ふるさと切手は平成元年より発行されました。その時期に三日月型和文印を使用していた局は非常に少なかった...。
それも発行地域(県)に限定すると、自然な済切手は非常に少ないと思います。私は那覇中央局に郵頼で作成しました。
切手の発行年の日付になります。
このマテリアルは催事に出店していた切手商のアルバムより。兵庫・丹南局はかなり遅くまで同印を使用していました。
ふるさと切手は平成元年より発行されました。その時期に三日月型和文印を使用していた局は非常に少なかった...。
それも発行地域(県)に限定すると、自然な済切手は非常に少ないと思います。私は那覇中央局に郵頼で作成しました。
切手の発行年の日付になります。
このマテリアルは催事に出店していた切手商のアルバムより。兵庫・丹南局はかなり遅くまで同印を使用していました。
当時の郵政技官の切手デザインには無かった色使い、そして可愛らしさの切手でデビューした永田萌作品。多くの切手に採用されました。
「また、永田萌の作品かいな」って言うくらいたくさんの切手が出ました。
これも切手の一過性なのでしょうか?今はデザインを勉強された方が入社されてデザインを担当されていますが、洪水のように溢れ出すように出される切手。秀逸な作品もありますが、ハッキリ言って駄作も多いように見受けます。
永田萌作品の切手を見ていると、もうちょっと世に出る切手図案審査を厳しくして欲しいと思う次第です。
押印されている消印に拘って、彼女の切手作品を選んでみました。
昨日、当blog開設5700日を迎えました。本日で5701日目です。過去記事等を管理していないので、古いものは何を書いたのかほとんど忘れています。2重投稿になっているのもあるでしょうね。何れ纏めて紙ベースで発行したいですね。もちろん修正加筆してですが。
さて、私が小学生のころに今回アップした切手は発行されました。集配郵便局は午前8時開局、特定郵便局は午前9時開局。その時間差を利用して、小学校の始まる時間前に近くの奈良西郵便局に並んだのですが、遅刻する児童が多発し、小学校で郵便局に児童が並ぶことを禁止されました。
ここで、保護者の大活躍です。私の場合、母親が発行当日に並んで購入してくれました。この切手もそうでした。
小学校から帰って来て、この切手を手にした時は衝撃でした。お札の匂いがして重厚な印刷に驚きました。只、今この切手を発行したら、シール式切手なのかなぁ~。きっと安っぽく見えるでしょうね。
ゴールデンウィーク突入。昨年は改元で全国が賑わったのですが、今年は不要不急の外出禁止で皆さんも家に籠っておられる事だと思います。私も籠って、切手の整理と「あきしの40号」の残りの編集に傾注したいと思っております。
さて、そんな中、4月29日に重たい荷物が届きました!㈱鳴美からの「新動植物国宝切手カタログ」。全ページがカラーでまるで百科事典のようで、様々な情報がカラー図版で惜しげもなく掲載されています。
入札誌「NOVA」の上原さんが岡崎駅前郵便局から差し出された実逓便も数通、写真で紹介されています。美麗な上原さんの字体、懐かしくなりました。
次の「動植物国宝切手カタログ」にも期待大ですね。私の収集はこちらがメインなんで、否応なく期待しちゃいます!!
さて、解体せずに残していた百枚束、その内の20円金色堂を解体しました。キャラメル10個...枚数にして1,000枚です。
消印は昭和30年代後半迄でした。
こんな消印が押されたマテリアルが出て来ました!
伊豆大島にある当時の集配郵便局の大島郵便局です。離島の郵便局になります。私の経験上、離島の郵便局の消印は百枚束から初めて出て来ました!(樺太は除く)。