桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

松戸宿余録

2009年07月27日 17時57分57秒 | 歴史

 昨日曜日、また松戸宿をそぞろ歩きました。
 前回は宿の外れにある平潟遊郭跡を見ることが主目的でありましたので、松戸宿に関する基礎知識は持たぬまま歩きました。庵に帰って見所を点検し、再度訪問した次第です。



 西蓮寺。
 松戸駅西口から徒歩六~七分。徳川家康の関東入国後、矢切村に創建されたお寺です。慶長十八年(1613年)、旧水戸街道沿いの現在地に移転。 現在の本堂は嘉永四年(1851年)の建立。



 西蓮寺からものの数分、善照寺の不動堂です。
 この寺も当初は現在とは違う場所・
向山(現在の松戸駅東口先)に創建され、慶長十六年(1611年)、西蓮寺より少し南の現在の場所に移転しました。
 不動堂はそれから四十年後の慶安四年(1651年)に建てられました。右手にちょっとだけ見える屋根の庇が本堂。その手前が松戸七福神の一つ・布袋尊です。

 このあと、宝光院を訪ねました。千葉周作の最初の剣の師・浅利又七郎の供養塔のあるお寺です。
 ところが、本堂は真新しく、境内も各所で工事中でした。入れないことはありませんが、日曜日だというのに工事の人たちが行ったりきたりしていたので、興を削がれてカメラのシャッターも押さず、墓所も巡らず。
 先に見た善照寺とは庭つづき、ならぬ墓つづきでした。



 原田家店舗。
 幕末期から米屋を営む。現在も米屋で、道路のこちら側正面に店舗があります。



 御領榜示杭。もちろん復元されたもの。
 松戸宿の江戸側入口に当たっていて、「是より御料松戸宿」と、ここから天領であることを示しています。背後から近づいたので、とうとう渡船場跡を見つけたと思ったのですが、空振りでした。

 江戸川の土手に上がって周りを見渡しましたが、渡船場跡を示すような碑は目に入りません。川岸にあるとしたら、生い茂る葦に覆われているので見えませんし、近づくことすら叶いません。
 土手の上はときおり歩くのもままならぬほどの突風が吹き荒れていました。吹き飛ばされてはかなわないので、渡船場探索はさっさと諦めて土手を降りることにしました。



 松龍寺。
 元和元年(1615年)、松戸宿の南端、小山というところに建立された浄土宗の寺です。 慶安三年(1650年)に現在の場所に移転。
 左手の赤い幟の横に観音堂があり、すくも観音が祀られています。
「すくも」とはどのような字を当てるのかわかりませんが、藍染めの原料です。川があるので、このへんでも藍染めをしていたのか。あるいはまったく別のことなのか。
 観音様ですから、八月十日が四万六千日。それに合わせてとうもろこし市が立ち、坂川の献灯まつりが開かれます。
 なにゆえとうもろこしかというと、昔はとうもろこしは赤く、赤くて種の多いものは雷除けになると信じられていたからだそうです。浅草の浅草寺にほおづき市が立つのも、赤くて種が多いから……。



 徳川幕府との縁が深かったことをうかがわせる松龍寺山門の扉。
 歴代将軍が小金牧で鹿狩をするときは、ここが御小休所として休憩所になったのだそうです。さぞかし貴重な品々が遺されていたと思われますが、江戸時代に四度の火災に遭っており、寺宝はすべて焼失してしまったそうです。残念!



 この日も暑い一日でした。
 坂川で涼をとる羊……を見つけました。羊というのは冗談です。白い犬でした。
 決してヤラセではありません。自分の意志で石段を降り、川の水に浸かって、気持ちよさそうに目を細めておりました。
 犬の頭に被さっている黒い線は、こちらの川岸に立つ電柱の陰です。暑い陽射しを遮る陰のない川で、この電柱だけが唯一の日陰をつくっていました。
 もっとはっきりした写真が撮れるようにと、しばらく待機していたのですが、陽の移ろいとともに移動する陰を追って、この犬は少しずつ移動していました。
 いっそ縦になれば、頭だけでなく全身を陰の中に隠すことができるのに、と思いましたが、縦になるのには足場が悪かったのでしょう。

 今回再訪の主目的は二つ。
 浅利又七郎の供養塔と渡船場跡を見ることでした。二つとも叶いませんでしたが、この犬を見ただけで、充分にお釣りがきたような気分です。
 じつは先の松龍寺を捜して歩いていたときにこの犬を見ていました。物陰からトコトコと出てきて、行く方角を捜しあぐねているような素振りでした。迷子になって自分の家を捜しているのかと思いましたが、こんな秘密の場所を捜していたとは……。



 前回は人の出入りが多かったので、入るのをやめた松戸神社です。
 寛永三年(1626年)の創建。日本武尊が祀られています。
 日本武尊東征の折、ここを陣営地として吉備武彦(きびのたけひこ)、大伴武日連(おおとものたけひのむらじ)らと待ち合わせたところから「待所」→松戸、の地名が興ったとされています。

 


 松戸神社内の百度石。龍神水の前にありました。上部に算盤の珠のようなものが二〇個×五段でちょうど百個。
 お百度を踏む光景は時代劇でしか見たことがありませんが、若い女か母親と決まっているようです。
 恋しい人の無事を祈る女か、生死の境をさまよう我が子を命に替えても守ろうとする母親か……。本能の違い、といってしまえばそれまでですが、男にはそこまで壮絶な覚悟はないような……。



 坂川沿いの石畳。さりげなく敷いてありますが、松戸宿旧本陣に敷かれていた石だそうです。

↓今回のブログの参考マップです。
http://www.ka5.koalanet.ne.jp/~matusato/PAGE02/map02-00a.pdf