打越通信

日記ふういろいろ

人生の危機だ

2011-08-16 09:50:43 | 食事
いやはや、まいった。
3月からの仕事の疲れなのか歯がボロボロになった。
本数を書くとビックリするので書かないが、飯を食ってるとポロリ。
歯を磨いていると、カチンと音がして抜けて行くんだ。
それで歯医者に行くとさらに何本かの歯を抜かなくてはいけないという。
歯が抜けるたびに、親からもらったこの体になんとも悲しい気分になるのだ。
それはそれで仕方ないと割り切るのだが・・・。
飯を食えないのだ。
家ではフードプロセッサなるものがあるので、いったん料理したものを砕いてみる。
栄養のバランスとかそういう事は2の次でとりあえず摂取することが第一なのだ。



ところが外食だ、試しにファミレスに行く、メニューを見ても食えるのはわずか。



情けないと思いながらカレーとスープ、妻に試しにハンバーグを頼んでもらった。
それでもカレー、口にすることはあっても、噛む行為はただ行為だった。


それでも何とか食した。



そして今度はスーパーだ、食えるものを探す、好き嫌いなど言っておられない。
食えるものを探す。



なんとも情けないのだが、抜歯のあと何とか歯が入りそうなのでそれまでの10日あまり、人が生きる上で大切な食うという行為が出来ない。



博多での仕事がこういう形で跳ね返って来るとは思いもしなかった。
だけど、現実と向き合っていくしかないので開き直っている今日この頃なのだ。

庭木達

2011-08-15 09:44:19 | 季節の花
すっかり手入れも怠ってきたわが庭の木々たちよ、すっかりジャングルのようになってしまった。



肥料もあげていないし、冠水もしていない。



今年は咲くのかなと思っていた百日紅、ちょっと遅めの開花だった。
芝生も伸び放題、この盆休みの間に何とかしなければならないようだ。
この連休は何とか休めそうなので、歯の治療と実家に両親の様子見と庭の木々と芝生の手入れをしようと思う。



妻が植えたラベンダー、君も少しは庭掃除してくれよ。

頼もしい娘だ

2011-08-14 10:14:02 | people
娘のアパートの部屋から素晴らしい夕日が見える。
キャナルシティや博多港の方角だ。
娘のアパートに世話になりながらの生活だった。
長期出張に出るときに妻に3泊と伝えると4日分の下着にワイシャツ、靴下を用意してくれる。
それでも10日などの長期になると、当然着替えがたらなくなってしまう。
娘はそんなオヤジの下着まで洗濯してくれる。
梅雨が続くとなかなか乾かなく、室内にはオヤジの洗濯ものがつるされていた。
朝に朝食を作ってくれたこともあった。



娘は毎日、シロップときな粉をまぶしたバナナを食べていた。
私にはざるそばや味噌汁を作ってくれる。
夕食もだご汁を作ってくれたことがある。
料理も結構決まっていた。



ホテル嫌いな私としては、なんとも頼もしい娘なのだ。
そんな娘が言うには
「こんな娘はいないよ」
なんとも、その通りだと思う。
ありがとうネ。

美野島

2011-08-13 06:18:44 | 日記ふう
もう5年くらい前になるのか、娘が進学で博多に行くことになった。
妻と娘で博多駅前の不動産屋さんで物件を探していた。
たまたま仕事で博多に来た時
「おとう、時間があったら一緒に物件見て」
などと電話がかかってきた。



それで一緒に見に行った。
仲介してくれたのは若い熊本県出身の男性だった。
一件目のアパートは3階の暗い部屋だった。
「うん~」
そして2件目は11階建ての11階の角部屋だった。
見るなりここかなと思ったし、娘もそうだった。
それから何件か見に行ったが、2件目の物件に決めたのだ。
娘が言うには
「商店街のある街」
これが条件だったようで、それから何度も娘のアパートにお邪魔しているが素晴らしい街だ。



