あじさい物語

七色の紫陽花のような日々の心模様
       

浜なし&我が家のゴーヤ

2017-08-21 16:19:43 | Weblog
今日は、免許証の書き換えや、諸々の用事があり、お休み。
もっとも昨夜は11時に帰宅した。
昨日までの小さな旅が別世界のよう。
本当に楽しかった。

免許証の書き換えに警察へ。
久しぶりの警察は、なんだか、慌ただしい感じだけど、男性の職員が親切にやって下さる。
講習も30分。
5年前と変わって、講師の方の話が15分あり、あとの15分はビデオを見る。
私は、今は、運転はしないけど、あらためて、油断せずに、ゆるりゆるりと、いろんな場面があるかもしれないと予測しながら運転すべきだと思った。
途中から見たビデオで、もう少し、見ようかなと思っていたら、講師の方がもういいですよと手で合図される。
私がいつから見ていたのかわかっていたのねと感心したりもする。

まあ、交通事故、本当に気をつけたい。
加害者にも、被害者にもならないように。
私も追突されたから、あれにはまいったものね。

そのあと、ご主人が梨園にお勤めのS木さんから、昨日、連絡をもらっていたのだけど、梨が用意できたとの由で、もらいに行く。
久しぶりの訪問ゆえ、「家、どこだった?」と電話しながら。

そして、いただいたのがこの「浜なし」の「幸水」です。
箱がこれです。



中身を開けたら



お皿にのせて、梨の大好きだった母たちにお供え中。



食べるのが楽しみです。

そして、冷房を入れる前に窓を開けたら(その方が節約できるんですって・・テレビでやっていた)なんと、ゴーヤがぶらさがっていました。
わかるかしら、3本あります。
留守中にまたまた大きくなったのね。



これまた、食べるのが楽しみです。

植物、花、木々の成長は嬉しいですね。
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尾鷲にて熊野古道~馬越峠・八鬼岳口~

2017-08-20 19:40:15 | Weblog
ただいま、帰還中。

今は沼津に向かっています。何度か乗り換えてね。

尾鷲を出て、鈴鹿、刈谷の創作の友人に思いを寄せながら、電車の走りに身を任せています。尾鷲駅です。



朝は、ホテルまで、レンタカーの方が迎えに来てくれて、その会社で手続きをして車を借りました。

行くまでにいろいろ話せば、少し遠回りをして案内してくださる。
親切です。

まあ、今、思うに、尾鷲では、二度としないだろう経験をした。
というのは、馬越峠(まごせとうげ)を見たくて行ったのだけど、山道も山道・・・

いつか、広い道に出るだろうと思っていたら、なんだか変。

結局、ここで引き返しました。



ぼこぼこ道で車がやっと通れて、今にも、くぼみにはまりそう。両側にシダが生い茂り、まあ、判断をまちがったというわけです。

これまた、あとから思うに、ナビの目的地の名前の設定が違ったみたい。
ナビの名誉のために?峠には行っていたと思う。手段はどうであれね。

悔しいので、そのあとも、行きつ戻りつ、たどり着いたのがここ、馬越峠の美しい石畳でした。





先人たちは、どういう思いでこの熊野古道を歩いたのでしょうか。
想像が膨らみます。

ここに行く前に、寄った八鬼岳(やきだけ)の古道の入り口。



いろいろな災難にあったり、途中で倒れたりで、思いを遂げられなかった方々もたくさんいたようで、供養の碑もあり、手を合わせました。


昨日の熊野速玉大社、熊野本宮大社、熊野那智大社の三山参詣の思いはいかばかりだったでしょう。
私たちは、便利な世の中に生きて、簡単に行けますが、昔の人の成就した思いとはずいぶん違うだろうと思います。


今、電車は静岡を出ました。

若者がたくさん乗っています。

2泊3日の青春18切符の旅、こうしてできたことを当たり前に思うことなく、ありがたく、感謝したいと思います。
石畳を見て、古道を見て、昔の人がいて、今の私たちがいることを強く思います。
先人たちに、すばらしいものをプレゼントされたように、私たちも後世にいいものを残さなきゃ、伝えなきゃと思いました。

尾鷲は、海もとてもきれいでした。




レンタカーの方も、小さい頃は、潜ってサザエを採っていたと話してくれました。
なかなか、行くことのない紀伊半島、確かに和歌山に来た足を踏み入れ、私の47都道府県制覇を確信しました。

それにしても、ゆきあたりばったり、足の向くままにの今回の旅もとても楽しいものでした。

誰にともなく、ありがとう!!です


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熊野三大社へ・佐藤春夫記念館なども

2017-08-19 20:49:57 | Weblog
なぜ、今回は和歌山に行ったか?
それは、私の勝手です。

実は、私は数年前の鳥取で47都道府県制覇していたと思っていたのですが、どういうわけか、和歌山だけがどこに行ったか、思い浮かばない・・・奈良に行ったときに行ったのか、はたまた、三重に行ったときか、京都か、大阪かと思うのだけど・・・

