桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

入院の朝から退院の朝まで

2012年07月05日 19時41分33秒 | 日録

 七月二日、大腸のポリープ切除手術を受けるために入院しました。
 約一か月前の五月三十日に受けた検査で見つかっていたポリープは二つ。悪性ではないという診断でしたが、入院が何日間になるかは切除後の出血の有無などによって決まる。それでも長くて四日 ― そう聞かされていたので、いちおう四日分の着替えやタオルなどとノートPCをトートバッグに詰めたら、バッグは二つになってしまいました。



 入院を控えた朝、今年二十輪目の桔梗殿が花を咲かせました。それまでずっと紫桔梗ばかりだったのに、初めて白色が咲きました。
 ずっとマンション住まいでしたが、狭いながらも庭を持ち、地植えできるようになって二年目の夏です。勢いのある枝が伸びたら、挿し芽に挑戦してみようと思います。

 前夜は夕食まで普通の食事をして、夜九時にアジャスト錠を200ミリリットルのピコスルファートナトリウム溶液で服んでおきました。両方とも排便を促す薬品です。

 朝、目覚めるとスクリットという粉末の腸管洗浄剤を2リットルの水に溶かします。
 これを朝八時から十時まで、二時間の間に服まなければなりません。海水を薄めたような味で、一口二口ならなんら抵抗はないのですが、ただ淡々と2リットル服む、というのは非常なる苦行です。

 2リットルのペットボトルにこしらえたスクリット液を500ミリリットルのボトルに詰め替え、「よ~し、これを四回!」と自分に言い聞かせて服み始めました。

 一か月前、検査のときにも同じことをしているのに、空にして取っておいたペットボトルの容量は1・8リットルだと勘違いしたので、2・2リットルもこしらえてしまいました。

 前回も今回も、検査が始まる時刻は午後二時と変わりませんが、今回は入院手続きをしなければならないので、午後一時に病院に行くことになっていました。


 腸管洗浄剤を服み始めてしばらくすると、トイレに駆け込まなくてはなりません。

 初めて服んだときは興味もあったので、何回トイレに行くことになるのだろうかと数えていましたが、用を済ませてトイレのドアを閉めた途端に再び催す、というようなこともあって、いつの間にか回数はわからなくなってしまいました。

 朝食を抜いて、ひたすら腸管洗浄剤を服みつづけます。トイレから出てきては服み、服んではトイレに駆け込みます。
 十時目前に2・2リットルを服み終えました。あとはトイレに行くのを繰り返すだけで、排便感がなくなるのを待ちます。
 腸の中がすっかり空っぽになったかな、と思えるころ、病院へ行くために腰を上げる時間が迫っていました。

 入院するのは胃潰瘍のアフターケアで通っている新松戸の病院です。電車だと一駅ですが、駅を出たあとは我が庵のほうへ戻る形になるので、いつも歩いて行きます。今回は荷物が重いので逡巡しましたが、結局歩くことにしました。



 朝、音声だけ聴いていたテレビのニュースでは、鎌倉・長谷寺の紫陽花(アジサイ)はまだ見ごろ、といっていたのに、本土寺の紫陽花は一足早く終焉を迎えたのか、土地勘のない車が右往左往して近所迷惑だった参道はほとんど人通りも絶え、駐車場も閉鎖されていました。

 午後時に入院受付を済ませ、すぐに内視鏡検査の受付も済ませ、服を着替えると、前処置室に入って点滴を受けます。蒸し暑い中を二つのトートバッグを担いでエッチラオッチラやってきたので、汗が止まりません。点滴の針を固定すべく腕にテープが貼られるのですが、噴き出す汗ですぐに剥がれてしまいます。

「こんなに汗をかく人は初めて見た」とナースにいわれてしまいました。

 ベッドに横たわって検査を受けながら、いつくるかいつくるか、と緊張しています。腸の襞を伸ばすために空気が送り込まれるのですが、前回の検査では、腹が爆裂するのではないか、と思うほどの圧迫感に嘖まれることが何度かあったのです。

