切手収集、果てしなき旅そしてロマンを求めて...

小学校2年生の国語の教科書で挿絵に日本の記念特殊切手が紹介されていました。その魅力に取り付かれて早50年近く...。

【多局印カバー】日本プロ野球50年

2012年09月01日 | 初日カバー
 当時の郵政省から報道発表があった時は驚きました。切手としては伝説の巨人軍エース・澤村と大阪タイガースのスラッガー・景浦のペアーが切手としてもベストな構成なのに、プロ野球に功績があったにせよ、一企業の正力松太郎が横入りして、変な20面シート構成になりました。
 この切手の初日カバー作成には人海戦術をとりました。私は、甲子園局、西宮東局と甲子園球場を描く風景印使用局と兵庫県の特印とハト印使用局の神戸中央局を廻りました。 
 外野にはラッキーゾーンが有った図案ですね!
 


 そして大阪在住の昔からの南海ホークスファンの方には、大阪球場を描く風景印使用局の浪速局、そして大阪球場の至近局の大阪難波局、大阪中央局を廻ってもらいました。 

 南海ホークス身売り後、大阪球場は住宅展示場になりました、フィールド内にですよ!現在は大阪球場は潰し、なんばパークスという商業施設になってますが、大阪球場のピッチャーズマウンドのプレートとホームベースがその位置にモニュメントとして残されています。  


 名古屋市在住の収友には、中日ドラゴンズ関係の局で作成してもらいました。当時のナゴヤ球場です。 
 
 


 そして極めつけが、巨人軍・澤村投手の出身校の京都商業高校の至近局の竜安寺局で押印、そして学校まで行かれ高名のゴム印まで押印されました。 
 
 

 

 1枚のカバーに押印しませんでしたが、収友との共同作成となったカバーになります。 
コメント (2)
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