というわけで、和歌山に来ました。

そして、あら、そうだったんだと知らなかったことを知った。
全くの偶然。
「鳩ぽっぽ」「お正月」「鯉のぼり」などを作詞した東くめさん、また、「田園の憂鬱」の佐藤春夫さんが新宮市出身だったこと。中上健次さんも。







まず、レンタカーを借りて、熊野速玉大社に行く。
きれい。



それから、佐藤春夫記念館へ。
東京の住居を移築したという。素敵な建物だった。
中の展示物の写真はダメとのよし。
外観。



入ってすぐのところは、写してオーケー。
佐藤春夫さんの声で「秋刀魚の歌」の朗読をきく。味がある。




本とレターセットと一筆箋を求めた。
谷崎潤一郎との関係には、数年前に新聞記事を読んでびっくりしたけど、今日もそれを見て、人の運命、縁を思う。
また彼の童話には優しさを感じた。
今日、偶然、ここに来たことが嬉しかった。

私たちって、なんにも考えずに来るんだけど、なぜか、今、必要なものに会う。

そうそう、熊野速玉大社、熊野本宮大社でまたまた一匹とんぼが飛んできた。おもわず、「父ちゃん、楽しいよ。ありがとう」と言う。くるりと飛んでいく。

それから、熊野川沿いの道の駅「かあちゃんの店」で、「めはり寿司」を食べる。
有名だからと昨夜から食べたかったのだけど、高菜でまいたご飯は、素朴でおいしかった。

それから、熊野本宮大社へ。
本当に美しい。
屋根の曲線の美に惹かれる。



そして、熊野那智大社へ。



お寺もある。天台宗。



山がきれい。



そして、那智の滝へ。



近くに行って見る。

133メートルの一段の滝だという。
見飽きない。
すばらしかった。

これで、熊野三大社参りを終える。


いっぱい、写真をアップしたいけど、本当は神聖な場所だから、写さない方がいいのだけど、
ちょっと写させてもらった。

そうわけで、あまり、アップしないでおきます。

どの大社もきれいで素晴らしかった。
先人が何日もかけて、熊野古道からや熊野川からも来たのかもと思うと、身が引き締まる。
世界遺産というのに、納得だ。
日本人の宗教に対しての敬虔な心がある。

那智の滝では、5台しか停められない駐車場があいていたのもラッキーだった。

帰りに温泉に寄る。
とにかく、心地よい汗をかいた。



温泉が気持ちいい。私の好きな泉質で、ヌルヌルスッキリでした。

頑張ってくれたレンタカー。レンタカーやさんも親切な方でした。



新宮駅のパンダの椅子。かわいいな。



夕食は、かつ田にて。
会話が楽しい。
地元の魚が新鮮でうまい!



お蕎麦も美味。



飾ってあった色紙。惹かれました。



夫は、那智大社で、笠を買ったのだけど、それを忘れて出たら、
若いお店の方が追いかけて持ってきてくれた。親切だなあ。
また、おしゃべり。
歌の話、新宮の言葉は京都から?とか。
若者よ、頑張れ。

「かつ田」のお料理には、真心を感じましたよ。

それにしても、よく笠を買う。ベトナムでも買ってきたしねえ。農業で使うんですって。
はぁ~あ(わたしのため息)、まあ、いいか。

帰りの電車はすっからかん。



私は思う。
もっと、鉄道を大事にしなきゃと。
車は確かに便利だけど、鉄道があれば、どこでも行ける。
減らすことばかりでなく、工夫してほしいと。

乗っていたら、横浜から、和歌山に着いたものねえ。
ありがたや、ありがたや。


今夜は、三重県の尾鷲です。

地酒の「太平洋」を飲んだ夫はいい気分です。
私もふたくち位飲んだけど、おいしかった。

尾鷲、明日、午前中、どこへ行こうかな。
会っておしゃべりするのも、楽しい。

今日は「かあちゃんの店」で、私が輪ゴムがないかなと思っていたら、隣のおばさまが私の気持ちを察してくれて、輪ゴムをくださった。お礼もできないので「いいことがありますように」と挨拶した。
 
那智の大滝で「写真をとってくださいませんか」と頼んだ女性、頼んでから、外国の方と思ったので「エクスキューズ ミイ」と言ったら「日本人です」と・・・お互いに大笑い。

いろんな出会いがあって楽しい。

全て書くと寝る時間がなくなるので・・・ここでやめますね・・・


おやすみなさい。


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青春18切符で和歌山へ

2017-08-18 10:45:59 | Weblog
朝、最寄り駅を6時55分に出発しました。

のんびり、ゆっくり、青春しています!?