細長い路地なのだが、交通量は多い。
昔の面影のある街並み。



博多駅から歩いて約20分、かつては博多の台所と言われたところだ。
那珂川に沿って昔ながらの商店街が連なっている。
博多にもこんな所があったんだななどと思いながら、娘が学生生活を過ごし、就活で悶々とした日々を送った街。



そして晴れて就職してからも、引越しはしたもののわずか100mの距離だった。



しかしこの街も少しずつ変わって来ている。
焼き鳥が一本50円だった店も日替わりの店シェアと言うのか、そういう店に変わってしまった。

それでもこの街から離れようとしない。
娘にとって自立し、一人暮らしを始めた街だ。
娘にとって第二の故郷になるようだ。



オヤジの夏だ(続続)

2011-08-12 06:54:55 | 日記ふう
娘のアパートの7畳くらいの部屋に布団と寝袋を引いて3人で寝る。
クーラーがきいているので寒くてあまり寝れなかった。
それでも定刻に起きてシャワーを浴びて出勤なのだ。
出勤の途中で、娘の部屋にケータイを忘れてきた事を思い出した。
今からとりに帰ったら遅刻してしまう、しょうがない帰りにでもとりに行こうとも思ったが・・・。
会社に出勤して、会社の周りで公衆電話を探す、しかしなかなか無い、コンビで発見したので妻に電話を入れ、娘と息子のケータイ番号を教えてもらった。
息子に電話を入れ、12時10分頃に博多駅のアミュプラの大きな屋根の下に持って来てもらうよう連絡した。
今日は昼から北九州まで行かないといけないので、博多駅に持って来てもらい一緒に昼飯でも食おうと思った。
待っているとなんとチャリで持って来た、飯を食うにもチャリがジャマになる、結局なんか食えといって1000円札を渡した。
結局そのまま新幹線で小倉まで、先に来ていた同僚と小倉食堂で待ち合わせ、焼きうどんを食って仕事に向かった。

北九州からの帰りは18時49分のレールスターで博多駅に向かう、列車の中で九州新幹線の時間を調べると、6分の連絡でさくらがあった。
しかし一回改札を出て荷物を取らなければならない、それで次を調べると10分後くらいにつばめがいる、その後のさくらより先に熊本駅に到着する。



博多駅の改札を出て、荷物を持ってふたたび改札を抜けてホームに上がると、そのつばめはまたしてもピカチュウ列車だった。



新800系の車両なので室内も、今までの800系とは違うのだ。
うとうとしていると、熊本到着のアナウンスが流れた。
熊本駅の改札を抜け、地下通路を出て駐車場まで重い荷物を担いで汗だくになりながらてくてく歩いたのだ。

オヤジの夏だ(続)

2011-08-11 06:41:17 | 日記ふう
博多駅で着替えなどの荷物をコインロッカーに放り込んで、暑い中、事務所まで歩く、また汗びっしょりになる。
仕事が終わり、娘に電話をかける
「今仕事が終わった、3人で飯でも食いの行こう?」
すると
「さっこは行きたい、けど、おにいがいない、電話してみて」
というので電話してみた。
「スーパーで弁当買った」
などと言っていたが、弁当は明日でも良いなどと言っている。
博多駅で荷物を取り出し、暑い最中をてくてくと美野島まで歩く。
アパートの下に降りるよう連絡を入れた。
さてさて3人で商店街をウロウロと店を探す。
娘もほとんど外食する事は無いようで、あまりお店を知らない。
焼肉屋に行ったが休みだった、何度か行った定食屋も休み。
アパートの真前に、小奇麗なお店があったのでそこに入った。
汗だくで私と息子にビールを注文した。
メニューを見ると1000円以上のメニューばかり、そこに店員さんがランチメニューを持って来た。



私と息子はうな丼(880円)



娘は、うにとイクラの海鮮丼(1000円)

