陽炎日記

日々の出来事を中心に綴ってます。

「鎌倉殿の13人  28話目」

2022-07-24 21:01:35 | Weblog
<北条時政(坂東彌十郎)と比企能員(佐藤二朗)との争いにより、義時(小栗旬)と
梶原景時(中村獅童)の構想から大きく逸脱し、13人まで膨れ上がった訴訟の
取り次ぎを行う宿老たち。鎌倉殿となり気負う源頼家(金子大地)はこれを
自身の力を侮っている結果だと捉えて憤慨し、北条時連(瀬戸康史)・
頼時(坂口健太郎)ら若い御家人をそばに置いてけん制する。そんな中、13人の
宿老たちが集まり常陸の御家人の土地争いについて評議を…… H・Pより>
 
 13人の御家人達 喧々囂々だが・・・協議にやり直し。

すでの頼朝がなくなって6年、頼家だって一人だちしたはず。
鎌倉殿として采配振るっていたんじゃないの?
(かなり自分勝手な振る舞いに義時や家臣はアタフタしていたようだった)

琵琶を奏でていた実衣はどなたかと笑顔で談笑中。夫は影で悔しい思い。
(袖噛んでた~😀)

梶原景時から謹慎を言い渡された男がいた(実衣と談笑していた若い
男だった)

頼家は安達の息子の嫁といい仲になっていた。
それが周りにわかってしまって協議になる。
安達親子の首をはねろと言い出した頼家。
「父上は奔放だったのにどうして私は許されないのだ!」と頼家の言い分。
解ってないな~。母政子や北条義時からも「頭を冷やせ!」と怒られていた。
甘やかされて育てられ、早くから鎌倉殿と呼ばれていれば、天狗になって
しまうだろうだ。父がよくてなんで自分はよその女に手をだしてはいけない、
という言い分はないな。(それもちゃんとした夫がいる身分の女性)

梶原の今までの所行に異を唱える連中が書状に名前を連ねることに。
北条義時の父は書状の最後に名前を書いていた(りくの進めで・・・)
最初に名前を書いたのは比企だった。その後は空白だったが、
順次埋まっていった。それを見たりくは夫の名前の所はきれいに破いていた。
「家は関係ありませんから~。北条として頼朝様の意志を継ぐのです」

梶原への書状の件を知った頼家は梶原に謹慎を言い渡す。

そのころ京都では・・・
新上皇が梶原が欲しいと言っていた。
その後、上皇から梶原の所に書状が届く。
それを知った義時は「京都へ行くな!」と告げていた。
何されるかわからないからね。
義時は再三梶原を止めようと努力するも、無駄に終わってしまった。

さすがに義時は腹にすえかえたのか、身近な者に「東海道で討ち取る」と
申し渡した。

来週は梶原の最後か~?しばらく見ないうちにかなり話しが進んで、
何が何やらで・・・全体的に見ないとわからないかも😅 
源頼家の話しになっているので私にはちょっとついていけないが、
なんとかついていこうと思ってます。(時代が進んでいけばもう少し
わかるかもね😀 政子が亡くなったらついていけないかな~😀)
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