そう、予定通り、青春18切符で、和歌山の新宮に向かっています。
体力と時間の必要な旅ですが、楽しんでいます。

沼津までの車内は、超豪華。鈍行なのに・・・
びっくり。



この電車でした。




久しぶりに太陽も見たし、鉄道少年とも話しました。

興津までは、運転士の気分。



これから、名古屋、多岐を経て・・・電車は走ります。
窓外も緑がきれい。

車内も若者も多く・・・まさしく、青春だ!

こんな時間をとれることに感謝です。

まもなく、掛川です。
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ねむいなあ・・・。

2017-08-17 20:01:34 | Weblog
木曜日です。
今週も元気に頑張ったなと思います。
相変わらず、自画自賛。

室蘭のTちゃんは今日から学校が始まりました。
笑顔の写真が送られてきました。

見ているだけで、ほんわかとなります。

2学期も楽しく過ごしてほしいと思います。

私は少し疲れ気味。
いや、ねむいのかな。

でも、明日から青春18切符で出かける予定です。

なぁ~んにも準備してないのだけど、まぶたがくっつきそう・・・。

とりあえずは、おやすみなさい。

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盆送り

2017-08-16 23:07:16 | Weblog
今日は盆送りです。

「今年はどこへ行きましたか。気をつけて帰ってね」
夕方、手を合わせて、母たちと話をしました。

今日はうれしいことがまたあってその報告もしました。

夕方、帰宅して母の好きだった酢の物を。
葉山の玉ねぎに三陸のワカメを混ぜて作りました。
おいしかった。



ソーメンは息子が買ってきたものと、葉山のきゅうりを彩りにおすましを作る。


こうして、父母、義父母、ご先祖さまにお供えしました。



夕食のひとつ。
夫が我が家のゴーヤを採ってお供えしてあったのだけど、切ってゆでてくれました。
鰹節をかけて、これまたおいしかった。



今日は盆送り、何を作ろうかなと家にあったもので作った夕食。

我が家のささやかな盆送りの夕食の一部でした。

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終戦記念日

2017-08-15 23:18:32 | Weblog
終戦記念日。

今年は戦争に関する番組が多いように感じるのだけど、気のせいだろうか。

今まで、知らなかったことを知ることが多い。

今日の終戦記念日を敗戦記念日ともいう考えもある。
終戦とはあまりにも美化されていると・・・。

ただ、どう呼ぼうと、たくさんの命が失われたことは事実である。
戦争に行って無念の死を遂げた若者たち。妻や子どももいた主たち。
空襲、原爆、攻撃を受けて、亡くなった一般の市民。
この前、知覧で見た「散華」とい言葉は嫌いだ。
虚しい。それこそ、美化しすぎている。
少なくとも「散華」ではない。悔しい、虚しい、悲しい死だ。

そして、今の私達はその方々の犠牲の上で生きている。
私達の生活があるのは、その方々の無念の死があるゆえだ。

私の母の前の夫も戦死だ。
教師をしていて、ルソン島だったか、マラリアで亡くなったと聞いているけど、真相はわからない・・・。
新婚当時か、赴任地の宮崎県の都城で一緒にテニスをしたという話も聞いたことがある。
母の気持ちを思うと、いたたまれない。
母は、多くを語らなった。
というか、話すには私たちが幼すぎたのか・・・。
生活するのに懸命だったのか・・・。
ただ、私が小学生のときか、戦争未亡人という言葉を聞いた気がする。
そういう組織か、そういう人に頼まれてか、はたまた、なにかしら役員をしていたのか、文章を書いていた気がする。


今も地域の公民館の慰霊碑に戦死した母の前夫の名前が刻まれている。その地域で亡くなられた方々と一緒に。

先日、帰省した時にみんなで手を合わせた。

生きていれば、教職者として、どんなに貢献しただろう。多くの子どもたちを立派に教育しただろうと思う。

30歳半ばで亡くなられたおじさま(私はどう呼べばいいのかいつも迷う)
今、その子どもである兄たちともお付き合いがあるけど、大事な父を失ったことでその兄たちの生き様も変わった。

もちろん、母の生き方も・・である。

私がそんな母の事情を知ったのは20歳のとき。

母の思いを今、想像する。
哀しみ、悲しみを乗り越えて、生きていかねばならなかっただろう。


戦死した夫を亡くした母は、その数年後に、妻を亡くした(病気だったという)父と再婚して、それから、幾年が巡り、私と妹が生まれた。
こう書くとき、私はいつも複雑な思いになる・・・。
運命と思えばいいのか・・・。
それだけに、自分の命のありがたさを思う。

