一の宮に来た。
宮地駅だ。
なぜ宮地駅なのかって?
妻が「あか牛料理」の看板を見つけたのだ。
宮地駅の真ん前にあるあか牛専門のレストラン。
もう2時近い時間だったのでここで食事を撮る事にした。
詳しい内容はこちらでどうぞ ->「レストラン藤屋」
ここまでくれば次は阿蘇神社に決まっている。
巫女さんが写真を撮ってあげていた。
中に入ると何とも懐かしい・・・。
参拝をして神社の裏手に回ると、昔見た景色がそのまま残っていた。
昔良くここで遊んでいたのだ。
実は、私はここ一の宮で生まれたのだ。
父の仕事の関係で、生まれて5歳までここで育った。
だから七五三もこの神社でお払いを受けている。
そんな感傷にふけっていたら、妻が何か見つけたようで、クーとてくてく歩き出した。
阿蘇神社の横手にある商店街なのだが、何か一風変わっている。
「水基巡りの道」と看板にある。
そうここは水の豊富に流れている町で、昔良く水遊びをしていたので良く覚えている。
タバコを吸いに灰皿が置いてある所に行って、妻に「昔は映画館がそこにあって、銭湯がそこにあって・・・」と言ってたら、「いや映画館はあちら、銭湯はそこにあった」と声が掛かった。
地元のこの商店街のご主人のようだ。
年齢も私と同じくらいの人だった。
「映画館や銭湯があったのはずいぶんと昔のことだけど?」
「そう私が5歳だから○○年前になりますね」
「これは町お越しですか?」
「そうです。やっと活気が戻ってきました。昔は悲惨でしたよ」
阿蘇全体で「水基巡り」というイベント(ウォーキング大会)のようなものをやっていて、その一部で「水基巡りの道」と商店街で起こしたようだ。
これでも立派なお店なのだ。
馬肉コロッケ、阿蘇牛乳のソフトクリーム屋さん食堂などみんな独特の雰囲気を持っている。
広場にはこんなモノまであった。
「木こづみ」熊本弁でモノを積むことを「こづむ」と言う。
それからクルマで昔良く遊んだ外輪山のふもとまで行った。
昔、幼い頃見ていた風景がそのままそこにあった。
やっと終わったのだ・・・
宮地駅だ。
なぜ宮地駅なのかって?
妻が「あか牛料理」の看板を見つけたのだ。
宮地駅の真ん前にあるあか牛専門のレストラン。
もう2時近い時間だったのでここで食事を撮る事にした。
詳しい内容はこちらでどうぞ ->「レストラン藤屋」
ここまでくれば次は阿蘇神社に決まっている。
巫女さんが写真を撮ってあげていた。
中に入ると何とも懐かしい・・・。
参拝をして神社の裏手に回ると、昔見た景色がそのまま残っていた。
昔良くここで遊んでいたのだ。
実は、私はここ一の宮で生まれたのだ。
父の仕事の関係で、生まれて5歳までここで育った。
だから七五三もこの神社でお払いを受けている。
そんな感傷にふけっていたら、妻が何か見つけたようで、クーとてくてく歩き出した。
阿蘇神社の横手にある商店街なのだが、何か一風変わっている。
「水基巡りの道」と看板にある。
そうここは水の豊富に流れている町で、昔良く水遊びをしていたので良く覚えている。
タバコを吸いに灰皿が置いてある所に行って、妻に「昔は映画館がそこにあって、銭湯がそこにあって・・・」と言ってたら、「いや映画館はあちら、銭湯はそこにあった」と声が掛かった。
地元のこの商店街のご主人のようだ。
年齢も私と同じくらいの人だった。
「映画館や銭湯があったのはずいぶんと昔のことだけど?」
「そう私が5歳だから○○年前になりますね」
「これは町お越しですか?」
「そうです。やっと活気が戻ってきました。昔は悲惨でしたよ」
阿蘇全体で「水基巡り」というイベント(ウォーキング大会)のようなものをやっていて、その一部で「水基巡りの道」と商店街で起こしたようだ。
これでも立派なお店なのだ。
馬肉コロッケ、阿蘇牛乳のソフトクリーム屋さん食堂などみんな独特の雰囲気を持っている。
広場にはこんなモノまであった。
「木こづみ」熊本弁でモノを積むことを「こづむ」と言う。
それからクルマで昔良く遊んだ外輪山のふもとまで行った。
昔、幼い頃見ていた風景がそのままそこにあった。
やっと終わったのだ・・・