話。正しくいえば、殺される話です。
話は三月十日と十二日、十六日の我がブログ ― 「谷中延命院物語」のつづきになります。
日道という延命院の悪タレ坊主(元は歌舞伎役者・尾上丑之助)が、女のほうから一方的に迫られて、断わり切れなかったとはいえ、僧侶の身でありながら、御三家筆頭尾州家の中老・梅村と情を通じ、それをきっかけに奈落の底へ堕ちて行く、という話です。
梅村は延命院に日道という眉目秀麗な坊主がいることは噂に聞いていたかもしれません。しかし、情念にポッと火が点き、その炎を抑え切れなくなったのは、同じ尾州家の奥向きに仕えていたお梅という女の自慢話が原因です。
紆余曲折があって、元役者であった日道は出家、お梅は尾州家に仕える身となり、別れ別れになっていたのですが、日道が役者として駆け出しだったころ、二人は踊りの稽古先で知り合い、人目を忍ぶ仲となっていたのです。
いまは僧侶となった日道の評判が高くなるのにつれて、お梅は評判の青年僧侶と自分がかつてはいい仲だったことを周りに吹聴したくてしょうがなくなります。
それを漏れ聞いた梅村はカッカとします。梅村からすれば、まだ下女同然のお梅がモノにできた男を、遙かに身分の高い自分がモノにできないはずはない。そう思えば、ヤキモキするばかりです。
そうして延命院を訪ね、ついには自分の意に沿わねば自殺するぞ、と脅迫まがいの手を使って目的を遂げるのです。
さらに、日道と肌を合わせたことをわざとお梅に知らせ、延命院を訪ねるときにはお梅を供に加える、というような陰湿なことをします。
変態的な性格といわざるを得ませんが、お梅もまた尋常ではありません。
普通なら悔し涙に暮れるか、復讐するとしても違う手法を取りそうなものですが、日道と梅村の醜聞を行く先々で吹聴しまくることによって意趣返しをしたのです。
男子禁制で、日々堅苦しい生活を強いられている大名家の奥向きは、この手の話には敏感です。隠していたとしても、やがて知られたでしょうが、吹聴役がいたのですから、伝搬するのはいっそう疾い。
梅村につづいて延命院に姿を現わしたのは、ものものしい供回りを引き連れた、年のころ三十二、三の大年増でした。供回りの仰々しさから推察するに、尾州家より家格の高い家柄の御殿女中、それもかなり高い身分と思われました。
御三家筆頭の尾州家より家格が高い家といえば、この国にはたった一つしかありません。
江戸城の大奥です。
しずしずと進んできた乗り物から降り立ったのは初瀬という中老でした。初瀬は自分にも無病息災のご祈祷を賜りたいといって、三千疋(六千反)の織物と五十両という多額のお布施を差し出しました。
すでに毒の盛られた皿まで食ってしまっている日道には歯止めが効きません。
折しも長崎に上陸した疱瘡が京・大坂を舐め尽くしたあと、東海道を下っている最中でした。
日道を獣の道に引き込んだ柳全こと岩田長十郎はまた悪知恵を絞って、疱瘡除けの護符を出すことを考えつく。
そこに初瀬も荷担して、ついに日道はご祈祷を名目に、大奥にまで出没するようになったのです。
大奥という権威を得た延命院はますます繁盛します。もちろん参詣人は女ばかり。
境内に入ると、線香の香りより白粉の香りのほうが強かった、といわれたほどです。お布施もどんどん集まる。いまふうにいえば、女が男に貢ぐ逆援助というやつ。
日道らの乱痴気騒ぎが明らかになるのは、ある資料によると、参詣人の中に寺社奉行・脇坂淡路守安董(やすただ)の放った「くのいち」が紛れ込んでいたからだとありますが、別の資料では南町奉行・根岸肥前守鎮衛(しずもり。やすもり、とも)の耳に入ったある事件がきっかけになって日道らの悪事が知れ、根岸自身が寺社奉行の松平右京亮輝延を訪ねて検挙、ということになっています。
裁きの結果、日道こと丑之助は破戒女犯の科(とが)で死罪となりました。
町方の娘や大奥の婦女を誘惑し、通夜などと称して寺内に止宿させ、娘が身籠もると堕胎させたという罪状で、日本橋橋詰で晒らされた上、首を刎ねられたのです。
加害者は日道、柳全らだけで、何十両何百両と貢いだ女たちはすべて被害者とされました。が、誘惑したのはむしろ女たちのほうです。
しかし、彼女らを処罰しようとすると、武家方の中に中老・初瀬を初め、大奥の女がいたことが具合が悪い。どこかで繋がりを断ち切らないと、芋蔓式に将軍家までも罪を問われる、ということになります。