今、実家にいる兄とは母が違う。

母は、再婚して、再び教職につき、地元の中学校に勤めた。
そこに中学生の兄がいたという。
もっと上に4人の姉たちもいた。
そこに私たちが生まれたのだ。



父に嫁いだ母の気持ち、再婚することを迷っていたということなどを、この前、鹿児島で会った叔母から聞いたことがある。

でも、私の知っている父と母はお互いを思いあったとてもいい夫婦だと思っている。


大きくなり、複雑な家庭環境のなかで、私は、父と母の長女として、いろんな経験をした・・・。
お互いを思いあったばかりに歯車が合わなかったんだろうと思うこともあった。

今、どちらの兄たちとも仲よくお付き合いさせてもらえていること、父と母に感謝だ。


不思議なことに、まったくの偶然だけど、おじさまの出た大学にわが子どもたち二人は進学したのだ。
その大学におじさまが進学したなんて知らなかった。
鹿児島に帰省したときに「S造さん(おじさま)の大学の記章だよ」と言われ、長女がもらった。

おまけに、その大学の建築物にのちに兄(おじさまの長男)が携わっていたというのも偶然ではない気がする。

ご縁、運命というものだろうか。

みんな、それぞれの人生がある。
ドラマがある。


戦争によって幾多の別れがあったことだろう。人の数ほどにドラマがある。

だからこそ、一人ひとりの命を尊び、大事に思う。

だから、戦争は絶対にしてはいけない。
どこの国であろうと、そこに市民のささやかな幸せがあるのだから。

ある方のブログに戦争のことを「忘れてはいけない」とあった。
本当にそう思う。

今の私達が少なくともできることは、体験者ではないけど(でも、私には、母を通して戦争が身近だという気がする・・・)「戦争」の酷さ、悲しみ、愚かさ、狂人と化すこと・・・さまざまな自分の感じたこと、知ったことを忘れずに、若者に、あとに続く人に伝えていくことだと思う。
せめて、それが無念の死をとげた人に対しての私たちのできる誠意だと思うのです。

お盆である。そして終戦記念日。

それぞれの思いを後世に・・・。

おやすみなさい。
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お盆の一日

2017-08-14 23:04:45 | Weblog
お盆です。

先ほど、次女夫婦が帰りました。
KIDも来て、楽しいひとときでした。

Aくんも我が家に来たら、すぐに父母たちの写真に手を合わせてくれます。
そういう姿を見ると嬉しいな。

夜はお寿司とお煮しめとサラダと、それから娘手作りのかぼちゃの煮つけがありました。
この煮つけがとてもおいしい。
上手になったなあと思います。
かぼちゃの甘みが口にほろっと・・・おいしかった。

娘たちの持ってきてくれたぶどうも甘くておいしかった。

朝は駅まで夫に送ってもらい、帰りは次女夫婦が迎えに来てくれて、ハッピーな私でした。

おまけに、電車はすいているし、気持ちよく座れて・・楽しいお盆の一日でした。

おやすみなさい。
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盆の入り

2017-08-13 22:19:03 | Weblog
今日は盆の入り。
母たちの写真を拭いて、庭の花を採ってきて飾り、桃、お菓子などをお供えしました。

玄関と外回りを掃除して、どこにでも帰ってくださいねと。

鹿児島、指宿、熊本、宇土、横浜、厚木、室蘭ってね・・・。

Cちゃんが「Mおばあちゃん(私の母)に会いたい」って言ったそうな。
だから「Mおばあちゃんは、室蘭へ来ているかもね。いい子たちねえと、にこにこしているよ」って返事しました。

盆の入り。

ふるさとでは、縁側に提灯を飾っていた。ご先祖様が帰って来られるようにって。

横浜にいる私は、今日、お団子を作ってお供えしました。



そして、父の大好きだったお煮しめもね。
鹿児島ふうです。
自分で言うのもなんですが、おいしかったです



お団子は、自分でたれを作ってかけました。



お盆。

それぞれにご先祖様に感謝する日。

帰省した方々もふるさとで楽しく過ごしているかな。



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空襲

2017-08-12 22:21:10 | Weblog
先ほど、空襲のテレビ番組を見た。

なんということだろう。

人と人の戦い。

自分が生きるためにやったこと。

アメリカにされたこと、日本が重慶でやったこと。

何の得があったというのだろう。

母は、飛行機の音がすると空襲を思い出すと言っていた。

鹿児島空襲。

多くの都市に落とされた爆弾。

死と隣り合わせ。

戦争は誰のためにするのだろう?

泣くのは庶民だ。

尊いたった一つの命。

カーチス・ルメイに勲章をあげたという日本。
考えられない。

違うんじゃないか。

戦争体験者に多くの話をしてほしい。

若い人たちに。

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