入院するのを少し延期して取手へ行ってきました。
昨十八日、取手の長禅寺では百観音大祭が開かれ、三世堂の内陣御開帳があったのです。
内陣を拝観できるのは毎年一日限り。四月十八日だけなのです。
長禅寺下の通称・大師通り。
いつもは人通りすらまばらなのに、露店が出ていました。画像右下には石段があって、そこを上ると境内です。
本堂左前の清涼亭ではお茶の接待がありました。
清涼亭という名は取手から近い牛久で生涯を過ごした画家の小川芋銭(1868年-1938年)がつけたといわれています。
長禅寺は承平元年(931年)、平將門が勅願所として創建したと伝えられている臨済宗妙心寺派のお寺です。ただし、創建当初は現在の取手競輪場近くにあって、現在地に移ったのは江戸時代初め。
内陣の御開帳がある三世堂が建立されたのは鎌倉時代に入ってからで、文暦元年(1234年)のことです。織部時平という人物が將門の守り本尊と伝えられる十一面観音像を安置するために「四間四面御堂」を建立しました。それが三世堂です。
普段はひっそりとしている三世堂も、この日ばかりは幔幕が張り巡らされて、華やいで見えました。八重桜もちょうど見ごろを迎えていました。
三世堂は外から見ると二層の建物に見えますが、内部は三層になっており、順路に沿ってお参りすると往路と復路が途中で交差することなく堂内を一巡できる「さざえ堂様式」で建てられているお堂です。
入口を入ると、正面奥に平將門の守り本尊・十一面観音が安置されています。
一層目には坂東三十三か所観音札所、二層目には秩父三十四か所観音札所、三層目には西国三十三か所の各本尊の、それぞれの写しが安置されています。合計百体の観音像を安置することから、百観音堂とも呼ばれています。
坂東三十三か所第二十三番正福寺(と書かれていますが、茨城県笠間市にある観世音寺の誤り)の千手観音。
二層目の秩父三十四観音。
三層から望む山門と大師堂(左)。一般の人がこの景色を堪能できるのも四月十八日だけ。
三世堂の風鐸(ふうたく)です。普通型。
中央に望む屋根は本堂、右は霊山堂。
私は観音信仰は持っていないので、足早に巡りましたが、立ち止まっている人がいると、通り抜けるのに苦労するような狭さです。
信仰心の篤い老若男女、善男善女が引きも切らず……といいたいところですが、「若」は皆無、「男」もほぼ皆無。
ほぼ直角に近いような階段を上り下りしなければなりません。
なかなかの苦行でありました。
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