打越通信

日記ふういろいろ

外出

2015-02-02 16:42:00 | 日記ふう
昨日は疲れた。
朝から明日(日曜日)の事を看護士に伝えた。
明日は告別式に出席するので、昼食と夕食を止めたい。
しかしなかなか院側からの返答が無い。
昼食時にも看護士と話をするが主治医との連絡が取れないと言う。
夕食後、行動予定表(病院から熊本駅まで妻の送り迎え、何時の新幹線に乗るなど)を作っているとき、看護士がやってきて我が妻に連絡し確認が取れたそうだ。
それで初めて許可がおりた、なんとも情けない話だ。

さて当日は朝の8時半ちょうどに妻が迎えに来た。
今日は2つの事が重なり、私は実家の近くにある葬儀会場へ、妻と息子はあるものの受け取りに行く。



上熊本駅前を通ると、在来線の高架事業が進んでいて、新しい駅が完成間直だった。
確か3月には高架の上を在来線が行き来する予定だったと思う。



久しぶりの熊本駅、そして新幹線、新幹線で博多まで通勤していた以来の熊本駅の新幹線のホームだった。
9時47分の下りのさくらだった。
25分で新水俣駅に着く。
そこからは葬儀会場までは歩いて15分程度、式場には10時半には着いた。
受付を済ませ式は滞りなく進み、喪主の幼馴染の挨拶だった。
ご母堂様(享年90歳)の母の話を落ち着いた様子で坦々と語っていた。
式が終わり、実家の近所の人たちと状況の交換だ。
入院していると言うとビックリした様子で、暮れから正月も病院生活だったことを報告したら、皆さんビックリしていた。
会場から実家まで歩く途中にファミレスがあり、そこで食事をする。
右手が痛むためカレーにし、起用に左手でスプーンで頂く。



実家に様子見に帰ると、庭は勢い良く伸びた草が枯れて哀れな状況、鍵を開けて仏壇に手を合わせ、室内をチェックする、異常が無いことを確認し時計を見るとちょうど良い列車がある。
実家には5分もいなかったようだ、急いで新水俣駅に行きキップを買いホームへ駆け上がる。



13時27分の新幹線で熊本駅へ到着した。
妻と息子が迎えに来ていて自宅に戻り、喪服から普段着に着替え、父と母の遺影に今日の報告をし予定通り帰棟した。

入院中の生活と違い、水俣までの新幹線(片道25分の旅)、熊本駅での待ち時間、実家の状況確認などでかなり疲れが出たのだろう。
右手の痛み(鎮痛剤で解決)もあり疲れているのに、同室の話好きのおっさんは容赦しない。
いい加減にして欲しかったが眠薬を飲んでさっさと眠りについたわけだ。

わずか25分の実家までの距離、何ヶ月かぶりなのに懐かしく感じた。