裁きの結果をみると、被害者の年代は十五~六十歳と幅広く、とくに被害甚大なものは武家方、町家合わせて五十二人というのですから、どこかで線を引くということもできず、全部ひっくくることもできず、日道らだけ、ということにしなければ収まりがつかなかったのでしょう。
さて、日道を検挙したのは脇坂淡路守だったのか松平右京亮だったのかわかりませんが、根岸肥前守が知ったある事件というのは蓮華往生の一端です。
柳全はお布施を盗み出しては悪所通いに耽っておりましたが、その懐が潤沢なことを聞きつけ、お裾分けに預かろうと小林平兵衛という男が訪ねてきます。二人はかつて一橋家の台所から大金を盗み出した悪馴染みです。
二人とも一度お縄になりましたが、牢を破り、高飛びを兼ねて盗みを繰り返すうちに、平兵衛のほうは盗み貯めた金で、ある寺の住職の株を買っていました。
そこで始めたのが蓮華往生というありがたい成仏の仕方でした。
蓮華堂というお堂を建てて、中央に御影石の台をしつらえ、その上に大蓮華の花弁を咲かせる。そこに坐せば、仏の愛に包まれて大往生ができるというので、篤志家たちが次々と訪れるようになりました。
どんな世の中になっても、大往生できるとすれば、それは望むところでしょうが、まだピンシャンしているのに往生してしまいたい、と思うのは現代人には理解不能です。
信長の時代の一向門徒は、死ぬことが極楽へ行ける方途だというので、死ぬことを願って戦ったというのですから、まだ江戸という時代では、死に対する恐怖心より極楽往生を願う気持ちのほうが強かったのでしょう。
ともかくそんなことで、死にたいという金持ちが大枚包んでやってきます。家族知人たちはいままさに往生せんとする篤志家のために、大声で南無妙法蓮華経を唱えます。
読経の声が高ければ高いほど、でかければでかいほど功徳があると事前に聞かされていたので、読経というより喧嘩をして怒鳴り散らしているような騒がしさです。ここぞとばかり鉦太鼓もジャンジャンドンドン鳴らされる。
やがて台がしずしずと沈み始め、篤志家の身体を包むように大蓮華が閉じられる。お経を唱える声が高ければ高いほど功徳があるというわけですから、周りの人たちはここぞとばかり狂ったようにお経を唱えます。
そのじつ、台の下では槍を持って待ち構えている者がいました。ひょんなことから平兵衛と再会を果たした岩田長十郎です。ジャンジャンドンドン、南無妙法蓮華経の大合唱の中では、長十郎の槍で突かれた篤志家の断末魔の叫びも聞こえません。
極楽往生を願って遺族や友人知人が待っている間、死んだ、というより、殺された篤志家の亡骸は焼き場に運ばれて骨と化します。やがて無事往生を果たした篤志家の骨が遺族に渡されて、一件落着というわけです。
貧乏人は相手にしないという悪だくみですから、随分金になったようですが、槍で突き殺すのですから、極楽往生した者の死骸を見せるわけにはいきません。素早く焼いて骨だけ渡すのです。
しかし、やがてそれを不思議がる者が出てくる。お役所が嗅ぎつける、ということになって、そろそろ店じまいを考え始めたところに、ガサが入って、二人ともども捕縛ということになるのです。
だが、ひと筋縄ではいかないところが長十郎の真骨頂です。護送中、囲みを破って平兵衛も救い出し、高飛びします。そして、諸国を巡ったのち、延命院にもぐり込んだのです。
悪馴染みであろうと、長十郎にとって尾羽枯らした平兵衛など邪魔なだけです。不忍池あたりへ誘い出し、一刀の元に斬り殺してしまいます。
ただ、それを奉行所配下の岡っ引きに見られたのは計算外でした。延命院に帰るのを尾行され、やがて芋蔓式に検挙、という結末を迎えるのです。
蓮華往生という一連の殺人事件は実際にあった話のようです。
ただ、舞台は延命院ではありません。
下総とも安房とも、あるいは柏木(いまの西新宿あたり)ともいわれますが、さる寺院で実際に起きた事件を、河竹黙阿弥が「日月星(じつげつせい)享和政談」という芝居で、延命院に結びつけて、面白おかしくしたのです。
日道と柳全に女犯と悪銭稼ぎをさせるだけでは飽きたらなかったのでしょうか。殺人まで犯させたというわけです。
宙ぶらりんのまま、放りっぱなしにしてあった延命院の話は、これにて幕引きです。
樹齢六百年といわれている延命院境内の椎(シイ)の樹です。
延命院の開創は約四百五十年前ですから、開創前からここにあったことになります。きっと日道たちの狂乱も見ていたのでしょう。