新書体3円ホトトギスに和文櫛型印の満月消し。作為性を感じるのは誰でもだと思いますが、私は「よくぞ、この切手に記録として押印してくれた」と云う気持ちの方が強いです。右書き局名表示にせよ、収集家や業者が介入しない限り、この様な記録は残せないと思うのが私の素直な感想です。予備印として局に有ったにせよ、それを郵便物に押印実行したセンスを私は大いに褒めたい。それをとやかく批判する人が居るのは十分理解出来るのですが、私は押印した人を持ち上げたい…。
こういう考えはオカシイのでしょうか?? 批判は受けて立つ…って感じでカキコしました。
この局は一時、閉鎖された事により、勝手な憶測が先行した事も事実なんです。