 プクップクッとその予兆のようなものがきて、思わず身体を強張らせましたが、爆裂を感じさせるほどのものではありません。
 そのうち、「一番苦しいところは過ぎましたよ」「もうすぐ終わりますからね」という医師の掛け声があって、痛みもないうちに終了かと思ったら、そのころはまだ道なかばでした。
「これかな?」「あれッ、どこだっけ?」「そこじゃないですか」「あった、あった」という医師とナースと検査技師(?)の掛け合いの声が聞こえます。ちょうど私の頭の上にモニタがあるらしいのですが、私には見えません。

 ひと月前、生まれて初めての検査を終えたあと、大腸.COMというサイトがあるのを知りました。そこには、私にとってはあれだけ苦しかった検査が、経験豊かな専門医にかかれば少しくすぐったいと感じる程度だ、とありました。
 NHKの「梅ちゃん先生」を視るまでもなく、医師個々に技量の差、経験の差があるのは当たり前のことで、私の二回目の体験は爆裂感に見舞われることもなく終わりました。



 病室は東向き。
 向かい合わせに三つずつ並んだベッドのうち、私には窓側が当てがわれました。行き交う常磐線の電車が見えます。

 内視鏡検査室に入ると、持ち物はすべてロッカーに預けるので、どれほどの時間が経過しているのかわかりませんが、点滴の針を射されたまま、じっと順番を待ち、やがて処置室に入って、上記のような体験を経たあと、車椅子の人となって病室に入ったときは、病院にきてから三時間 ― 午後四時になっていました。



 前回、胃潰瘍で入院したとき、知人がくれた守護神ミカエルのフィギュアです。
 いつもはパソコン机の照明灯に吊り下げてあります。
「神仏は恃まぬ」主義の私ですが、それは「私」が恃まないということであって、他者が私の病気平癒を願ってくれたものなら、と素直に受け入れておけばいいのではないか、と思って持ってきました。

 

 左手には点滴の針がブスリ。右手には、病院では患者誤認防止のリストバンドと呼んでいますが、私にとっては囚人の「人別標」としか思えないようなものをはめられています。

 血圧は下が102、上は150を超えていました。ナースが「高過ぎますね」といって、もう一度測ってくれましたが、同じ値しか出ません。



 私の部屋とは反対側を向いているデイルームからの眺め。
 紅い車体の流鉄が走っています。

 病室は六人部屋で、私が入るまでは四人の患者がいるだけでした。様子をうかがっていると、四人ともかなりの高齢者で、いずれも寝たきりのようです。

 点滴スタンドを曳きながら歩かねばならぬので、自由自在に、とは行きませんが、自分の意思で行きたいところへ行けるのは私だけ……。

 腹痛があったり、出血があったりしなければ、明日退院と聞かされました。四日分もの着替えを持ってきているので、拍子抜けしたような感じです。

 そのせいでもないでしょうが、お腹に疼痛が出ました。耐えられない、という痛みではありませんが、奥深いところでチクーリチクーリと疼いています。

 それからしばらくして、点滴が空になって、血が逆流し始めたので、ナースコールのボタンを押しました。
 痛みのある場所は肋骨のすぐ下 ― 肝臓のある場所です。ナースは大腸とは関係がなさそうだといいながら、「起きていないで横になってください」と言い置いて部屋を出て行きました。

 横になった私はいつしか眠ってしまったようです。外は薄暗くなっていました。

 医師の声で目覚めました。すでにお腹の痛みは引いていました。触診してもらいましたが、痛みの原因がなんであったのか、もうわからなくなっていました。
 ただ、退院が一日延びました。




 退院の朝の食事は五分粥(左下)が出ました。
 中央はそぼろ卵とシラスとカットトマトの炒め物、右下はチョッパーで砕いた何種類かの野菜を混ぜ合わせたような調理で、酸っぱい味がしました。



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