実を言うと、いま娘と息子は共同生活をしているのだ。
「うまく行ってる?」
と聞くと娘が
「割とスムースにいってるよ」
無口な息子も今日は至ってうれしそうで、口数が多かった。
冷えたビールとうな丼が食欲をかきたてる、和気あいあいな雰囲気の中、妻の事を思った。
私が泊りがけの出張に行くと、手をたたいて喜んでいたが、いま、こちらが3人で妻は1人になった、いやいやクーと2人だ。
ざまあみろ、とは思わないが、今後、我が家族はいったいどうなっていくのか、楽しいひとときの中、ふと思った。

オヤジの夏だ

2011-08-10 11:06:05 | 日記ふう
と、叫んでみても、今日から再び、泊りがけで博多行きだ。
朝、7時前にてくてくと白川沿いを歩く、セミの声がうるさいくらいのの蝉しぐれ。
駅まで歩くと汗が噴き出してくる。
汗だくで熊本駅に着くと、地下通路を新幹線駅に向かう。



やっとこさ、エスカレータが稼働していた。
2ヵ月近くも故障したままだった、重い荷物をもった人たちはエレベータを使っていたが、私たち重いカバンを肩に担いだ人達には、簡易階段のトントンと音のするような階段より、エスカレータがありがたいのだ。
切符を買って、再び長い階段が待っている。
今日は階段の数を数えてみた。



63段だった。
と、言っても長いのか分からない。
だから博多駅の新幹線ホームへの階段を数えようとした、改札を抜けて最初の階段は23段だった。
中二階からホームへはエスカレータだった、だから大体の数を数えたが20段も無かった。
そして帰りの小倉駅、47段をしっかり数えた。
やはり熊本駅は高い、そんなバカな事は良いとして、今年3月から始まったホント異常な博多での仕事、私の役割は大体終了しかけている。
こちらは1500段以上の高さだった。
精神的に、また肉体的にかなりきつかったこの仕事もほぼ終了しようとしている。
私の役割が終了しようとしているのはホントなのだけど、それはリリースが近づいているという事だけで、ホントは今からが大変なのだ。

クルマ

2011-08-09 07:17:44 | 日記ふう
重い腰をやっと妻があげた。
自宅にある3台のクルマ、14,5年ぶりに仕事に復帰した5,6年前に妻の名義で買ったクルマだ。
最近は息子が免許を取って使っていた車だ。
任意保険に駐車代、そして2年に一度の車検などなど、とても3台のクルマを維持する事は不可能だ。
実をいうと8月に車検を迎えようとしているのだ。



それで中古車買取の全国規模のお店に行った。
オネーさんがお飲み物は何にしますか、などと聞いてくるので
「ビールください」
などと言ってみたら。



「すみません、こちらから選んでください」
などと、笑いながらメニューを持って来た。
オレンジジュースを飲みながら、オニーさんの話を聞いていた。



年式と査定の内容を本社に今送っているという。
15分経ってやっと査定の見積が出た。
それを見た妻のヤツ、とてもガッカリした顔をした。
3万円。
隣でクスクス笑う私を睨めつける。
5,6年前、中古で買った時は70万円だった。
しかしもうこのクルマは12年目に入ろうとしているのだ。
返事はせず、自宅に戻り、グッチを呼んだ。
そしたらグッチが
「俺が乗る」
と言い出すではないか。
彼も今年車検を迎えるそうで、そのクルマを廃棄してこちらのクルマを車検して乗るそうだ。
グッチには世話になっている、だからタダであげる事にしたのだ。

童謡につつまれて

2011-08-08 06:08:34 | イベント
いやーまいった。
先日、blogのメールに、温かいメールを頂いた。
先日の打越町の夏祭りの記事を見ての感想だった。
個人的な内容が多い、どうにもつまらない内容のこのblogにありがたいというより、気恥かしい気持ちになったのだ。
そして先方のサイトの情報もあり、ついつい読んでいると素晴らしい活動をされている人たちだった。

気まぐれーズさんのサイト

実は今日、そのメールを頂いた方と打越公民館でお会いすることが出来た。
8月の第一週の日曜日は銀友会(打越町の老人会)の催しがあるのだ。
その会に呼ばれて来られると言う。
だから今日はその方々をお迎えするため、朝8時半には公民館に向かった。



銀友会の会長から9時すぐには来らると聞いていたが時間どうりに来られた、クルマ2台で、PA(音響)を心配していたが、なんと大量の音響装置まで自前だった。
お手伝いをしながら、思い切って
「○○さんですか、○○です」
と声をかけた。
温かい人だった、準備の最中だったのであまりお話は出来なかったが、準備を終わってしばらくお話をさせていただいたがなんともボランティア精神溢れる方だった。
そんなこんなでいよいよコンサートが始まった。



童謡を専門にされているコーラスグループの「気まぐれーズ」。
5人の男性グループ、キーボードにギター、そしてコーラス。



ナルさんの温かいお話と、懐かしい童謡の数々。



隣のおばあちゃん、大きな声で歌っていた。



私は後ろの方にいたが、マイクを使った「気まぐれーズ」の歌声より、銀友会の人達の声の方が大きいのだ。
まるで公民館全体が童謡の世界に包まれていた。
普通オヤジバンドなどと言うと、俺の歌を聴け!
などとなるのだが、違うのだ、人を引き込み一緒に楽しむ。
そして客席の中からステージに引き込んで歌ってもらう、これも技術かな。



素晴らしいと思った。
会の最後には、おばあちゃん、立って拍手をしようとされたが前の席が邪魔になって途中で立ち上がる事が出来なかった。
彼女の気持ちが良くわかった、こんなに人をふるいたたせる音楽の素晴らしさだ。
ナルさんと再会を約束して素晴らしい会は終了した。

大津街道杉並木

2011-08-07 08:40:06 | 熊本の風景
仕事で大津に行く機会が多い、熊本市内から大津まではいくつもの道があるのだが、この県道337号線(旧国道57号線)がお気に入りなのだ。



熊本市内から東へ20km、そしてその先は阿蘇の山々が連なっている。
大津街道(豊後街道の一部)には、加藤清正が杉を植えさせたといわれている杉並木がある。
だから樹齢は400年ということになる。
熊本城の修復の木材として、はたまた敵から攻め入れられた場合、伐採して進路をふさぐ目的があったと云われている。



この杉並木も台風の影響で多数の杉が倒れてしまった。
倒木の跡には新しい杉が植えられている。
幼い頃を阿蘇で過ごしたので、この杉並木に併走する豊肥本線を行ったり来たりしていた。
物心ついて列車の窓から眺めていた風景がこの杉並木なのだ。
熊日30Kロードレースもこの道を走るのだ。



このあたりが折り返し地点、つまり熊本市中心部から15kmということだ。
そういえば私達夫婦もジョグでこの道を大津市内まで何度も往復したものだ。


ASO田園空間博物館

2011-08-06 09:33:13 | 熊本の風景
大津まで仕事だ。
57号線の菊陽バイパスをクルマで走っていると、夏雲におおわれた阿蘇の山々が見える。



時間は正午前、大津に来ると良く行くそばやがある。
行ってみると休みだった、だからそのまま阿蘇まで・・・。
生まれ育った一の宮までと思ったが、どうも時間が無い。
道の駅阿蘇の駐車場に入った、平日だというのに結構クルマが停まっていた。



中に入ってみると結構な人がいる。



阿蘇は赤牛、高菜漬け



そしてとうもろこし。
しかし何で「ASO田園空間博物館」なのだろう。



電車の汽笛が聞こえたので駅に行ってみた。
道の駅のすぐ横には鉄道の駅があるのだ。
新しい駅に建てかわっていた。
昔は2階建ての古びた駅だったと思う。
幼い頃、この駅ともうひとつ先の宮地駅を良く使っていた。
列車から多くの外国人旅行客が降りてきた。



駅内になんとクーを発見。
駅を出て目の前には阿蘇五岳が見える。



ここは坊中と言っていたっけ。
駅の前からの登山道を坊中線などと言っていた。


ピカチュウ列車

2011-08-05 08:27:40 | 写真投稿
北岡神社を出て熊本駅に向かう。
切符を買って、長い長い階段(ホントに長い、今度数えてみよう)を登ってホームに上がると、ポケモンラッピングの列車(新800系)がつばめとして出発寸前だった。
熊本駅や博多駅で何度も目にはしていたが、なかなか写真を撮る機会がなかったのだ。
ピカチュウ列車が出て行って、後続のさくらに乗り込んだ。
この時間帯の列車にはあまり乗らないのだが、お母さんと子供さん、おじいちゃんとおばあちゃんとお孫さんといった家族連れが多い。



そんな車内で、今日は雲を見て過ごした。
台風の影響なのか、夏雲がたくさん出ていてまるで芸術のような風景に感激だ。
こんな夏空をみているとどこか遠くに行ってみたい、そんなわくわくする自分がいるのだ。



博多駅の新幹線ホームに出て、またまたピカチュウ列車がいた。



私が乗ろうとしている、20時4分発のさくらになっていた。
ピカチュウ列車は、飛んでいるかのように38分で熊本駅に到着したのだ。

祇園夏祭り

2011-08-04 06:59:23 | 熊本の風景
今日は博多に3時まで入らないといけなくなった。
昼食をとっててくてく歩いて熊本駅まで歩く、8月の暑い日差しの中歩いているが台風の影響なのか割と涼しい風が吹いていた。
歩いていると北岡神社の方から賑やかな宴が聞こえる。
少し時間に余裕があったので行ってみた。
昨日の新聞に載っていた北岡神社の祇園夏祭りだった。



境内に入るとハッピ姿の子供たちや大人の人であふれかえっていた。



神社の前では奉納の神事なのか、行われていた。



そして奉納太鼓。



可愛い子供用の神輿もあった。



かつて熊本一の豪華みこしと言われた、57年ぶりに復活したのだ。
熊本の報道各社も取材に来ていた、神事が終われば神幸行列が行われ、熊本駅周辺を練り歩く予定のようだ。
しかし列車の時間もあり熊本駅まで急いだのだ。

ホットプレート

2011-08-03 11:26:19 | 食事
結婚してホットプレートで料理をした記憶がない。
前回ジローがお好み焼きを作ってくれた時も彼の家から持って来た。
この頃やけにホットプレートでの料理が多くなった。
これ娘が結婚祝いにと、やかん(電気ケトル)と買ってくれたものだ。
お好み焼きだ。



やきそばに



やきにくに

ひょっとするとそのうち、焼き飯に焼き餃子、スパゲティなども出てくる可能性もある、心の準備が必要だ。
ピザ、目玉焼き、すき焼き、パエリヤあたりも怪しい。

クーの願い

2011-08-02 12:51:49 | 愛犬(Qoo)
うちに来た頃は、まだ子犬でかしこまった感じでえさを食っていた。
歩くのもやっとといった感じで、芝生もチクチクするのだろう、恐れていた。
えらいおとなしい犬だなと最初は思った。
2,3日して始めて泣き声を聞いた。
階段も最初のうちはのぼることしか出来なかった。
勢い良く登ってはみたものの
「あれ、クーはどこ行った」
と妻に聞くと、必ず2階に登っていた。
それが3年も過ぎれば、朝から隣の人が玄関を出ると大きな声で吠える。
姿が見えなくなると、2階の娘の部屋まで全力で走りあがり、窓から見える隣の人に向かって吠えている。



階段をスタスタと降りてきて、今度は妻に朝飯の催促をするのだ。
まったくもって、家の中をところ狭しと上に下に走り回るのだ。
それでも体重は5kgばかりある(肥満体質)、まったくもって夏ばてを知らないようだ。



追記:夏祭りでも準備段階から私に寄り添ってくれた。



そしてバザーが始まると女の子達に囲まれてもみくちゃにされていた。
去年も連れてきたので女の子達クーの名前を覚えていた。
なかなかの人気ものになってしまった。



ある女の子にリードを渡すと、会場をグルグル引き回されていた。
知らぬ間に、娘か妻かわからないが引き連れられて家に帰ってしまった。