あじさい物語

七色の紫陽花のような日々の心模様
       

今夜は長渕剛さん~ふるさとの話を~

2020-01-24 22:38:00 | Weblog

こんばんは。

今日は午前中に二つの用事をすませて、午後はのんびり。たまにはワイドショーでも観てみようかとテレビをつけたら、高校講座の日本史、日中戦争というタイトルで思わず引き込まれる。そのあとチャンネルを変えようと思っていたら今度は世界史。ベルリンの壁のことなど・・またまた、観てしまう。そして、今度こそ変えようと思っていたら今度は地理。アメリカの原住民の話から、またまた観てしまう。なかなかそれぞれにおもしろくて、自分の無知さ加減がわかろうというもの。高校時代は何をしていたんでしょうね、わ・た・し。勉強っておもしろくできたかもしれないのにね。受験のための勉強だった?

で、夜は中居くんの番組で、長渕剛さんを観る。中居くんが「長渕」と言っていると話していたけど、私たちも「長渕剛っていいよね」と話をする。

かつて「順子」の歌が大好きだった。

話の中に指宿が出てきた。

お母さまが宮ヶ浜の出身といっていたけど、ひょっとしたら、わが中学校の大先輩に当たるかもしれない。

昨年10月31日から11月5日にかけての帰省のことを書きたいと思いながら、そのまま。

母校に行ったのだけど、こんな場所がある。

月見が丘の入り口。長渕さんのお母さまものぼったのだろうか。その頃もあったかな。私たちの憩いの場だった・・・。

彼の母を思う気持ち、会いたいと言ったこと。本当にそうよね。

彼の言葉の中での中郡小学校、私の従兄弟はここで教師をしていた。従兄弟から確か彼のことを聞いた気がするし、秋の霞ヶ関での指宿の集いには彼の従姉妹の方が来られる。

暴力団の名前も懐かしく(変だけど)・・よく新聞を賑わせていた。

まあ、そういうことはおいといて、彼の幼いときの貧乏、お金というものへの思い、両親の思い、鹿児島という土壌での差別、ふるさとへの気持ち・・などなど、そうかと思うことがたくさんあった。

やっぱり、彼を見ていると同郷人として頑張らなくちゃと思う。

母は彼の「乾杯」が好きだった。

私は今、よく「とんぼ」を聴く。

ちなみに宮ヶ浜の「長渕剛ロード」

列車内からだから、きれいに写せなかった。これって最近できたんだと思う。最近と言っても私がふるさとを離れてからね。宮ヶ浜も変わった・・・。彼の「鶴になった父ちゃん」に宮ヶ浜が出てくる。

私の勤めていた幼稚園は宮ヶ浜だった。

彼の話を聞いていると、ほぼ同じ世代だから、かつての情景が浮かぶ。

西に沈む夕日。

明日の生活のために懸命に生きていた両親、みんな一生懸命だった。

そして、彼と同じように私も父と母を思い出し、会いたいと思うのだ。

宮ヶ浜から海岸道路を南に走れば、指宿の知林ヶ島(ちりんがしま)が見える。

知林ヶ島の説明から。

 

ちなみにここには水上機のスロープ(私には滑走路に見える・・海の中にあるのが不思議だった)がある。

悲しい、哀しい戦跡だ。

 

そして、魚見岳。これも列車内から写した。

指宿駅に着く前に二月田から。

先ほどの説明の天狗の話を父が高齢者の寿大学に文章を寄せていたのを思い出す。

長渕さんの話からふるさとの話になった。

やっぱり、頑張らなくちゃね。

おやすみなさい。

 

 

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