桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

厄日の横浜と紫陽花日記(4)

2009年05月24日 22時39分47秒 | 風物詩

 疲労蓄積気味だったので、ブログの更新がおろそかになっていました。二十二日の金曜日、横浜港へ輸入貨物を取りに行って、ことのほか疲れてしまったのです。
 横浜へは年間二十四~五回行きます。半分は事務手続きなので電車、残り半分は貨物の引き取りですから、会社のワゴン車か、量が多いときは幌つきの2トントラックを借りて行きます。
 金曜日の天気は晴れたり曇ったりで、さほど暑くはなりませんでしたが、一日じゅう強い風が吹き、ときおり突風にも見舞われたりして、私にとっては不愉快な一日でした。
 さらにもう一つ愉快ではないことが加わって、横浜=厄日という認識が決定的になりつつあります。
「ああ、厄日だ」と思うような日は、実際は二十四~五回行くうちの三日か四日に過ぎないのですが、嫌なことという思い出は増幅されがちなので、「=」になりそうなのです。

 今日は厄日かも……という予感は朝九時前、横浜税関鶴見出張所を捜し当てたときに脳裏をよぎりました。

 引き取りに行く貨物を積んだ船は東京港に入ったり、横浜港に入ったりと一定ではありませんが、大部分は横浜港です。
 横浜港の税関は本牧埠頭、山下埠頭、大黒埠頭、そして鶴見と四か所あります。輸入された貨物がどの地域の倉庫会社に搬入されたかによって、輸入許可をもらいに行く税関が決まるのです。
 ほとんどは本牧扱いで、ごくたまに大黒ということがあります。山下と鶴見は未経験でしたが、先月は山下、この厄日は鶴見と、いずれも初めての税関という珍しいことがつづきました。

 首都高速を大黒ランプで降り、地図を頼りに、右折すべき交差点に辿り着いて、「横浜税関鶴見出張所→」という表示があるのを確かめて右折したのですが、税関が見当たらないまま道路は運河にぶち当たって行き止まりになってしまいました。
「アリャリャ」と呟いてUターンしましたが、キョロキョロ見廻しながら車を進めると、再び右折した交差点です。また「アリャリャ」と呟いてUターン……。呟くだけでは仕方がないので、近くの倉庫会社の事務所に入って訊ね、やっと所在を突き止めました。



 本牧も大黒も山下も、税関の建物は青灰色の壁ですが、鶴見だけ異なっていて、白い建物でした。取り扱う貨物量にも相当するのでしょうが、建物自体も小さい。
 案内表示に従って担当部署に出向くと、部屋全体に数人の税関吏がいるだけでした。厄日になるのではないか、という懼れはより現実味を帯びてきました。

 
なぜ厄日かというと、扱い貨物が少なくて閑な税関は「イチゲン」の客に「検査」というご託宣を下すからです。税関に訊けば、決して閑だからではないというでしょうが、私のみるところ、そうであるのに決まっています。
 案の定、「検査」というご託宣が出て、その日一日の予定はガタガタになってしまいました。

 普通は税関に申告書類を提出し、記載事項に矛盾がなければ、税金を払って輸入許可をもらい、倉庫会社から貨物を引き取って帰る、という手順になるのですが、「検査!」というご託宣が下ると、税金を払う前に貨物を引き取ってきて、赤外線検査を受けなければなりません。
 一時間は余分にかかるし、余計な往復もしなければなりません。
 赤外線検査だけでは済まず、梱包を開けて中を確認するということもあります。するとまた三十分は余計にかかる。

 時間を取られるのも問題ですが、倉庫会社で積み込んだ貨物を、税関でもう一度上げ下ろししなければならないという労働も問題です。一箱50キロの梱包が七個も八個もあるのです。税関吏は手伝ってくれません。
 ごくごーく稀に、「手伝いましょう」といってくれる人もおりますが、そんな係官は奇特な人です。

 通常だと昼ごろには勤め先に戻ってきます。しかし、厄日のこの日は十二時になっても、まだ横浜にいました。
 税関の昼休みは十二時十五分から。その時刻になって、やっと貨物は我が物となりました。

 埠頭周辺には食事をするところがありません。昼が近くなると、いろんなところに弁当屋が臨時の店を出します。
 弁当を車の中で食べるのも侘びしいので、近くの大黒税関に向かいました。ここには食堂があるのです。
 500~550円というランチは日替わりで、行ってみるまで何が食べられるのかわかりませんが、値段を考えれば、まあ致し方なしという味です。御飯と味噌汁はお代わり自由、お茶もあります。
 そこで、行ったわけですが、厄日はロクなことがありません。何かの竜田揚げでしたが、無闇矢鱈に固いのです。さらに醤油味が濃い。
 この日は朝が早かったので朝食を取っておらず、腹を空かせていましたが、あまりにも私の口には合わなかったので、残してしまいました。

 
翌二十三日は第四土曜。出勤でした。前日の名残の筋肉痛に悩まされながら、一本早い電車に乗って、紫陽花径(あじさいみち)を歩きました。



 花の色づきは日々濃くなっています。 

 


 上の写真は今朝。下の写真は三日前の二十日。同じ場所で撮影したものです。



 私がひそかに紫陽花アパートと名づけているアパート前の紫陽花です。丘の陰で朝日の当たらない群落に較べると、日当たりは遙かにいい場所なのですが、まだ色づきは見られません。