桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

取手再々訪(1)

2009年07月12日 18時48分11秒 | 歴史

 また取手へ行きました。
 今日の目的はただ一つ-高井城址公園に咲く桔梗の群落を新しいカメラで撮ることです。
 前回は雨に祟られて、行くのを断念した延命寺と東漸寺も、ついでの予定に組み込みました。ともに平將門に縁のあるお寺です。

 最初に訪れたのは東漸寺です。松戸の北小金にも同名の寺がありますが、まったくの別物。松戸は浄土宗、こちらは真言宗です。
 取手で関東鉄道のディーゼルカーに乗り換え、一つ目の西取手で下車。




 西取手駅は高架上にありました。



 西取手駅前にこんな名前のスーパー(SUPERおっ母さん)がありました。まだほとんど歩いていなかったのに、これから襲いくるであろう暑さに備えて、ここでレモンウォーターを買いました。



 東漸寺まではわかりやすい順路で、十分ほどで到着しましたが、あいにく山門は修復工事中でした。

 平將門が生まれたのは、この寺の近くともいわれ、いまの千葉県佐倉市とも、茨城県常総市ともいわれています。
 鎮守府将軍だった父・平將持は將門の小さいころに亡くなりました。県(あがた)・犬養春枝の娘だった母は東漸寺から1・6キロほど離れた北相馬郡寺田(現在の取手市寺田)周辺に住んでいたといわれていますから、ここで生まれたかどうかは別として、父の死後はこのあたりで育った、ということはあり得るでしょう。

 こうして將門は出生地も不詳なら、生没年も不詳です。付近には將門にまつわる言い伝えが多く遺っていると聞きましたが、いまのところは資料を得られず、付近とはどのあたりまでを指すのか、そしてどんな言い伝えが遺されているのか、皆目わかりません。



 行きと同じ道を西取手駅に戻りました。
 関東鉄道はエライ!! 西取手駅下りホームの喫煙コーナーです。首都圏のプラットホームで煙草が吸えなくなって、まださほど月日も経っていませんが、古き佳き時代の遺物のように感じられます。

 次に目指したのは延命寺です。將門が信仰していた地蔵尊のお告げによって創建された、と伝えられているそうですが、どんなお告げだったのか、これもいまのところは資料がなく不明です。
 延命寺は西取手から二駅先の新取手で降りて、結構な距離を歩かなければなりません。地図を見ると、迷わず辿り着けそうな道はありますが、かなりの大回りを強いられます。よくわからないショートカットの径を選ぶか、安全な大回りを選ぶか、駅頭に佇んで、しばし沈思黙考。

 出かける前に見てきた天気予報は終日曇でしたが、どうも空模様が怪しい。沈思黙考ののち、黙考したまま歩き出しました。方角としては北の方角です。自然にショートカットの径へ……。

 駅を出てから随分歩きました。まだ住宅地がつづき、このへんの人はどうやって通勤しているのだろうか、と思い始めたころに突然住宅が途切れて、先には砂利道の農道しかなくなりました。
 遠くに農作業をしている人の姿が見えます。森で鶯(ウグイス)が啼いているのも聞こえます。
 進むのにつれて、人の姿はなくなりました。いつの間にか道は大きく曲がっていました。曇って太陽の位置もわからない。それどころか、時折ポツポツと雨粒も落ちてくるようになりました。

 地図では高井小学校を目印にすると、その先に主要地方道があり、その道を進むと延命寺に到るようでしたが、田圃と畑だけで見晴らしはいいはずなのに、小学校らしき建物はどこにも見えません。
 やがて用水路のような細い川を渡りました。格好の目印だと思って地図を見ましたが、川らしきものの記載がない。オー・マイ・ガッ!

 農道はクネクネと曲がり、もはやどこに向かって歩いているのか、わけがわからなくなりました。
 そのとき、遠くでスポーツをしているような子どもたちの声が聞こえました。道は時折反対方向に曲がっていたりするため、声が遠くなったりしますが、全体的には近づいて行きます。
 遠くに何かの造成工事をしているらしい、だだっ広い地面が見えてきました。野球のユニフォーム姿をした子どもたちが見えます。

 
そこが高井小学校でした。
 改築工事をしていたようで、建物はなかったのでした。



 新取手の駅をあとにしてから、一時間ぶっつづけに歩いて、ようやく延命寺に辿り着きました。
 境内には將門が討たれたときに乗っていた馬を埋めた、と言い伝えのある「駒形様」という塚があるのだそうですが、見つけられませんでした。代わりに「將門大明神」と彫られた石塚を見つけました。



 延命寺は高台の端にあります。裏門の階段を降りるとき、堤防らしきものが見えたので行ってみたら、思ったとおり堤防で、上ると小貝川の岡堰(右遠景)と小貝川に突き出した水神岬(左の木立)を望むことができました。

 旧岡堰は寛永七年(1630年)、利根川河口を銚子沖に付け替える東遷事業の一環として設けられた堰です。



 水神岬から高井城址公園までは500メートルほどです。
 高井城址に到る手前の風景-小貝川の堤防まで見渡す限り一面の稲田でした。

 玩具を与えられた子どものように、私はそこらじゅうで新しいカメラのシャッターを押しました。この日だけで50カットも撮影しておりました。
 たいした写真はありませんが、文章を推敲するように、極力そぎ落としても、添付したい画像は減りません。全部添付すると、猛烈に長いブログになってしまうので、念願だった桔梗の群落以降は明日に回します。

↓参考マップ。
http://chizuz.com/map/map56252.html

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする